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クリフジ


ヨミ: クリフジ
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クリフジとは、1940年生まれの競走馬日本競馬史上最強である。

OK。気持ちは良く分かる。落ち着こう。そうだよね。いきなりそんなこと言ったら切れるよね。だからルドルフファンブライアンファン、マルゼファン、ディープファンみんな落ち着け。

だが、これからるクリフジの戦績を聞けば、全同意とまではいかなくても、ある程度の共感は得てくれると確信している。多分、クリフジなんて名前は聞いた事も競馬ファンがほとんどであろうから。

ちなみに、これからることはではない。本当の話である。もちろんダビスタの中の話でもない


概要


ウルソルチヤペルブラムプトンという血統。の名前が漢字だが、これは当時、が繁殖入りする時には繁殖名というのを付けたからである。トウルソル戦前の大種。クリフジが生まれたのは下総御料牧場で、現在成田空港の場所にあった官営の牧場である。

クリフジは当時としてはかなり大きなであった。均より体高が10cmも大きかったというのだから、頭一つ飛び出ていたと言うことになる。競馬解説者だった大川慶次郎氏は事あるごとに「クリフジは格好が悪くて」と言っていた。確かに写真で見た感じ、頭が大きくてがっしりとしたガテン系のである。なんだが

しかしながら、クリフジは当時としてはかなり高値の4万円(現在の2億円くらい)で有名なであった栗林友二氏に購買された。いわく、顔が良かったそうである。

クリフジは当初、脚元に不安があり、デビューは遅れに遅れた。ようやくデビューしたのは3歳の5月中山4歳特別(現在桜花賞)と横浜賞典4歳呼現在皐月賞)は既に終わっていた。クリフジはデビュー戦を一身差で制する。ちなみに、この一身差の勝利彼女にとってもっとも少ない着差での勝利である。

二週間後の次戦を大差で勝つと、クリフジは連闘で東京優駿日本ダービーへと出走する。・・・え?連闘?当時、ダービーに出走する事自体はしくかったらしいが、連闘はやはりしかったようだ。しかし、前走があまりに強かったせいか一番人気に支持される

当時のスタート方式はバリヤー式といって、スタートラインにロープをってを出さないようにするだけの簡単なものだった。クリフジはスタート時点で横を向いており、スタートが切られた間大きく出遅れてしまう。この時の出走頭数は25頭。多頭数のダービーでは第一コーナーを10番手以内で通過しなければ勝てないといういわゆる「ダービーポジション」があると言われていた。つまり、この時点でクリフジは終わった、と考えても良いくらいの致命的な出遅れだったのである。

ところがである。第4コーナー。クリフジは先頭に並び掛けていた。あれ?何時の間に来たの?と疑問に思う間もなく、直線に入ると桁の違う脚色で一気に抜け出し、後は差が開く一方。前田長吉騎手が「後ろのの足音が聞こえないから、何かあったのかと思った」と後ろを振り返るほどの圧勝。ダービーを勝ったのはこれが二度(次が64年後のウォッカ)。前田騎手は史上最年少(20歳3ヶ)でのダービー制覇。出遅れておきながら6身差。レコードを1.5以上も縮めるなど記録尽くしの勝利だった。クリフジはレースが終わってもけろっとしていたという。

を越し、当時は阪神で行われていた阪神優駿牝馬現在オークス)をす。9月混合レースに出走。ここにはシンザンである前年の菊花賞ハヤタケが出走していたのだが、3身ちぎって圧勝。古を交えてこの強さではオークスなどやるまでもい。オークスでは10身差で桜花賞を粉砕

あまりの強さに、続く古混合戦ではなんと63kgも背負わされるも10身差で。ついでにもう一回62.5kgでまた10身。どういうことなの・・・

そんなクリフジが京都賞典4歳呼現在菊花賞)に出走した。ここでは斤量は55.5kg。これまでの斤量を考えれば裸同然である。負けるはずがい。クリフジはここを大差。つまり10身をはるかえる差をつけて楽勝した菊花賞が制した例は現在まで2つしかなく、菊花賞を大差で勝ったのは幾多の勝ちの中でもこれまでクリフジだた一頭である。

1944年。古になったクリフジは現役を続け、当時行われていた大レース横浜記念競争に58.5kgを背負いながらレコードで圧勝するなど活躍を見せたが、室御賞典(現在天皇賞)を前に熱発に見舞われ出走を中止。そのまま引退した。

1944~1945年競馬行そのものが中止となり、レースは「軍用、またはそれらを産む繁殖としての検定試験」として行われていた。舞台東京京都でのみ開催され、観客もおらず(観戦者は軍の関係者200~250人程度)、馬券も発売されないという異様な環境下であった。こんな状況下でなければクリフジももう少し現役を続けてくれたかもしれない。時勢が実に恨まれる。

通算成績11戦11勝日本中央競馬史上、10戦をえる戦歴を敗で終えたはクリフジとトキノミノル(10戦10勝)しかいない。現在で言うダービーオークス菊花賞を制して変則三冠馬と言われているが、オークス菊花賞を制したはクリフジただ一頭。ちなみにダービー菊花賞という二冠も他にタケホープがいるのみ。勝ったレース1600mから3000m。合計着差は実に80身以上

もはやリアルチートと言うしかない恐ろしい成績なんである。この圧倒的な戦績からこのこそ日本競馬史上最強であるという人も多い。特にシンボリルドルフを管理した野調教師(この人は戦前から騎手だった)は、自らが管理したルドルフを差し置いてクリフジを史上最強として上げている。いわく「あのは別格」だそうである。

惜しむらくは活躍時期が戦争中という、これ以上いほど最悪な時代と重なっていたことであろう。

戦時中(1941~1945)は多くのサラブレッドが軍に徴用され、レースに集まるの数も質も高いものとはいえず、いわば幸運にも前線に徴収されなかった(特に)たちのみでの名的なレースであったという評価を受けている。このおかげで彼女の実績はおよそ正当な評価を受けられなくなっているのである。

だがしかし戦争中だろうが何だろうが、3歳レコードを連発しながら距離も斤量も問わずきついローテーションも問題にせず他を置き去りにして勝ち続け、遂に敗で引退するという、幾多の名が挫折せざるを得なかった快挙を成し遂げたという事実もっと評価されるべきだと思うのだがどうだろう。

クリフジは繁殖に上がってからも二冠、菊花賞三着という成績を残したヤマイチなど3頭の重賞勝ちを出した。名が名繁殖にならない例も多いのでこれは立な物だと言える。ナリタブライアンの勝ったダービーで最下位になったサムソンビッグ彼女の子孫である。

1968年25歳で死亡系は残っているらしいので、大事にして欲しい。そしていつかそこから海外の大レースに勝つようなが出て欲しいものである。

ちなみに、クリフジの騎手だった前田騎手はクリフジが引退した5ヵ後に徴兵され、戦後シベリアに抑留。そこで死去。23歳だった。遺日本に帰還したのは60年後のことである。


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最終更新日: 12/12/16 17:07
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