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コスモバルク


ヨミ: コスモバルク
掲示板をミル!
20カキコ!

コスモバルクとは、日本の元競走馬ホッカイドウ競馬所属)である。
人の都合やエゴに流され、それでもひたすらにひたむきに走り続けた流浪の


2歳:北海道より推して参る


はキャリア三戦でアイルランドダービーを取ったが、種としては失敗種の典例となったザグレブ、はイセノトウショウ、トウショウボーイという血統…なのだが
この系、近い世代はプリンスリーギフト系の種ばかりがつけられており、極端なスピード偏重、しかもちょっと古い感じのスピードを重ねられていた。
普通だと薄っぺらいになりかねなかったのだが、ザグレブの重さが幸いしたのかトウショウ系の底が開したのか、軽快なスピードなど優れた資質を備えて生まれた。

岡田繁幸氏に見出され、ホッカイドウ競馬デビューすることになったのだが、ダートが苦手で芝が得意という彼がなぜダートしかない営でデビューしたかというと、外厩(認定厩舎)制度の有に起因している
これはレース当日まで民間認定厩舎で調教できる=好きなように仕上げたり育てたり出来るというもので、かいつまんで言うと、かつてシンボリ軍団が美トレセンと千葉シンボリ牧場間で行なっていたことを更に拡大するような制度である。ぶっちゃけると調教師のやることがどなくなるため、中央では全く導入の気配すらない。

まあ、ノーザンファームしがらきや栄なんかでやってるようなもんではあるが、レース前の仕上げは調教師がトレセンでやってる…と思いたいんだけどなあ…最近の若手調教師を見るとねぇ。
地方でも営、バルクの活躍以後に南関東で導入されたくらいの特殊な制度である。
その制度の導入第一号として、コスモヴューファームやビッグレッドファームで鍛えあげられたのがコスモバルクなのである。

そんな彼だが、ダート向きとは思えない走りだったもののが違うのか営でも4戦2勝2着2回という結果を残し、中央に殴りこみ。
東京500万下では11頭中9番人気と全く顧みられなかったが、良血をぶっ飛ばし逃げて勝利。その次走のラジオたんぱ杯2歳ステークスでもペースを握って逃げるとブラックタイドミスティクエイジ・ハイアーゲームをまとめて負かし重賞制覇。クラシック補にのし上がった。


3歳:マイペースでいきましょう←いけません


年明け、クラシックロードに挑むことになった彼は弥生賞から始動。
前年は逃げで席巻したのだが、ダービーを見据えて多少持ち味のスピードを殺すことになっても先行して差す競馬をすることにこだわりを見せるようになり、
このレースでは朝日杯FSでも逃げていた快速メイショウボーラーを先に行かせて差しきり勝ちしている。

そして迎えた皐月賞、中央挑戦の璧な内容から一番人気に推されたが、注度が桁違いな中央のGⅠに一番人気で挑んだことが地方調教師と騎手には荷が重かったのか
あるいは持ち味を殺したことが当時の高速馬場になったのか、後の快速マイラーを侮りすぎたのか、弥生賞より後ろから進めてしまい、上がり最速で差しに行ったが二番手から抜け出して上がり2位の末脚でまとめたダイワメジャーの前に敗。2着に終わってしまう。

そして迎えたダービー北海道の夫で実質彼のローテを導した岡田繁幸の理想して調教が積まれてやって来た彼は…見事に入れ込んでいた。
まあ、入れ込みはいつものことだが、岡田皐月賞に続いて用意したペースメーカーイネルマクロスが今回はスタートに成功し逃げることに成功して猛な逃げっぷりで暴走気味に突っ走る。
しかし高速馬場を差し引いても1000m57.6はやり過ぎ。そしてそれに食いついていってしまったのが彼の不幸であった。
めに先頭に立つが先頭に立った時点でフラフラ、そこに一番人気キングカメハメハ問答用で押し潰しに来てしまい万事休す。
それでも追い込み勢が突っ込むまで必死に走り8着に残ったのだからはあったと思う。
折り合いにこだわりすぎて逆に持ち味を消したとしか思えない示、行きたがりな彼を制御しきれなった上など、人間が悪い可性が高い敗戦であった。

営の北海優駿から始動。苦手のダート戦で、トライアルセントライト記念を見据えて緩めの仕上げだったが貫で何とか押し切り。セントライト記念へ。
ここでも先行差しを狙ったが外が作れず結局逃げる形になってしまったが、まだ馬場がいい状況だったこともあったとはいえスピード任せに駆け抜け、最後はホオキパウェーブにクビ差まで迫られたが逃げ切り。走破時計の2:10:1は芝2200mの日本レコードであった。
そして迎えた菊花賞ダービー2着のハーツクライに次ぐ二番人気となる。距離を考えてやはり先行差しを狙ったが外から被せられ引っ掛かりまたも先頭で進める羽になってしまう。
それでも気性や血統から考えればよく走ったが、めにスパートをかけたデルタブルースに抜き去られ4着。クラシックは結局ひとつも勝てず終いであった。
勝つ可性は十分に持っていたと思うが、掛かり癖やそれを上手く矯正できなかった営の迷走っぷりが影を落としたような気がしてならない。

その後、ジャパンカップでは2番手から進めてゼンノロブロイ敗するも2着と、ロッキータイガーの持つ地方最先着記録タイとなる素晴らしい結果を残したが、有馬記念では燃え尽きたかのように惨敗。休養に入った。 


4歳:迷走する宇宙


になった2005年は、中山日経賞から始動。2200のレコードホルダーだったり中山は得意と見られたことや、
前年の活躍、メンツの薄さが考慮され一番人気に推された。しかし、クラシック戦だった五十嵐から同じ営の千葉に変わった事が影したのか始終かかりっぱなしで失速、6着に惨敗してしまう。
ちなみにだが、天皇賞など一部GⅠの出走権を取るには前戦で上位の結果を残す必要がクラシック時代からつきまとっており、これが北海道からの輸送とも相まって暫くの間彼を苛むことになった。

の大標が閉ざされた彼は、なんと香港遠征を決行。チャンピオンマイルへ向かったのだが10着惨敗。だから速い中距離マイラーは違うと言うに…
その後も宝塚記念12着、毎日王冠11着で天皇賞(秋)出走出来ず、ジャパンカップでは前年のルメールに続いてボニヤを上に招くがそれ以前に状態が最悪で14着。
クラシック時代は地方だとか何だとかでちやほやされていたのだが、今度は飛ぶ英雄 ディープインパクト推しに世間が変わり彼の存在は薄くなる一方であった。

年末の有馬記念では久々クラシック時代のりがり、4着に食い込んだがディープ絡みの話ばっかりであんまり話題にならなかった。


5歳:開花の瞬間


何はともあれ一復活の兆しを見せた彼は、5歳になっても現役続行。天皇賞(春)日経賞から始動。しかしかかるわ詰まるわ最悪なレースとなり8着。
ここで営は再び海外遠征を選択。今度はシンガポールシンガポール航空際に向かった。
このレース、前年度まではワールドレーシングチャンピオンシップという企画の第三戦で、メンツもそこそこレースだったのだが、この年からワールドレーシングチャンピオンシップが中止になりメンツが若干薄めになっていた。
それも幸いしたか、クラシックから磨いてきた二番手から抜け出す競馬で押し切り快勝。
地方所属騎手による海外GⅠ初制覇を達成。バルクもGⅠ初勝利を飾った。
ここまでは良かったのだが、帰前に伝染病感染疑惑が発生し危うく殺処分すらあり得る情勢になってしまった。幸いにも再検異常なしとなり帰
宝塚記念へ向かったが、相手が悪いこともあったがシンガポールで足止めを食らったこともあり調整がままならず8着敗。相手もあのディープインパクトだったので仕方なし。

札幌日経オープンから始動。62キロを背負わされる過酷な条件となったが構わず出走。 め先頭に立ったがさすがに止まり2着。
その後、天皇賞(秋)出走を賭け挑んだオールカマーではバランスオブゲームの2着に入り、見事出走権獲得。
本番では中団待機から勝負に出るも、因縁のダイワメジャーを捉えられず4着、ジャパンカップでは久々スローの溜め逃げに持ち込むが、相手が悪かったか4着。
有馬記念では引退するディープインパクトの圧勝劇をに11着に終わった。 


6歳~:報われぬ疾走、そして


しかし、5歳きは年が明けると消えてしまう。中央では前戦でも連に絡めず、シンガポールに再度遠征し、シャドウゲイトの2着に入ったのがかつての勝ちプライドの最後の発露だった。

には規定が緩くなったこともあり、地方で二戦いて天皇賞(秋)へ向かったが…ここでエイシンデピュティって斜行をぶちかますバルクに前を横切られたカンパニー上の福永祐一五十嵐福島競馬場にでも行ってればいい」とキレる程のアレレースを招いてしまった。
ただバルクの斜行癖は御し方でどうにかなるレベルじゃない、調教怠慢もあるから騎手だけ言うのはかわいそう、騎乗だが」「あとでグチグチ言うのはやめよう。やり直して欲しいくらいの騎乗ならたくさんあるよ、とは言わないが」という反論もあった。

その後はひたすら負け続け、出走権は半端に獲得してGⅠには出てきたので、評論家からJRAいい加減もっと考えろ」「こいつ邪魔だよ」と遠回しに言われ始め、その影か、あるいは好きなが潰されたからか一部競馬ファンからも為にを潰す眼視されるようになっていった。
とはいえ、彼は自分で切り開き新設されたルールに基づき、稼いだ賞を縁に出走していただけなのだが。
その間に有馬記念6年連続出走の新記録を立したものの、いいとこなしであった。

そして2009年一杯で内から引退した。あくまでであり、アイルランドで現役続行するつもりだったらしい。
しかし出前に左後脚を折。引退し功労生活に入った…種じゃないあたり、外厩制度実験のための捨て駒としか見てないフシが多々あったとはいえ本当にそういう扱いだったことが見て取れる。
確かにザグレブは失敗種だし系もプリンスリーギフト系の多重交配で微妙な感じとはいえ、8歳まで48戦もして海外GⅠを勝ったほどのに一切のチャンスも与えないのは正直酷すぎるとしか。
と、感情で考えると思ってしまうのだが冷静に考えれば産地での評判が高くなかったのだろう。
後年、社台スタリオンステーションで種入りしたキタサンブラックもあれだけの成績を残しながらなかなか満口にならなかったりしたのを考えると非常にシビアに見られているのだろうし仕方ない部分はあるか。

功労として迎えた2011年折も癒えて々自適の生活を送っていた彼に、アイルランド移籍の話が再燃した。いい加減にしろ。いい加減に
しかし幸いにも?アイルランドでの調教中に屈腱炎を発症。結局日本とんぼ返りとなった。
現在は、ビッグレッドファームで功労として生活している。 ちなみに、彼と一緒に行くとされていたシャドウゲイトキングストレイルはアイルランドに渡り、それなりの成果は残したようである。

もっと人に恵まれていれば、違う生き方もあったかもしれない。でも、この血統ではこの生き方も仕方がなかったのかもしれない。
競走馬づくりではの素質はもちろん、人に恵まれることも大事なのだなと思わされるであった。
地方と持ち上げられたかと思えば、中央ばかり走ったことから名ばかり地方と言われたり、晩年は出走潰しとまで蔑まれてもただひたむきに駆け抜けたコスモバルク。
外厩制度をこのように運用して走った競走馬は、残念なことにプレイアンドリアルやトラスト、コスモスなど数頭が続いてしまったが、バルクほどの成功例とは言わずともクラシック事到達したすらいない。


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最終更新日: 18/03/17 21:06
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