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スズキワークス


ヨミ: スズキワークス

スズキワークスとは、スズキレース活動を行うためにメーカー直営で運営するチームである。

本稿では、MotoGPの最大排気量クラスに参戦するスズキワークスについて記述する。


ライダー


アンドレア・イアンノーネ (個別記事あり)

アレックス・リンス (個別記事あり)


MotoGPの国際中継カメラに良く映り込む現在のスタッフ


「ダヴィデ・ブリビオ」で検索した方が多くの記事に辿り着ける。

1964年生まれ。2010年までヤマハワークス監督だった。ロッシとの蜜関係で有名。

2012年末にスズキに就職。2014年スズキチーム監督に就任。

2016年シーズン中盤に、ワークスライダーを2人とも交代させるべきだと
浜松本社のスズキアレイシ・エスパルガロを残留させるべきだと考えていたが、
ブリビオのが通った。このようにブリビオは人事権を半分ほど持っている存在なのである。

1990年代前半からヤマハと関わりがあった。もう20年以上も遠州の企業と付き合いがあることになる。
うなぎパイ」や「こっこ」をお土産に買ってイタリアへ帰ったことも多いであろう。

ヤマハスズキという日本企業2つを渡り歩いたブリビオはこんなことを言っている。

日本企業会議がとんでもなく長いんです。一日に8時間から9時間もかけ、
やたら細かいことまで議論します。年に3、4回日本に出向き、おそらく5日ほど会議漬けになって、
それから全ての事が進むんです。日本人と協調するには大きなが必要です」

ヤマハワークスの「かつて在籍していたスタッフ」にも記述がある。

鋭い眼には定評があり、ヤマハワークス時代はホルヘ・ロレンソ、スズキワークス時代は
マーヴェリック・ヴィニャーレス、それぞれ抜して成功を収めた。

これによると[外部]子どもの頃からバイク業界一筋ではなかったことが分かる。

2004年からスズキMotoGPマシンGSV-Rの開発を務めた。
2007年から2011年までスズキワークスの事業監督
2011年スズキMotoGP撤退に従って部門へ転属、GSX-R1000の開発責任者を務める。
2017年シーズン中盤にMotoGPに帰ってきた。肩書きはチームディレクター

漢字検索すると記事が多くヒットするスズキの中心人物。

これによると[外部]1964年生まれ、おじさんバイクレーサー。12本のギターを所有している。

技術監督であり、車両開発の長である。漢字検索すると雑誌のインタビュー記事が多くヒットする。
2016年イギリスGPのマーヴェリック・ヴィニャーレス優勝時に表台に登壇していた。

これによると[外部]1968年生まれ、高校の時バイク雑誌でバイクの魅にはまり今に至ったらしい。

アイルランド人。1980年代からMotoGPで働き始め、チームロバーツ(ヤマハワークス)を経て
スズキワークスに移ってきた。

2006~2009年はクリス・バーミューレンのチーフメカ。[外部]

2010~2011年はアルヴァロ・バウティスタのチーフメカ。[外部]

2015年と2016年はアレイシ・エスパルガロのチーフメカ。[外部]

後述の理由でチーフメカの職を離れ、現在スズキの中で最前線から離れている。
ブリビオ監督の口ぶりからすると日本浜松テストチームにいるらしい。

ケヴィン・シュワンツが「KTMあたりにトム・オケインを引き抜かれるぞ」とスズキに警告している。

2013年から今に至るまでアンドレア・イアンノーネチーフメカを務め続けている。イタリア人。
ドゥカティワークスの「かつて在籍したスタッフ」に記述がある。

イアンノーネがスズキ入りするときの条件は「リガモンティチーフメカにすること」だった。
スズキにはトム・オケインという優秀なチーフメカがおり、イアンノーネの要むには
ケインを外さなければならない。
スズキも悩んだだろうが結局イアンノーネの要どおりにした。

2017年前半ののイアンノーネ絶不調のころは「リガモンティを外してオケインを再起用せよ」
というも上がっていた。
2017年の終盤になってやっとイアンノーネの成績が上向き、リガモンティは面を保った。

イアンノーネとリガモンティの2ショット写真[外部]。 リガモンティのインタビュー動画。[外部]

ここでは[外部]、「持ちの女と結婚して楽をしてえなあ」と言っている。

アレックス・リンスチーフメカ

アルゼンチン人でイタリア在住、ドゥカティワークスの元職員。
アルゼンチンイタリアから大量の移民を受け入れたからイタリアとの関係が非常に深く、
アルゼンチン人を好意的に受け入れるイタリア人が多い。
1990年代イタリアサッカーアルゼンチン人選手を優先的に雇っていた。
ホセもそんな感じでイタリアにやってきてイタリア企業ドゥカティに就職したのだろう。

2012年はニッキー・ヘイデンの平メカニック[外部]2013年もニッキー・ヘイデンの平メカニック[外部]
2014年はカル・クラッチローの平メカニック。[外部]
2014年シーズン末にブリビオ監督によって引き抜かれ、チーフメカに抜された。

2015年2016年マーヴェリック・ヴィニャーレスチーフメカ

マーヴェリック・ヴィニャーレスヤマハワークスから誘われたとき、
チーフメカホセヤマハワークスに連れて行きたい」とヤマハに言ったら、
「それはダメだ。ラモン・フォルカダと組んでもらう」とヤマハ側に言われた。
マーヴェリックはずいぶん悩んだようで、ヤマハワークスへの回答がずいぶん遅れている。

ヤマハワークスからが掛かったら二つ返事で「はい」と言いそうなのにずいぶん悩んだのは
チーフメカホセを手放したくないと思ったからである。
マーヴェリックからの信頼がこれだけ厚いのだから、ホセは優秀なチーフメカなのだろう。

これによると[外部]ラグビーを何年もやっていた。サッカー選手が憧れだった。

2015~2016年マーヴェリック・ヴィニャーレスの電子制御エンジニア
2017年アレックス・リンスの電子制御エンジニア

名字でわかるように沖縄出身(島袋姓は沖縄に多い)。沖縄の新聞でも扱われた。[外部]

その記事によると1980年生まれで元2輪レーサーだが勝てず断念、メカニックを志す。
電子制御メカニック仕事をしながらひたすら独学で知識を蓄え腕を伸ばした。
2006年スズキに雇われ、2013年からはMotoGPチームに移った。

これによると[外部]様のテニスの腕がすごいらしい。


たまにスズキワークスピットに現れる人たち


日本語Wikipediaあり。ヨシムラスズキから全日本や鈴鹿8耐に出場しつつテストライダーを務める。

ヨシムラは名門プライベートチーム[外部]で、1970年代からスズキとの関係が非常に深く、
実質的に全日本や鈴鹿8耐におけるスズキワークスチームと言われるほどである。

テストライダーとして洋(スズキテストコース)やツインリンクもてぎでの走行データ収集に励む。
開発の中心として重責を担っている。スズキ公式サイトでのインタビュー記事あり。[外部]

2017年ヘレスGPでは負傷したアレックス・リンスの代役参戦を務めた。[外部]

和歌山県出身なので本人のTwitter[外部]では関西弁がときおり出る。

MotoGPライダー日本語Wikipedia[外部]あり。1997年は最大排気量クラスランキング3位に入った。[外部]

現在もなおテストライダーを務めており、そのためにガッチリ体を鍛えている。

スズキ公式サイト2015年[外部]2016年[外部]2017年[外部])や雑誌やネットMotoGPに関する各種知識を
惜しげもなく提供してくれるとても有難い人。

1993年に最大排気量クラスチャンピオンを獲得したスズキレジェンド日本語Wikipediaあり[外部]

イギリス人を筆頭に英語圏住民はキッツい皮を言うのが大好きである。
このことはMotoGPでも見事に当てはまり、強な皮を言う英語圏出身者がちらほら見られる。
ケーシー・ストーナージェレミー・バージェスジャック・ミラーカル・クラッチロー
スコットレディング、こういう皮屋が全員英語圏出身なのだ。

ケヴィン・シュワンツもまさしくそういう人で、皮も言うしズバリ直言もする。
遠慮しないで言いたいことを喋ってくれるのでメディアにとって大切な人である。MotoGP界ご意見番。

テキサス州出身で、サーキットオブジアメリカズの設立に深く関わった。
ゆえに同サーキットでは必ずスズキワークスのピットにやってくる。

2000年に最大排気量クラスチャンピオンを獲得したスズキレジェンド日本語Wikipediaあり。[外部]

日本ネット住民がたまに面がって日本人ライダーを「○○サン」と呼ぶのはこの人の影である。

サーキットオブジアメリカズにやってくることが多い。こちらは2017年の画像。[外部]

父親ケニー・ロバーツ・シニアで、ヤマハワークスに記述がある。

スズキ株式会社社長

鈴木修会長[外部]長男である。もともとは理系技術者だったが昇進してからは営業の仕事をしていた。

専務時代にアルヴァロ・バウティスタとロリス・カピロッシの表敬訪問を受けている。[外部]

2017年の日本GPにやってきている。[外部]アレックスやアンドレアと記念撮影している。[外部]


かつて在籍していたスタッフ



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最終更新日: 17/12/31 13:20
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