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キングカメハメハとは、2000年産の日本の元競走馬、種牡馬である。
馬名の由来はハワイのカメハメハ大王。
父Kingmambo、母マンファス、母の父ラストタイクーンという血統の持ち込み馬である。母の海外繋養時代にサンタアニタダービー馬The Deputyが出ており、父がエルコンドルパサーやアメリカンボスなど日本でも実績馬多数のKingmamboということもあって、競走馬としてももちろん、種牡馬としても生まれた時から期待されていた。
牡馬なら種牡馬になれなきゃ意味がないからバシバシしごくという信念の持ち主である松田国英厩舎に入厩、2003年11月にデビュー。新馬戦とエリカ賞を先行してちょっと差す安定感ある競馬で連勝し京成杯へ向かうが、ここで大馬鹿野郎マイネルマクロスのバカ逃げでペースを崩された上この馬を捉えられず、バカ逃げを捉えたフォーカルポイント一世一代の末脚にも置いてけぼりにされ離された3着に敗れてしまう。
この無様な敗戦のあと、松国死のローテと言われる調教師が目指す最強への道、種牡馬入りへの最短ルートと信じてやまないNHKマイルカップ・日本ダービー連覇を目指し調教は更に厳しさを増し、二ヶ月後の彼は甘さを残したお坊ちゃんから、並びかけさせず捻り潰す情け無用の競馬マシーンへと変貌を遂げていた。
すみれ賞(OP)と毎日杯(GIII)を共に先行して後続を2馬身半突き放し連勝。特に毎日杯は因縁のマイネルマクロスや幻の良血馬シェルゲームといった有力馬をねじ伏せての勝利であった。
そして迎えたNHKマイルカップ(GI)では、良馬場とは言え雨が降り、空は暗く、馬場は水を含んで少し重くなっていた…が、まったく意にも介さず5馬身差ぶっちぎり、しかもレコードタイムを記録しての圧勝を飾る。
ちなみに、2着のコスモサンビームも単純なタイム比較なら前年勝ち馬のウインガーならぶっちぎってたし例年であれば勝ち負けのタイムを記録しており、周りが弱すぎたわけではない。
そして迎えた日本ダービー(GI)、1倍台の人気でもおかしくなかったが、NHKマイルカップの勝ち方が鮮やかすぎてマイラーじゃないかと思われたり、ハイアーゲームがトライアルで従来のダービーレコードを大幅に破るタイムで圧勝して出てきていたこと、人気をやたら吸い上げるコスモバルクがいた事から2.6倍の一番人気に落ち着いた。
5月としては異常に暑い五月晴れの元、始まったレースはマイネルマクロスがアホみたいなペースでぶっ飛ばし、挙句の果てにコスモバルクが三角あたりで抑えるのを諦め先頭に立つむちゃくちゃなレースになった。
このレースを彼と鞍上の安藤勝己は、4角先頭の勢いで仕掛けて無理やり制圧するという、全く分の悪い戦術を選択した。彼を徹底マークしていたハイアーゲームも並びかけるように仕掛けていく。
4角で膨れたコスモバルクの煽りでコースが狭くなったがそれを意にも介さず直線に向くと、すでにハイアーゲームはしっぽを激しく左右に振ってアップアップ寸前、それを無慈悲にちぎり捨て、道中ずっと後ろで溜めてきたハーツクライが乾坤一擲の末脚を繰り出し飛んでくるが振り切り、ゴールに飛び込んだ。タイムは2分23秒3。
従来のダービーレコードを2秒縮めるとんでもないパフォーマンスを披露し、公営笠松から移籍してきた鞍上安藤勝己に記念すべき日本ダービー初制覇をプレゼント、調教師松田国英の悲願を達成し、信念の正しさを証明してみせたのである。
フジテレビ実況の三宅正治アナが「今!最強の大王が降臨したっ!!」と絶叫したのも頷ける、圧勝であった。翌年、ディープインパクトがレコードを出しにくい追い込みで同タイムを記録し圧勝したが、それでもこっちの方が強いと思えてしまうほど。
余談になるが、2015年に皐月ダービー二冠を達成した息子ドゥラメンテにレコードを更新された。二代揃って恐ろしいものである。
しかし、この激走の代償は大きすぎ、秋初戦の神戸新聞杯(GII)を快勝したが屈腱炎を発症し引退。種牡馬入りした。
ちなみにこの2004年ダービーは別名を死のダービーと言われるほどこのあと故障やスランプに喘いだ馬が続出した。
ハーツクライのように未完成かつ適正に合ってないレース出されてスランプだったという馬もいるが、レース中からしてマイネルブルックが予後不良を起こし、レース後にはコスモサンビームとフォーカルポイント、キョウワスプレンダが骨折で長期療養、マイネルデュプレが繋靭帯炎で長期療養、因縁のバカマイネルマクロスが屈腱炎で引退、ハイアーゲームは青葉賞の輝きを失い、結局GⅠに届かないまま引退。ダイワメジャーも懸念されていた喉鳴りが秋になって悪化し療養生活入りとアクシデントが連発する中の松国タイマー破裂キングカメハメハリタイアであったため、妙にオカルトチックな、呪いのような雰囲気すら出てしまった。
しかし、それを乗り切りスランプを脱したり治療に成功したコスモバルクやハーツクライ、ダイワメジャー、特に何もなかったけどスズカマンボは後にGⅠを取っているなど、負の側面だけではなかった。
なお、これまた余談になるが前述のドゥラメンテはダービー後脚を壊してしまい2016年春までお休みとなってしまった。
他にも2015年ダービーはマイネルブルックのような予後不良こそ出なかったが、リアルスティールとベルラップが脚を壊して休養となってしまった。
…この血の運命なのだろうか。
種牡馬としては、ポストサンデーサイレンス・父サンデーサイレンス牝馬の配合相手の一番手として非常に優遇された。ちなみに、父系としてはミスタープロスペクター直系ではあるが、そのノーザンダンサー比率は直系のクロフネよりも濃かったりする(5代血統中 キングカメハメハ:12.5%・クロフネ6.25%)。
父SS牝馬を活かしきれる血統構成のエルコンドルパサー、エンドスウィープが次々亡くなり、満を持して導入した切り札ウォーエンブレムはロリコン人間なら仕方ないにしろ、遺伝子を残すことが第一義の動物としてはちょっとおかしい子で使い物にならなかったので、シンボリクリスエスと並んで最高級の牝馬を与えられた。その半分でもトウカイテイオーやタニノギムレットに譲ってくれ。
ところが一年目の産駒は割と微妙であった。勝ち上がり率は5割近くと高く普通ならそれなりに成功なのだが、優秀な繁殖牝馬の産駒はもう一つ走らず日本一の牝馬の質を誇る社台グループのエースとしては物足りないという船出となった。
しかし二年目の産駒はトゥザヴィクトリーやエアグルーヴ、ローズバドなど最高級牝馬の子が重賞戦線できっちり活躍し、アパパネが2010年牝馬三冠を達成。この世代の大活躍で2010・2011年のリーディングサイヤーとなった。その後はリーディングサイヤーをディープインパクトに譲る立場となったものの、歴史的スプリンターロードカナロア・ダート王者ホッコータルマエ・二冠馬ドゥラメンテら多彩な活躍馬を輩出した。2013年以降は体調不安もあり種付け数を減らし、2019年に体調不良のため種牡馬を引退することになった。
その後は功労馬として社台スタリオンステーションで繋養されていたが。2019年8月9日に死亡。晩年には白内障も患っていたという。
BMSの方面でも、産駒が4年連続でG1を勝利するなど母の父としても存在感を強めている。後継種牡馬としてロードカナロア・ルーラーシップがG1馬を輩出している。
Kingmambo 1990 鹿毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Miesque 1984 鹿毛 |
Nureyev | Northern Dancer | |
Special | |||
Pasadoble | Prove Out | ||
Santa Quilla | |||
*マンファス 1991 黒鹿毛 FNo.22-d |
*ラストタイクーン 1983 黒鹿毛 |
*トライマイベスト | Northern Dancer |
Sex Appeal | |||
Mill Princess | Mill Reef | ||
Irish Lass | |||
Pilot Bird 1983 鹿毛 |
Blakeney | Hethersett | |
Windmill Girl | |||
The Dancer | Green Dancer | ||
Khazaeen |