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サザンオールスターズ


ヨミ: サザンオールスターズ
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サザンオールスターズとは、桑田佳祐リーダーとする、日本音楽バンドである。所属事務所アミューズレコード会社はビクターエンタテインメント


概要


日本ポップミュージック界を代表するロックバンドであり、デビュー以来30年にわたって日本ポップミュージックトップを走り続ける、二のバンドである。幅広い楽曲ジャンルから数多くのヒット曲を生み出しており、老若男女問わず支持されている。

ニコニコ動画では、手書きMAD音MADなどに楽曲を使用するケースが散見される。代表的な動画としては、「東方発情祭[動]」(「エロティカ・セブン」)、「マックにシンドナルド[動]」(「勝手にシンドバッド」)など。


曲調


桑田佳祐等を参照


メンバー



現メンバー


桑田佳祐

担当楽器リードボーカルギター称は「ケイちゃん」「くわちゃん」「くわっちょ」など。言わずと知れたサザンリーダーであり、サザンのほぼ全ての楽曲の作詞作曲を担当している。

その他、詳細は「桑田佳祐」を参照。

関口和之

担当楽器ベースコーラスボーカル称は「ムクちゃん」。

本業の音楽に加え、エッセイスト、小説家漫画家イラストレーター、放送作家俳優声優などの活動経験もあり、非常にマルチに活躍している。また、ゲーム桃太郎伝説」、「桃太郎電鉄シリーズ音楽を担当したほか、アニメ「ここはグリーンウッド」「ぼくのマリー」への楽曲提供も行っている。

ウクレレでもあり、東京都目黒区ウクレレショップオープンしたほか、2000年以降、毎年8月に「UKULELE PICNIC」と称したコンサートを開催しており、ソロウクレレアルバムリリースしている。

松田弘

担当楽器ドラムコーラスボーカル称は「ヒロシ」「ヒロシくん」など。

メンバーからの信頼は厚く、桑田以外のメンバーサポートメンバーを立て、一時ライブを休養した時期があるが、松田のみ、デビュー以来常にライブには出演し続けている。ちなみに、一時期ライブ期間中に体調不良になったことがあるが、その際はライブが順延された。また、福山雅治など、サザン以外のアーティストドラマーとしても、精的に活動している。

読売ジャイアンツの大ファンであり、原辰徳など、巨人コーチと交流があるほか、Skoop On Somebodyとはプライベートでも親交が深い。また、林原めぐみに楽曲提供をしたこともある。

原由子

担当楽器キーボードボーカルコーラス称は「ハラボー」。サザン紅一点であり、桑田の妻でもある。青山学院大に通っていたサザンメンバー中、学校卒業したメンバー

歌唱には定評があり、一部を除き、サザンアルバムではそれぞれ1曲ずつ、彼女リードボーカルを務める楽曲が収録されている。ソロ活動も桑田に次いで精的に行っており、「は、ご多忙申し上げます」「負けるな女の子!」などのヒット曲を持つ。ちなみに、「負けるな女の子!」は「となりの801ちゃんRオーディション」の課題曲にもなった。

キーボードの他に、アコースティック・ギター演奏に長けており、その腕前は桑田が「より上手い」と評すほど。ただし、「先の硬さが変わってしまい、ピアノと両立できない」との理由で、演奏する機会は非常に少ない。

野沢秀行

担当楽器パーカッションコーラス称は「毛ガニ」。サザンメンバーの中では最年長。

当初、野沢サザンへの加入に難色を示していたが、野沢不在で出場したコンテストで好成績を残し、デビューが決定すると、一転して頻繁にスタジオに顔を出すようになり、「リトル・フィートと同じ編成・人数になるから」という理由で、他のメンバーがしぶしぶ加入を受け入れたという逸話がある。そのため、メンバーから「野沢は準メンバー」「いつの間にか加入していた」などとネタにされることもしばしば。

ソロでは音楽以外の活動が多く、俳優として映画アトランタ・ブギ』、ドラマなんていらねぇよ、』に出演したほか、レースチーム「Kegani-Racing」を結成、チームオーナー監督を務めている。また、桑田ソロシングル『波乗りジョニー』のPVや、桑田監督を務めた映画『稲村ジェーン』にも出演している。

その他、詳細は「野沢秀行」を参照。


元メンバー


大森隆志

担当楽器リードギターボーカル称は「ター坊」。2001年8月に脱退、以後ソロで活動中。

サザンデビューのきっかけを作った本人であり、メンバー同士の確執によって迎えた解散の危機を救うなど、サザンの中でも重要な地位を占めていた。キャラとしては桑田の次に前面に出てくるのが特徴で、KYキャラでもある(現在ブログなどでその片鱗が伺える)。

が、創価学会との関係が囁かれる中、「個人の音楽性を追求したい」との理由で、サザンを脱退した。

しかし、脱退後の2006年覚せい剤10g、大麻40gを所持していたことが発覚、覚せい剤取締法違反、及び大麻取締法違反の容疑で妻と共に現行犯逮捕され、世間に衝撃を与えた。その後、懲役2年6ヶ、執行猶予4年が言い渡され、現在音楽活動を再開している。

麻薬ダメ。ゼッタイ。


活動内容



1970年代


1975年頃に、青山学院大学で活動を開始。現リーダーである桑田を中心に、バンド名やメンバーの変更を繰り返しながら活動を続け、1976年頃に現在の「サザンオールスターズ」名義になり、1977年頃にデビュー時の6人編成でメンバーが固まった。

1978年シングル『勝手にシンドバッド』で鮮デビューを飾る。当時の楽曲ジャンルに縛られない、強な印を残すも、桑田の「立ちたがりの芸人です」といった発言や、ジョギングシャツにジョギンパンツ姿での歌唱、「何を言っているか聞き取れない」と言われた歌など、当時はいわゆる「コミックバンド」として評価される面が大きかった。

1979年、3枚シングルである『いとしのエリー』をリリースし、大ヒットを記録。このヒットにより、サザンの楽曲ジャンルの幅広さを世に知らしめ、ようやく「本格音楽バンド」としての評価を受けるようになる。


1980年代


一方、人気の上昇に例した多忙な生活はメンバーを苦しめ、中でも桑田は一時期ノイローゼなるほど疲れ切っていたという。そこで、「FIVE ROCK SHOW」と銘打ち、「テレビ出演を一切せず、レコーディングに集中し、5ヶ間、毎1枚ずつシングルを出す」と発表。しかし、どれもヒットには至らず、しばらく売上は低迷する。

そんな中、1982年シングルチャコ物語』が久々ヒットを記録。直後に桑田と原が結婚を発表する。しかし、年末の紅白歌合戦にて同曲を披露した際、三波春夫真似をしながら、間奏で「受信料は払いましょう!」「裏番組はビデオで見ましょう!」といった発言をし、このパフォーマンスが物議を醸す。結果、しばらくの間、桑田NHKの間に確執を生むこととなる。

1985年アルバムKAMAKURA』をリリース。この作品を最後に、原の産休、グループとして活動が頂点に達したなどの理由から、一時活動を休止し、メンバーはそれぞれソロ活動を開始する。

1988年シングルみんなのうた』で活動を再開。翌1989年には、『さよならベイビー』で初のオリコンシングルチャート1位を獲得する。


1990年代


1990年桑田監督を務めた映画『稲村ジェーン』の題歌『の果実』がロングヒットを記録。この頃から、売上的にはサザンの絶頂期を迎えることになる。

1992年シングルシュラバンバ』『涙のキッス』を2作同時リリースし、オリコン史上初の同一アーティストによる初登場1位2位を記録。 うち、『涙のキッス』は154万枚を売り上げ、サザンシングルとしては初のミリオンセラーとなった。翌1993年にも、『エロティカ・セブン』が174万枚を売り上げ、シングルとして2作ミリオンセラーを記録する。

人気絶頂を迎えた中、1994年に再びメンバーソロ活動に入り、サザンは実質的な活動休止状態となる。この間に、桑田は当時人気絶頂だったMr.Childrenとのコラボシングル奇跡地球』を発売、171万枚を売り上げるヒットとなった。

1995年シングル『マンピーのGSPOT』で活動を再開。その後も『あなただけを ~Summer Heartbreak~』『言霊Spiritual Message~』の2作でミリオンヒットを記録し、1996年アルバムYoung Love』は、サザンオリジナルアルバムとしては最高の249万枚を売り上げた。

しかし、1997年頃から、一般受けしないハードロック調の楽曲を多くリリースするようになり、売上は急速に低迷していく。1998年ベストアルバムYeah!!』こそ、サザンの作品史上最高の346万枚を売り上げたが、直後にリリースされたオリジナルアルバムさくら』は5作ぶりのミリオン割れとなり、翌1999年シングルイエローマン ~王子様~』に至っては、『女神達への情歌』以来、18作ぶりに売り上げが10万枚を下回る結果となった(後の再発により、両作品共に10万枚を突破)。


2000年代


2000年シングルTSUNAMI』をリリース。第42回日本レコード大賞を受賞したこの曲は、オリコンの歴代シングルランキング3位、CDシングルに限れば1位となる293万枚を売り上げる超絶ヒットを記録。同年に発売したバラードベストアルバムバラッド3 ~the album of LOVE~』も289万枚ヒットとなり、一気に人気・売上を回復する。

2001年メンバー大森が脱退。同時期に個々のソロ活動に入り、サザンは実質的な活動休止状態に入る。この間、桑田シングル『波乗りジョニー』『白い恋人達』が2作連続でミリオンを記録、翌2002年ソロベストアルバムTOP OF THE POPS』も168万枚を売り上げるとなど、ヒット作を連発した。

25周年にあたる2003年デビューシングル『勝手にシンドバッド』を「胸騒ぎのスペシャルボックス」と銘打って再発売し、再発としては異例のオリコンシングルチャート初登場1位を獲得。直後、『涙ので抱かれたい ~SEA OF LOVE~』で活動を再開し、その後もスマッシュヒットを連発。2007年桑田ソロ活動開始が発表され、実質的な活動休止状態となる。

2008年デビュー30周年を前にして、突然期限活動休止を発表する。30周年記念シングル『I AM YOUR SINGER』をリリースし、活動休止前最後のライブとなる「サザンオールスターズ 『の大感謝祭30周年記念LIVE」を開催したのち、全な活動休止状態となった。


2010年代


2010年7月桑田に初期の食がんが見つかり、治療に専念するため一切の活動を休止。約1ヶで退院するも、その後もソロ活動が続いていたため、期限休止と言いつつ、実は解散宣言だったのではないかと心配する立つようになっていた。


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最終更新日: 19/07/28 14:45
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