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エリモジョージ


ヨミ: エリモジョージ
掲示板をミル!
4カキコ!

「人呼んで、気まぐれジョージ

JRAヒーロー列伝より

エリモジョージとは、1972年まれの日本の元競走馬である。
勝利時は圧勝、敗北時は惨敗という極端な成績から「気まぐれジョージ」「気分屋」などの称で親しまれた。


概要


セントクレスピン、パッシングミドリという血統。

セントクレスピンはイギリスで現役時代は6戦4勝、勝ち凱旋門賞があるがこのときの凱旋門賞では1着同着だったのがライバルの進路妨による降着があり単独優勝となった経緯がある。
引退後は日本に種として輸入されたが輸入時になんと勃起不全という種としては致命的な欠陥があることが発覚。関係者が頭を悩ませる中たまたま北海道に来ていた矢野調教師がセントクレスピンに治療を施すと勃起不全が解消し、交配が可になったエピソードがある。(矢野師はこれらの経験から調教引退後はの整体師として活躍した)

パッシングミドリは現役時は14戦4勝の成績だったが日本で一大系として名を馳せたビューチフルドリーマーの血を引いている。

後にナリタブライアンなどを手掛けることになる大久保正陽厩舎に入厩。
1974年函館デビューを迎え2戦で勝ち上がると3戦は強気に重賞に出走するも惨敗。
4戦の条件戦を圧勝すると西の2歳チャンピオン決定戦阪神3歳ステークスに出走、8番人気人気はなかったものの僅差の3着に食い込んだ、このとき初めて同に騎乗したのが福永洋一で今後ジョージと洋一は多くの苦楽を共にすることになる。

年が明けた3歳の初戦はシンザン記念、1番人気に支持されたエリモジョージは馬場の外を通って快勝、洋一にとって1975年の初勝利はこのシンザン記念だった(エリモジョージが1番人気勝利したのはこれが最後である)

3歳々重賞を制したことからクラシック…と思われたが続く2戦を惨敗、9番人気人気を落として皐月賞出走するも「狂気の逃げカブラヤオーの前にはが立たず3着、NHK杯を惨敗し4番人気日本ダービーを迎えるが破滅的なペースで逃げ続けるカブラヤオーの前に成す術なく12着に敗れた。

その後ダート戦だった札幌記念に出走するもここも惨敗、えりも農場で休養に入ったがここで思わぬ災難に見舞われる、8月になんと原因不明の出火により厩舎が全焼、合計17頭もの焼死するというアクシデントが起きたのだ。

生き残ったのはエリモジョージ含めて僅か2頭、しかし自身も負傷したことにより3歳シーズンは休養となった。

4歳となり復帰、勝利を挙げることはできなかったが大阪杯と鳴尾記念連続3着と調子は上向いた状態で天皇賞を迎えた、この年の天皇賞は昨年菊花賞コクサイプリンス、昨年有馬記念シノアラシ、GⅠ級レース勝利はないものの6連勝と勢いに乗ったロングホークと4歳3頭による三つと思われた。

一方エリモジョージは同期人気から大きく後れをとる12番人気、まあシンザン記念以降1年以上も勝利がなかったので当然である、洋一と大久保師はレース直前中は中団待機が理想だがが行きたがる素振りを見せたらハナを切ってもいいという作戦に至ったという。

迎えたレース本番、好スタートを切るとかかる様子を見た洋一はすかさずハナを切った、そのままペースを落とし導権を握ると逃げ切り態勢に入った、後方の人気達は不良馬場でスタミナを消耗し伸びず、一三つの中では最も人気がなかった(それでも3番人気だが)ロングホークが迫ってくるもそのロングホークも最後100mで尽き見事天皇賞を逃げ切ったのである。

思わぬ走にどよめく場内、実況していた杉本清アナもゴール時は「エ!」
めいた実況をしている、後に杉本人気中心で実況していたのが裏に出たとっている。

ともあれ見事天皇賞となった同だったがしばらく苦戦が続く、宝塚記念含めて3連敗、やはり天皇賞はまぐれか…と思われたが3連敗後の函館記念では9頭中8番人気、しかも斤量60キロにも関わらず2着を7身ちぎってレコード勝ちし天皇賞の貫録を見せたのである。
このパフォーマンスに2着以下の騎手どが勝が強すぎると脱帽したという。

が直後の京都大賞典では惨敗、強いのか弱いのかよくわからんである、続く京都記念では斤量61キロと函館記念に続き酷量だったがレース序盤からハナを切るとあとは一人旅、2着以下に8身差つけて当時の芝2400mでは破格ともいえる2分258という従来のレコードを0.8も縮める日本レコードで圧勝したのである。しかしこパフォーマンスを出しながら洋一く「本調子じゃなかった」というのだから本当にわけがわからない。(ちなみにこの日本レコードは第1回ジャパンカップまで5年以上破られることはなかった)

その後クモハタ記念4着を挟んだあと大一番有馬記念に参戦、相手にはあのTTトウショウボーイテンポイントという当時3歳にして後の日本競馬に名を残す名と初対決になったが当時の有馬記念は古優勢の潮もあってトウショウボーイテンポイントの間の2番人気に支持される。最後の直線を先頭で迎えるもトウショウボーイに交わされるとその後テンポイントなどにもなく交わされ6着、4歳シーズンを終えた。

5歳になった同は上半期の最大標を宝塚記念とするも連敗続き、さらに調教中埒に誤って突してしまい負傷、宝塚記念も回避となる。復帰戦こそは勝利するものの5歳時は負傷の影もあって復帰戦の1勝にとどまった。

迎えた6歳、日経杯でテンポイントの悲劇をの当たりにすると続く京都記念を4身差で圧勝、鳴尾記念では斤量62キロながら天皇賞ホクトボーイを相手に大差で逃げ切り、自身最高といってもいいパフォーマンスを見せた。余談だが彼が「気分屋」や「気まぐれ」と親しまれ始めたのはこのころである。

そして昨年は出走すらわなかった宝塚記念、最大のライバルは意外にもこれが初対戦となったTTGの生き残りグリーングラス、しかも前走は天皇賞を制している。1番人気こそグリーングラスに譲ったもののレースではやはり序盤から先頭で導権を握るとそのままグリーングラス以下を寄せ付けず4身差の圧勝、グリーングラス営に「エリモジョージがここまで強いとは思わなかった」と言わしめたのだった。

これで京都記念、鳴尾記念、宝塚記念と全て圧勝での3連勝、これには洋一く「完成した、いまはどのにも負ける気がしない営も「もう気まぐれとは呼ばせない」と話すほどだった。
こうしてTTがターフを去った後の競馬役になるのかと思われた…

宝塚記念後に出走した高松宮杯、営は「状態は宝塚記念のときより良い」と自信を見せ、単勝支持率は55、相手は3連勝中にコテパンに負かしたホクトボーイや実績では大きく劣る新ばかり、もがエリモジョージの圧勝で重賞4連勝を疑わなかった。
しかし迎えたレースではハナを切らず控えるも3コーナーで失速していくエリモジョージの姿が、まさかの殿負けの大惨敗でレースを終えた。

その後も走り続けたが勝利はもちろん馬券内にも絡めない惨敗が続いた、戦だった洋一もエリモジョージ7歳時の3月に落事故に遭い、ついに騎手としてターフに帰ってくることはなった。洋一が背から去った後も3戦したが全て惨敗で終わり、引退となった。結局彼は最後まで気まぐれだったのである。

引退後は種となったものの気性に問題のある産駒が多く大成しなかった、強いて言うならタマモクロスオグリキャップの初対決となった1988年天皇賞(秋)に条件ながら格上挑戦で出走したパリスベンベが代表産駒といったところだろう。

1987年に種引退し余生を送っていたが2001年4月10日、29歳の大往生を遂げた。
自身が最高の勲章を手にした天皇賞から25年後ののことだった。


稀代の癖馬


人気を背負うと惨敗、人気薄だと史上最強と言われてもおかしくないパフォーマンスで圧勝する気まぐれっぷりは多くのファンから親しまれた。現に1番人気勝利したのは2戦と初重賞制覇となったシンザン記念だけでありそれ以外は全て馬券外の惨敗である。

気まぐれっぷりは生涯戦績にも表れており44戦して[10-1-4-30]と2着に至ってはデビュー戦だけである、3着こそ4回あるものの4歳時の鳴尾記念が最後の3着である。そのため天皇賞を制して以降は勝利馬券外に惨敗という非常に極端な成績だった。

長らく同騎手を務め騎手としての全盛期を迎えつつあった福永洋一もこのに関しては「よくわからん、走るときが分かるなら事前に教えてほしい」とお手上げだった。

近い世代にカブトシロー、少し後にダイタクヘリオス、近年ではゴールドシップなどされる癖たちはたくさんいるがこれらのたちもクセの強さでエリモジョージに勝るはいないのではないかと筆者は思う。


血統表


*セントクレスピン
1956 
Aureole
1950 
Hyperion Gainsborough
Selene
Angelola Donatello
Feola
Neocrasy
1944 鹿
Nearco Pharos
Nogara
Harina Blandford
Athasi
パッシングミドリ
1966 鹿
FNo.12
*ワラビ
1955 鹿
Fast Fox Fastnet
Foxcraft
Wagging Tail Tourbillon
Foxtail
グローリアス
1948 鹿
*セフト Tetratema
Voleuse
*トウルソル
種義

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最終更新日: 19/11/15 00:06
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