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サガン鳥栖


ヨミ: サガントス
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サガン鳥栖とは、佐賀県鳥栖市を本拠地とするサッカークラブ、及びJリーグに所属しているプロサッカーチームである。


概要


日本プロサッカーリーグ
サガン鳥栖
基本情報
創設年 1997年
クラブカラー ブルーピンク
ホーム
スタジアム
ベストアメニティスタジアム鳥栖スタジアム)[鳥栖市]
ホームタウン 佐賀県鳥栖市
備考 鳥栖フューチャーズ(後述)の後継クラブ及び後継チーム(※事実上の前身)
プロサッカークラブテンプレート

『サガン鳥栖』の名前の由来は小さな砂が固まって岩となった『砂岩』で、『佐賀』という佐賀弁が掛っている。『ユベントス』に発音を似せている所もあったりする。1997年鳥栖フューチャーズ解散後のチーム募により名付けられた。

チームカラーサガブルーサガピンク。『サガブルー』はと大地に広がる融合させて作成したもので、『サガピンク』は鳥栖フューチャーズ時代からの名残の色である。2005年まではユニフォームに近い青色だったが、2006年現在チームカラーに変更された。旧ユニフォーム時代には全く使われなかったピンクも、現在ではユニフォームに使用されている。

鳥栖市だけではなく、佐賀県各所や県を越えて福岡県筑後地方からの観戦者も多く、鳥栖市民以外にもされるように、と『サガントス』表記で活動したりする。筑後地方ではアビスパ福岡とのサポーターの取り合いとなるが、久留米市企業(ブリヂストンベストアメニティなど)はサガン鳥栖に出資していたりする。

ホームタウンはあくまでも鳥栖市佐賀市久留米市など各地から観客が訪れるが、練習は概ね鳥栖市内限定で活動している。(練習鳥栖市北部グラウンド、鳥栖市陸上競技場。かつては福岡県小郡市練習したりもしていたが。)そのため、サガン鳥栖の強化による行政事業はほとんど鳥栖市に委ねられている。

試合はホームゲームのほとんどを鳥栖スタジアムベストアメニティスタジアム)で行っているが、10月は芝のり替えの為、1試合ないし2試合は佐賀市にある佐賀県総合運動場陸上競技場を使用していた。(2011年シーズン修により鳥栖スタジアム10月開催。2013年10月からは全て鳥栖で開催。)大ビジョンの設置は鳥栖スタジアム2007年からで、佐賀1998年から既に導入されていた。

キャンプ地は大分県日田市中津江村などで行われる。の中の鯛生金山練習したり、から登山をさせられたりと、キャンプ中の練習は過酷といっていい。2012年からは沖縄読谷村にてキャンプを行っている。

近年は観客動員も増加。スタジアムで選手入場の際に行われる、グリーンデイのマイノリティ原曲とした応援歌合唱は迫がある。

なお、2011年までJ2オリジナルの10チームの中でJ1経験がなかった事から、「鳥栖兄貴」のあだ名がついていた。


歴史



前史(1987~1996年)


かつて存在した日本サッカークラブ
鳥栖フューチャーズ
基本情報
創設年 1987年
解散年 1996年
(※正確には1997年1月
最終所属 ジャパンフットボールリーグ
(旧JFL
クラブカラー ピンク
ホーム
スタジアム
鳥栖スタジアム[鳥栖市]
佐賀県総合運動場陸上競技場[佐賀市]
ホームタウン 佐賀県鳥栖市
前身 PJMフューチャーズ
備考 後継クラブ及び後継チームにサガン鳥栖(※事実上の後身)
プロサッカークラブテンプレート

サガン鳥栖の前々身は、1987年静岡県浜松市で創設されたプロサッカーチームPJMフューチャーズ』である。そう、あのアビスパ福岡と同じ、元々は静岡県チームであった(でもアビスパと違ってこの辺の歴史較的世間によく知られていない)市区町村リーグに当たる静岡県西部リーグ3部に登録・参加し、東海社会人サッカーリーグを優勝するまでの間、破96連勝を飾っていた。この頃は、後にツエーゲン金沢J2昇格・J2での快進撃に監督として貢献した森下仁之やティエゴ・マラドーナであるウーゴ・マラドーナなどが在籍していた。また、実は鳥栖に移転する前からJリーグ入りをしており、Jリーグ準会員になるべく申請したものの、色々な問題を摘された結果承認は保留となった。

余談だが、結成当初は本田技研工業に内緒で、同じく浜松市ホームとする同社サッカー部(現:Honda FC)で活躍し、現役を退いた後も同社に席を置いていた元選手たちを擁していたが、後に同社にバレて社内問題へと発展してしまっていた。これは「他企業の宣伝活動のために自社社員が利用されている」と見解された為である。そして、同社に席を置いていた選手たちの何名かは退職してめてフューチャーズに加わるのであった(その中には既婚者も・・・)。


その他については右記を参考のこと。(投げやり)⇒『Futures on my mind ~わが心のフューチャーズ~[外部]


1994年PJMフューチャーズは鳥栖市に移転することを決め、1995年チーム名を『鳥栖フューチャーズ』とした。1年鳥栖スタジアムが建設中で、佐賀県総合運動場でに試合を行っていた。1996年ブルックスが福岡市に移転して福岡ブルックス(後のアビスパ福岡)となったことで、ある福岡県企業とのスポンサー契約が成立しなくなってしまう。さらにはメインスポンサーPJM自体が撤退することになってしまい、解散騒動が起きてしまう。そして12月25日、当時の運営法人佐賀スポーツクラブ』が経営難により解散を発表、翌1997年1月付で正式に解散した。


1997~2005年


鳥栖フューチャーズの解散後、鳥栖市民のにより1997年2月、『サガン鳥栖FC』として復活した。この時、JFA法的措置として鳥栖フューチャーズの後継であることを認め、旧JFLに引き続き参戦することを認めた(※フューチャーズ時代までの天皇杯出場回数の継承も認められている)。その旧JFLでは2年連続4位と言う好成績を挙げ、1999年J2開幕10チームの一チームとなる。 しかし、J2で毎年のように不甲斐ない成績を残すばかりで、挙句の果てに2003年に最下位。この時代は2002年より問題行為を起こしまくった公明党員で解体業が本業の女社長古賀照子によりどんどん暗黒化していった。

2004年は「プリンセス功」とユニフォームスポンサー契約するも、ブービーに。 やがて第二次解散騒動がやってきて、前親会社が解散。2005年初めに現在の親会社となる(結局古賀は後に公職選挙法違反で逮捕)。


2006年~2009年


2006年ユニフォームチームフラッグチームカラーを一新した際、順位が4位に急上昇する。 しかし、シュナイダー潤之介や新居辰基といったを次々と放出し、翌年は8位に低迷。

2008年、いきなり開幕ダッシュに成功し、2006年同様終盤までJ1昇格争いをする。 天皇杯4回戦にナビスコ杯優勝のJ1大分、5回戦にJ1神戸にそれぞれ圧勝し 「これ、J1も行けるんじゃね?」とファンに思わせておきながら、残り2戦を残して最下位・徳島に惨敗。 この間、J1昇格の夢が断たれたため、未だに"お荷物チーム"のイメージから抜けられない。

2009年チームの一員だった藤田祥史が大宮に移籍した為に、練習試合で当時JFLニューウェーブ北九州(現:J2ギラヴァンツ北九州)に負けてしまうという波乱の出来事が起こった。その為、2009年のサガン鳥栖は2003年以来の最下位になるかが心配されていたが、何とか開幕3連敗の落ち込みから脱却し、苦しい戦いが続いているが、横浜Mから山瀬ハーフナーを期限付きではあるが獲得することができ、得点が急上昇し、シーズン途中には元・アビスパ福岡のホベルトが加入。切り札的存在のトジンもここ最近活躍し、遂には5位まで順位を上げた。が、その後、J1争いに失速し、上位対戦を0勝1分3敗と、散々な結果で調子を落とし、結局5位どまりでJ1昇格に届かなかった。監督である野靖之はこのシーズンをもって退団。


2010年~第二次松本体制~


2010年2006年まで監督として揮した松本育夫ゼネラルマネージャー監督として復帰し、元韓国代表で元鳥栖DFの尹晶煥(ユンジョンファン)がヘッドコーチに就任する。選手面では、武優斗、渡邉将基ら、4選手を鳥栖監督野靖之率いる横浜FCに奪われ、『Mr.サガン鳥栖』こと、高橋義希がベガルタ仙台に移籍するなど、シーズンオフから波乱のシーズンとなってしまったが、山瀬幸宏全加入での残留、京都サンガから豊田陽平を獲得、ジュビロ磐田からの獲得など、着々と攻撃を補強し、MF、DFも、前シーズン並の補強をした。序盤は安定した滑り出しを見せたサガンだったが、W杯終了後からじわじわと低迷してしまい、勝ちが遠くなってしまう。次第に下位に下がって行き、一時期2ケタ順位まで落としてしまったが、最終的に9位となった。選手の入れ替えがしく、交換トレードのような形で野崎陽介が横浜FCへ、横浜FCから田中和を獲得。更に、金民友韓国代表に選出され、長期離脱するなど、選手編成が固定できなかった。得点面でも首位べて25得点以上差が付いた。


激動の2011年~遂に悲願達成~


飯尾和也野崎陽介が横浜FC全移籍、特別定選手の森本良までもが横浜FCに移籍し、横浜FCは追い打ちをかけるかのように大宮藤田祥史(2008年までサガン鳥栖在籍)を獲得。サガン鳥栖に在籍した選手がごっそり横浜FCに移籍した一方のサガン鳥栖サイドはFWザスパ草津に期限付き移籍させたり、衛藤裕を徳島ヴォルティス放出日高拓磨をコンサドーレに放出するなど、また選手面で波乱を生んだ。

一方の補強は広島から岡本知剛、甲府から國吉博をそれぞれ期限付きで獲得、横浜Mの大量解雇組から浦田延尚、湘南から永田亮太を獲得。特別定選手だった野田之介を々加入を内定させ、どうにか補強を進める。


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最終更新日: 16/09/28 23:11
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