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ケーシー・ストーナー


ヨミ: ケーシーストーナー

ケーシー・ストーナー[外部]とは、オーストラリア東海岸・サウスポート[外部]出身のオートバイレーサーである。

2002年から2012年までMotoGPに参戦した。

ドゥカティワークスレプソルホンダで1回ずつ最大排気量クラスチャンピオンを獲得。

70年あまりのMotoGP歴史の中で異なる2つのメーカーチャンピオンを獲得したのは
ジェフ・デューク[外部]ジャコモ・アゴスチーニ[外部]エディ・ローソン[外部]ヴァレンティーノ・ロッシ
そしてケーシー・ストーナー、この5人しかいない。

現在は故郷オーストラリア々自適の生活を送りつつ、たまにドゥカティテストに参加している。


略歴


1985年10月16日生まれ。

1987年4月、1歳半のころからバイクに乗り始め、ゴールドコースト[外部]の農場の裏を走り回っていた。

1989年、4歳の頃からダートトラックレースを始めた。

1991年、6歳の頃には父親コーリンバイクで負かすようになった。

1994年、ケーシーの参戦機会を増やすため一家そろってシドニー近郊のハンターバレー[外部]へ引っ越す。

1998年13歳の頃のダートトラックレース動画がある[外部]。最初から独走しているのがケーシー

1999年、ケーシーの可性に賭けた両親はレース参戦の機会を増やすためイギリスへの移住を決意した。

2000年には「challenge Aprilia 125」というスペインレースに参戦し3勝を挙げランキング2位

2001年にはスペイン選手権に参戦し7勝でランキング2位

2002年からMotoGPへのレギュラー参戦を始める。この年は250ccクラスで最高が5位。
2003~2004年125ccクラスに移り、2年で2勝・2位5回・3位3回の好成績を収める。
2005年250ccクラスへ移り、5勝してダニ・ペドロサに次ぐランキング2位の好成績を収める。

2006年より最大排気量クラスに参戦。デビュー2戦20173日の若さで予選最速ポール獲得。

2007年ドゥカティワークスに移籍し、10勝して年間チャンピオンいた。

2009年シーズン中盤に病気にかかり3戦欠場、ドゥカティ上層部に厳しい言葉を掛けられる。

2011年レプソルホンダへ移籍し、10勝して年間チャンピオンいた。

2012年5月引退表明。このときまだ26歳の若さであった。

2013年から2015年までホンダテストライダーを務めた。

2016年からはドゥカティテストライダーを務める。


ゼッケン、ヘルメット、愛称


ゼッケン27番は2001年スペイン選手権時代にアルベルト・プーチから与えられたものである。
ちなみにアルベルト・プーチは26番をダニ・ペドロサに、24番をトニ・エリアスに与えていた。

ヘルメットイタリアのNOLANと契約している。
オーストラリア国旗をあしらった配色になっている。星やユニオンジャックがちりばめられている。[外部]

2001年16歳の時、NOLAN社長アルベルト・ヴェルガーニ[外部]に見出され契約し、ずっと続いている。
当時貧乏だったケーシーヘルメット契約レースに充てており、恩義を感じたようだ。
ケーシーにとってMotoGPは居心地の悪い場所だったが、ヴェルガーニとは家族のように接していた。
こちら[外部]ヴェルガーニとの2ショット写真
ちなみにヴェルガーニはマルコメランドリの個人マネージャーでもあり、記事が多くヒットする。


オーストラリア人なのでカンガルーの入ったステッカーもお好み。[外部]

KCと書かれる英字記事が散見される。

ストーナーはもちろんstone(石)から来ている。日本に言うと「石井」「石田」あたりになる。

ケーシーは転倒が多く、グラベルに転がり込むことが多かった。
これを「Rolling Stoner」と呼ぶ記事も見られた(ロックバンドローリング・ストーンズにちなむ)
ラベルは砂だけでなく小石も入れてあるので、なおさら上手さを感じる表現である。


ライディングスタイル


ケーシーのライディングはまさに卓越しており、彼を讃えるが絶えることがない。

マックス・ビアッジは「20年に1度の天才」と評している。

アクセルをガンガン開けて、リアタイヤをスライドさせる

アクセルガンガン開けてスピードをどんどん乗せるタイプである。

とにかくスロットワークが上手く、電子制御を最小限にして己の手の感覚だけでマシンを操作するのが
得意であった。子どもの頃のダートトラックレーススロットル操作の腕を磨いたのが生きたのだろう。

リアタイヤのスライド量も尋常でなく、スライドさせてコーナーを曲がる技術は天下一品だった。

ケーシーアクセルの開けっぷりとリアタイヤのスライド量を記録した走行データを見た他のライダー
するのはMotoGPの恒例である。
マルコシモンチェリは「フィリップアイランドサーキットでのケーシーの走行データを見たが、
コーナー出口アクセルを開けるタイミングよりもい。びっくりした」とっている。

ブレーキングを頑タイプではく、バトルに滅法強いわけではかった。
ケーシー自身は、自分はダートトラックレース育ちだからブレーキングが上手くないのだろうと
発言している。ダートトラックレースマシンにはフロントブレーキいからである。

単独走行を苦にせず、集中力がやたらと高い

アクセル一杯開け、レース序盤から差をどんどん広げ、後続をぶっちぎって勝つことが多かった。


単独走行というのはライダーの間でも非常に高く評価される。

ブレーキングポイントを決めるようなお手本がないので、ブレーキングをミスしやすい。
また、前にもいないので刺に乏しく、集中を保つのが難しい。

単独走行は集中が高くないとできない走りで、これができるライダーの方が少ないのである。

セッティングが出ていなくても最速タイムを叩き出す

20092010年にケーシーが乗っていたドゥカティマシンはモノコックのマシンで、
とにかくセッティングが出にくい車両であり、レースごとに乗り心地が変わっていた。
ところがケーシーマシンに合わせて乗る技術に卓越しており、そういうバイクも乗りこなしていた。

2011年レプソルホンダ中本修平HRC社長が「ケーシーセッティングが異なっても
ぴったり同じタイムを出す」と驚嘆しつつコメントしている。

マシンが仕上がっていなくても一杯攻めていくことができるライダーだった。

彼のチーフメカを務めたクリスチャン・ガバッリーニ[外部]「ケーシーは数コーナーでマシンを理解する」[外部]
コメントしているし、ドゥカティテストライダーミケーレ・ピッロも同様のことを言っている。
とにかくマシン限界を探るのがく、ピットを出てから2周で最速タイムを出していたこともある。

こういうことができるのは後にも先にもケーシーだけだとのが多く聞かれる。

セッティングを出すのに固執しない

セッティングが出ていなくても速く走ることができたので、セッティングを出すのに固執しなかった。

他のライダーセッティングを詰めるため必死練習走行を続けている一方で、
ケーシーはあまり長く練習走行をせず、さっさとピットに戻っていた。

後述するように他のMotoGPライダーべて体が少し劣ることもあり、
ケーシー練習走行のロングランを好まなかった。
ロングランなど何の意味があるんですか。やる必要がい」と言ったこともある。
レース距離を走るロングランは一度もやったことがかった。

このためセッティングを出すダニ・ペドロサヴァレンティーノ・ロッシあたりの達人級とべて
少し劣ると言われている。

ウォーミングアップラップを遅く走り、スタートグリッドに必ず最後に到着する

MotoGP決勝の流れは以下の通りである。
まずはピットで待つライダーが映され、時間が来たらピットを出てサイティングラップを行う。
するとスターティンググリッドにメカニック持ちグリッドガールが集まっているので、そこに行く。
スターティンググリッドでテレビカメラがやってきて、ライダーやグリッドガールを映す。
時間が来たらグリッドガールメカニックが退散し、ライダーだけになる。

そして1周のウォーミングアップラップが行われ、全員スターティンググリッドに付く。

このウォーミングアップラップで、ケーシーは必ず他のライダー全員を先に行かせる。
ゆっくりしたペースで走り、必ず最後にスターティンググリッドへ到着する。
他のライダーエンジンを回しながらスターティンググリッドで待っているので、
エンジンのラジエーターの温が少し上がっており、エンジンにとってやや厳しい状態になる。
ケーシーは少し有利になるのだった。

だからといってもケーシー真似をしなかった。なぜならケーシーのように遅く走ると、
タイヤがあまり温まらず、1周を速く走れないのである。

2010年ムジェロサーキットヴァレンティーノ・ロッシは転倒して折したが、
その原因はスロー走行だった。アラビアータ2を越えたあたりでスロー走行をして、
他のライダーがいなくなるのを待ったのだが、スロー走行のせいでタイヤが冷えてしまった。
冷えたタイヤ理に走ってしまい、ビオンデッティでの大転倒につながってしまったのだ。

ケーシーはウォーミングアップラップゆっくり走り、それでいてタイヤも温めることができた。
これは全く理解に苦しむことであった。
ケーシーはウォーミングアップラップでどういうことをしていたのだろうか。

ケーシーはいつも1周から速く、出遅れることもなかった。
つまりウォーミングアップラップタイヤが十分に温まっていたのである。

転倒が多い

転倒が多いライダーであった。
ブレーキングをミスしてフロントタイヤを滑らせてスリップダウンする転倒が圧倒的に多かった。
アクセル操作を失敗してリアタイヤを滑らせるハイサイド転倒は非常に少なかった。

かなり神経質で、気負いすぎる、り切りすぎる、焦ってしまう、をする、そういう性格だった。
それゆえレース序盤の転倒が非常に多い。
レース序盤を事に乗り切ると気負いが薄れて落ち着くらしく、レース後半の転倒は非常に少なかった。


得意なサーキット、不得意なサーキット


フィリップアイランドサーキットで恐るべき速さを発揮し、6連覇を達成している。
このサーキットが強く、路面温度も下がりやすい。レース中にが降ってきたこともある。
アクシデントが起こりやすく難しいサーキットなのが、まるで苦にせず圧勝し続けた。

ロサイル・インターナショナルサーキットでも強く、5勝を挙げている。
ここはコース幅も広くてアクセルをどーんと開けることができる。ケーシーにはピッタリである。

高難易度コースラグナセカでも3勝。


本人が苦手だと言っていたのはヘレスサーキットである。
コース幅が狭くてコーナーが多くて、アクセルをどーんと開けられないのが嫌だ」と言っている。
2007年から2010年ヘレスサーキットを苦にするドゥカティマシンだったのも拍をかけた。


体力が少し劣る、2009年の乳糖不耐症



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最終更新日: 18/01/01 14:40
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