ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


サニーブライアン


ヨミ: サニーブライアン
掲示板をミル!
37カキコ!

サニーブライアン(1994年4月23日生~2011年3月3日没)とは、日本の元競走馬・元種1997年の二冠である。どころか騎手まで人気薄だったことで有名

中尾治厩舎所属、騎手大西騎手称は『サニブ』。

※当記事は、サニーブライアンの活躍した時代の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。


3・4歳 ~若葉ステークス:無名からの始まり


ブライアンズタイム サニースイフト スイフトスワロー。・・・「スイフトスワロー」の名に鋭く反応したあなたはダビスタやってましたね。

ちなみに現実でのスイフトスワローはというと、良血ながら調教中の故障で未出走のまま引退したである。ノーザンダンサー系によくある「の特徴を出す」のとおり、アリシドンの重厚なスタミナやパワーを表に出す種となり、芝ではサニースワローやレオテンザン、ダートではスイフトセイダイやチヤンピオンスターを輩出するなど未出走のの割には中々の成功を収めている。

生まれた所は村下ファームという小さな牧場であったが、ダービー2着(メリーナイスには手にちぎられたが)のサニースワローの全。産駒デビュー直前(産駒デビュー直前は種付け料が下がる傾向が強い)とはいえ、期待の一頭として輸入されたブライアンズタイムを中小牧場である村下ファームが配合したということは、期待されていたであろう。ただしこれはあくまで村下ファームが基準の話であり、大牧場基準での話ならナリタブライアンの活躍で一躍脚を浴びたブライアンズタイム以外は普通程度の血統にすぎない。

事実、新戦ではウイニングチケットの方が注されており3番人気だったが、これをを逃げ切りで勝ち、おお?これは?と思わせたのも束の間、続く4戦を走してしまう。年明けからジュニアカップに勝ち、弥生賞(GII)ではランニングゲイル、オースミサンデーに続く3着に入るものの、何故か連闘した若葉ステークスでは4着であった。


4歳 ~皐月賞:フロックの一冠?


この時点でのサニーブライアンは皐月賞までに8戦も走っている上、まだ2勝。正直、皐月賞では視された存在だった。人気はランニングゲイルとメジロブライトというの雄を筆頭にヒダカブライアンオースミサンデーあたりがそれに続く形となっていた。

この年、中山馬場はあまり良くなく、人気は差しばかり。う~ん、これは前残りがあるなぁ。と、思ったファンがいたことも事実である。しかしながら、はっきり逃げそうなが見当たらなかった。競馬雑誌に「サニーブライアン逃げ宣言!」とでも大きく出ていたらもしかしたら買った人も増えたかもしれないが、サニーブライアンはマジ視されており、ほとんど何の情報もなかったのだ。

そしてサニーブライアンの上は大西騎手。この人は腕は良いのだが無口で、立たなかった。というかもう引退の話が出始めるくらい騎乗の依頼が少なくなっていた。せっかく皐月賞に出走するのだから、もっと有名で腕の良い騎手に乗り変わればいいのに?という話もあったそうなのだが、これはが「サニースワローの時からお世話になっている大西騎手を乗り変わらせるなんてとんでもない!」と言ったことで取りやめになったそうな。

騎手も本当にまったくのノーマークであったこのコンビが、史上稀に見る大番狂わせを演じるのである。

大西騎手弥生賞と若葉ステークスでの走りから、「サニーブライアンは切れ味に欠けるがバテて失速することがない。スタートがやや下手だが多少強引にでも逃げさせたほうがいい」という結論を下しており、包まれ難く、多少出負けしても強引にハナを切りやすい大外に当たって密かに喜んでいたらしい。もちろん、もそんな事は知らなかったわけだが。

その皐月賞大西騎手は狙い通りサニーブライアンを先行させることに成功する。いきなり同じ人気薄のテイエムキングオーが引っ掛かって競りかけてくるハプニングがあり逃げることこそかなわなかったが、サニーブライアンはそれに動揺することなく璧な折り合いでテイエムキングオーの後ろにつけ、勝手にバテたテイエムキングオーを々3コーナーで先頭に立つ。ペーススローだがよどみがペースで、明らかに先行有利な展開。というか、サニーブライアンが先頭に立ったあたりで、人気馬券を持っていた連中は発狂寸前だったに違いない。サニーブライアンの手ごたえがあまりにも良かったから。

4コーナーを綺麗に回って思い切り差を開くサニーブライアン。人気はみんな群の中。最後の最後で脚が止まりかかったサニーブライアンにシルクライトニング以下が襲い掛かったもののもう遅い。まんまとサニーブライアンは逃げ切りに成功したのだった。

何しろ11番人気である。単勝は5180円。2着のシルクライトニングは10番人気馬連51790円もついた。大西騎手はこれがGⅠ初制覇。というか、サラブレッドレースの重賞を勝ったのすら初めて。それどころかこの皐月賞勝利がこの年の大西騎手の3勝である(そのうち2勝はサニーブライアンでの勝ちである)。しかしながら、あんな上手い騎手がどこに隠れていたのか?とみんなが首を傾げた好騎乗だった。


4歳 ~日本ダービー:フロックでも何でもない!


それにしても皐月賞は見事な逃げ切りで、あまりに見事すぎるせいでファンは「まんまと逃げ切りやがって!」と思ってしまったのである。直線の長い府中ではああは行かないぞと。

しかもレース直後から大西騎手営は「ダービーも逃げる」と言いまくっていた。しかも「ダービーもいただき」みたいな口調で吹きまくっていたため、ファンマスコミは笑っていた。「どうやら思わぬ勝利に浮かれているらしいなw」と。しかもサニーブライアンは勝利に蹴られるという事を起こしており、「未勝利ごときに蹴られるとか情けねーw」とか思われていた。うんうん。ダービーも逃げればいいじゃない。でも、そう上手い話は何度も続かないよ。

しかし、その苦笑は本番で凍りつくことになる。なぜなら、大西騎手は既に冷静にダービーのための綿密な計画を密かに立てていたのだから。

大西騎手日本ダービーにおいてサニーブライアンの難敵となると見ていたは2頭だという。それは条件戦からとてつもないスピードを発揮し、サニーブライアンのペースを乱しかねない逃げサイレンススズカと、若ステークスで「ワープ」と称される程の脚を披露して快勝した、せっかく自分のペースで作り上げたレースのちゃぶ台返しをされかねない追い込みシルクジャスティスである。そのため、まず「逃げ」を底的に強調してサイレンススズカ営をけん制し、そして自分達が浮かれていると「勘違いさせる」ことでシルクジャスティス営のマークメジロブライトらに向けさせ、仕掛けを遅れさせることに成功していたのである。

そして日本ダービー順抽選。皐月賞と同じ理由で大外希望していた。そして引いた番号を見た大西騎手は思わずその番号を叫んだという。その番号は「18番」希望通りの大外に間違いなかった。まあ、他の営やファン達は「逃げに不利な大外でご愁傷様」と思ったのであるが。

ちなみに、サニーブライアンは本番直前の調教では当時かなり強かった外スピードワールドぶっちぎる調子の良さを見せていた。おまけに、本番のパドックではなんか皐月賞時の線の細さとは大違いの、ビシッとした体で歩いていた。ついでに大西騎手ダービー前日に四暗刻緑一色ダブル役満を上がって絶好調だった。

なのに7番人気(実際には上位人気シルクライトニングが競走除外のため6番人気に繰り上がり)。いや、1番人気ダービーに惜敗していた人気メジロライアン息子メジロブライトに譲るのはまだ分かるのだが、トライアル勝ちとはいえジュニアカップで下しているトキエクセレントや皐月賞2着のシルクライトニングよりも人気いとかどういうこと・・・・。はっきり言ってこんなに人気のない皐月賞は前代未聞である。しかし大西騎手人気など関係なかった。

1番人気はいらない。1着が欲しい!

レーススタートすると、大外からサニーブライアンが吹っ飛んでいった。その気合を見て、同じ逃げサイレンススズカは控えた。競りかけても譲ってくれそうにかったからだ。実際には「スズカが競りかけてきたら控えろ」という示があった事など知る由もなく。サニーブライアンはあっさりと自分のペースに持ち込んでしまったのである。

サニーブライアンの最大の利点は折り合いで、スタートで押して一気にハナを奪ったのに、次の間にはあっさり落ち着いて大西騎手示に璧に従うのである。ダービーでも2コーナーを回る時にはもうサニーブライアンのペースになってしまっていた。

サイレンススズカ以下先行は掛り気味、相変わらず後方に固まる人気は当初の狙い通りけん制しあって動かない。なんか皐月賞より全然気持ち良さそうに走っているサニーブライアン。でもどのをつけに行かない。彼の存在は他の騎手ファンからは「消えていた」。どのくらい「消えていた」かというと、実況が4コーナーでサニーブライアンを視して「2番手はフジマビザン」と実況するレベルこの時点でもう勝負ありである。

々と4コーナーを回ったサニーブライアンに後続が襲い掛かるが、サニーブライアンは余裕十分。引き付けるだけ引き付けてから大西騎手がゴーサインを出すと、バテた先行からポーンと5身くらい離してしまった。そしてそこからは切れ味はないけどバテないサニーブライアンの頂。メジロブライトマークして仕掛け、メジロブライトごと「群」を差し切ったシルクジャスティス上の藤田騎手は「群」の先頭に出た間、そこがダービー勝利ではなかったことに驚愕したに違いない。

結局1身差でダービーまで「逃げ切ってしまった」のである。ちなみに、2着のシルクジャスティスは暮れの有馬記念を。3着のメジロブライトは翌年の天皇賞を勝っている。本格化前とはいえ、菊花賞マチカネフクキタル伝説の逃げサイレンススズカもいた。実況「これはもうフロックでも何でもない!二冠達成!」と叫んだが、フロックで勝つには相手が強過ぎるだろう。

逃げ切りでの二冠達成。そのあまりにも強いレース振りに、勝たれてからしもが「ああ、この、相当強いわ!流石に皐月賞だった!!」とびっくりしたダービーだった。

大西騎手はもちろんダービー初制覇。なんとダービーに乗るのはこれが二度だったという。それどころか、生産牧場、調教師、すべてが、大西騎手が前回乗って2着に突っ込んだサニースワロー以来のダービーであった。大西騎手は「みんなダービーは連対率100%なんです」と笑った。


その後


こうして人気薄のまま二冠を達成したサニーブライアンは、二冠を達成して初めて「三冠ももしや?」と言われたのであるが、ダービー直後に折が判明。その後、屈腱炎を発症して引退してしまった。結局、どれだけ強いのか良く分からないまま引退されてしまったのであった。

いところの鹿毛で、体も小さく、見栄えはしなかった。ただ、バランスが良い体で、気性も素直。すんなり先行して折り合うレースが出来るこのの脚質と、人気が後方待機に偏っていたこの年のクラシックの状況が嵌っていたということは言えると思う。

そしても知らなかった大西騎手の策謀と度胸と気迫溢れる好騎乗。これが組み合わさった時、史上稀に見る「人気薄の二冠」が誕生したのである。いろんな意味で競馬の恐ろしさと面さを知ったクラシックだった。出来ればこの菊花賞に出て「逃げ切ってしまう」ところが見たかった。

そしてこの後、大西騎手はその騎乗技術が見直され、ローカルでの騎乗がメインとはいえ大幅に騎乗依頼が増えた。特に福島競馬場でのまくり技術は他の騎手から恐れられたという(大西騎手は実はあまり逃げが得意ではなかったらしい)。この後再びの日本ダービー騎乗はかなわなかったが、カルストンライトオスプリンターズSを制するなど重賞での勝利も重ね、デビューから1997年までの約20年での勝ち数が200勝程度だったのに対し、1997年から引退までの約10年間で300勝程度を稼いでいた。

サニーブライアンは引退後は種になり、優秀な勝ち上がり率を記録していたのだが、の質の関係から大物はついに出ず、2007年に種引退2011年死亡した。

今なお評価が分かれるところがあるであるが、ノーリーズンやヴィクトリーといった人気薄で皐月賞を制したダービーで沈んでいく様を見るたび、「ああ、やっぱりサニーブライアンって本当に強かったんだな」と思う。

敢然と逃げて二冠を制したその勇姿が忘れられることはいだろう。


関連動画



■sm3823818[ニコ動]


関連商品


■azB003B143D0
 ■azB003G95A20


関連コミュニティ


サニーブライアンに関するニコニコミュニティを紹介してください。


関連項目



外部リンク



次へ»
最終更新日: 13/10/18 20:14
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ