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ジョアン・ミル


ヨミ: ジョアンミル

ジョアン・ミル[外部]とは、スペインの離パルマ・デ・マヨルカ[外部]出身のオートバイレーサーである。

2016年からMotoGPmoto3クラスに参戦を開始した。

2017年moto3クラスで年間10勝を挙げてチャンピオンを獲得。
デビュー2年チャンピオンを獲得したのはヴァレンティーノ・ロッシ以来20年ぶりの快挙だった。

2018年は名門プライベートチームMarcVDSからmoto2クラスに参戦する。

2019年スズキワークスから最大排気量クラスに参戦することが発表された。


ゼッケン、ヘルメット、名前の読み方


ゼッケンは36を使用している[外部]

ヴァレンティーノ・ロッシの46番のフォント[外部]とそっくりのフォントで、黄色色という点でも一致。
36は46から10引いた数でもあり、ロッシを強く意識している事がわれる。

ヘルメットイタリアのAGV[外部]ライダースーツイタリアのDainese[外部]契約している。
AGVの親会社はDaineseで、ロッシはDaineseの大なので、AGVとDaineseはロッシ御用達である。
ロッシファンであることが伝わってくる。


名前の読み方はジョアン・ミルとホアンミルの2種類で表記揺れしている。
前者はカタルーニャ語読み[外部]で、後者スペイン語読み[外部]である。
本人は前者のカタルーニャ語読み希望している。
MotoGPでの名前の呼ばれ方は本人の希望に沿ったものになるのが通例。

ちなみにホルヘ・ロレンソはJorge Lorenzoをスペイン語読みした呼び方で、
これをカタルーニャ語読みすると「ジョルジェ・ロレンゾ」となる。

スペイン夫婦別姓で、子どもは両親の姓を名乗ることになっている。
ジョアン・ミルの本名はJoan Mir Mayrataで、Mayrataは母親の姓。


略歴


1997年9月1日スペインの離パルマ・デ・マヨルカ[外部]で生まれる。

4歳の頃にバイクに乗り始めるが、レースを始めたのは10歳で、これはかなり遅いスタートとなる。
本人は「10歳でレースを始めたことが自分にとってはよかったと思う。
自分のどこを善すればいいのか、どうすればもっと速く走れるのかを理解できるような年齢なので」
コメントしている。

子どもの時初めて乗ったのはカワサキKX65[外部]である。こちら[外部]メーカーページ

その次はイタリアメトラキットというミニバイク[外部]に乗った。

あのホルヘ・ロレンソの父親チコ・ロレンソ[外部]催するレーシングクラブに所属して、
数々のミニバイクレースを制する。9歳の頃、2006年頃に入団した。所属していた期間は1~2年。
チコブレーキアクセルと乗り方を教えてくれた。ただ、チコは基礎的なことを教えただけらしい。
バイクの乗り方を上達させてくれたのは、このとき出会ったダニ・ヴァディーロという人である。

2013年16歳になる年にレッドブルルーキーカップに参戦し、ランキング8位に入る。
2014年レッドブルルーキーカップランキング2位に入る。
2015年moto3ジュニア選手権に参戦、ランキング4位。

2015年MotoGP第16戦オーストラリアGPでmoto3クラスにてワイルドカード参戦した。
このとき「みんな、なんて速いんだ」と驚いたという。フィリップアイランドサーキット
速度が非常に高いサーキットなので、驚くのも理はない。

2016年moto3クラスの名門プライベートチームであるレオパードレーシング[外部]で参戦開始。
ルクセンブルクエナジードリンク企業レオパード[外部]スポンサーである。KTMを使用。
ちなみにレオパードレーシングの本体はステファン・キーファー[外部]率いるキーファーレーシング[外部]である。

18歳から19歳になる年にMotoGPレギュラー参戦開始するのは、これは近年の傾向からすると
遅いデビューと言えるだろう。

第10戦オーストリアGPでキャリア初優勝。レッドブルリンクハードブレーキングサーキットであり、
彼のブレーキングが大いに生きた。

2016年1位2位と3位を1回ずつ獲得し、ランキング5位となり、ルーキーオブザイヤーにいた。

2017年レオパードレーシング継続参戦、マシンホンダになった。
の快進撃を続け、年間10勝で見事チャンピオンを獲得した。こちら[外部]ドルナ製作の祝勝動画
デビュー2年チャンピオンを獲得したのはヴァレンティーノ・ロッシ以来20年ぶりの快挙である。

125ccクラスmoto3クラスで年間10勝以上をあげたのは以下の面々である。
1987年ファウスト・グレッシーニ[外部](11戦10勝)
1997年ヴァレンティーノ・ロッシ[外部](15戦11勝)
2010年マルク・マルケス[外部]17戦10勝)
2017年ジョアン・ミル[外部](18戦10勝)


ライディングスタイル


ブレーキングが鋭く、パッシングが上手い

ハードブレーキングを得意としており、きっちりぴったりとマシンを止めることができる。

ブレーキングが上手いためパッシングが非常に上手い。2017年バレンシアGPでは残り22周の時点で
先行ライダーの転倒に巻き込まれて19番手にまで順位を落としたが、
そこからの追い上げは素らしかった。先行を次から次へとパッシングし、2位にまで追い上げた。

周囲をしっかり観察できる

moto3クラスは集団走行の混戦になりやすく、10代の若いライダー奮気味に危ない走りをする。
そういう混戦を乗り切るためには周囲の様子をしっかり観察するが必要なのだが、
ジョアン・ミルにはそのがしっかり備わっている。
2017年は全てのレース完走し、ノーポイントとなったのはたったの1度だけだった。
他者の転倒に巻き込まれるシーンも本当に少なく、安定感は抜群だった。

好きなときにペースを上げることができる

レースの最中にペースを一気に上げることができる。
2017年マレーシアGPでは残り3周で一気にペースを上げて後続を突き放して勝。

2017年オーストラリアGPでは「が降っての旗中断、レース終了」となる事態を想定して、
メインストレートでは必ず先頭を走るようにしていた。
1~2コーナースリップストリームを使われ追いつかれて抜かれるがそれにもめげず、
10コーナーで確実にパッシングして最終コーナーで先頭に立つ。
その狙い通りに残り7周でが降り出しレース終了となった。

「ここは順位を上げるべきだ」と決めるとその通りに順位を上げることができる。
高い集中があるライダーだと言える。

決勝レースの走行中に、いったん落ちたペースを再び上げるのは非常に難しいことだという。
ジョアン・ミルにはライダーとして非な素質があるのだろう。

その他

2017年シーズンは18戦10勝と勝ちまくったわりには予選のタイムがそれほどではなく、
ポールポジションマレーシアGPの1度きりだった。
予選はそれほどでもなくポールポジションを獲れないが決勝になると速い、というのは
ヴァレンティーノ・ロッシを彷彿とさせる。

身長175cm体重60kgで、MotoGPライダーのなかでも均的な体格と言える。

G+でおなじみの坂田和人さんは辛口解説で有名であり、ニコラス・テロルブラッド・ビンダーなど
彼の厳しい批判を浴びたライダーは数知れない。
その坂田さんがジョアン・ミルに対しては「素晴らしい」「moto2でもすぐ通用するだろう」
などと賞しているのである。坂田さんがこれだけ褒めるのはマルク・マルケス以来のことだった。


家族


ジョアン・ミルの庭事情は少し複雑になっている。

父親ジュアン(Juan)はパルマ・デ・マヨルカスケートボードの店を2つ持っていて、
ずっと店番をしている。この記事[外部]の中で新聞を広げている人。

母親の名前はアナ(Ana)。

実は両親は離婚していて、父親ジュアン母親アナは別の場所に住んでいる。
ジョアンは父親に行ったり、母親に行ったりと、両親のを往復している。
父親にも母親にも大変に可がられていて、王様のように扱われていて、とても快適だとっている。
「でも、そろそろ、20歳になったからアパートで1人暮らししたいなあ・・・
2つのを往復するのも面倒だし」とジョアンは言っていて、
レオパードレーシングオーナーに「チャンピオンになったご褒美はとかよりもアパートがいいな」
などとっている。(記事はこちら[外部]

父親ジュアン母親アナは離婚した後に再婚し、再婚相手との子宝に恵まれた。
父親ジュアンと再婚相手の息子フィオナFiona)で2008年生まれでジョアンの11歳年下。
母親アナと再婚相手の息子マウロ(Mauro)で2006年生まれでジョアンの9歳年下。
ジョアン・ミルにはが2人いることになる。フィオナやマウロとの関係は非常に良好だという。
(記事はこちら[外部]

2017年マレーシアGPの表式の際にドルナの中継カメラに映った夫妻[外部]がいる。
ジョアン・ミルが映った直後に映ったのだから、ジョアンの親類であるに違いない。
ジョアンにとって方かもしくは方の祖ではないかと推察される。

ジョアンは「自分の一家レーサー一家というわけではありませんでした」とっている。
ジョアンのおじさんモトクロス凹凸のある土の路面をバイクで飛び跳ねる競技)をやっていた程度。
一家で2輪レースをしているのはだけです」ともっている。(記事はこちら[外部]


トレーナー ダニ・ヴァディーロ


いつもレースに帯同するヘルパーメカニックの人

2018年アメリカGPの予選が開催され、G+で放送され、このようなシーン[外部]が映った。

このとき上田昇さんが、「ジョアンの隣にいる人は、ジョアンがレッドブルルーキーカップ
参戦しているときからレースに帯同していて、チームに溶け込んでヘルパーメカニックになっていました」とっていた。

ちなみにジョアンの隣に椅子を並べて掛けているサングラスの人は、ペテ・ベンソン[外部]という人で、
2006年にはニッキー・ヘイデンのチーフメカとして最大排気量クラスチャンピオン獲得に貢献していて、
かなりの大物チーフメカである。
そういう大物メカニックライダーと喋っているのだから普通はちょっと込みするはずだが、
堂々とジョアンの隣に座って話に加わっている。

ともあれ、このヘルパーメカニックの人は、ジョアンにとってまことに深い関係の人であるようで、
レオパードレーシングTwitterで頻出している。
こちら[外部]は記念撮影でジョアンの後ろに立っている。
こちら[外部]こちら[外部]ではパルクフェルメでジョアンを迎えている。
こちら[外部]ではスターティンググリッドに並ぶジョアンの持ちを務めている。

2018年アメリカGPでもオランダGPでも、決勝前のスターティンググリッドに並ぶジョアンの隣に
寄り添うがごとく立っていた。画像1[外部]画像2[外部]

2輪レース連盟の教官


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最終更新日: 18/09/22 22:53
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