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セイウンスカイ


ヨミ: セイウンスカイ
掲示板をミル!
28カキコ!

セイウンスカイとは、1995年まれの競走馬1998年皐月賞菊花賞を制した二冠である。実は横山典弘騎手に最初の3歳クラシックプレゼントしたである。あれ?ライアンで獲ってないんだっけ?

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
セイウンスカイ(ウマ娘)」を参照して下さい。

概要


シェリフスター シスターミル ミルジョージという血統。・・・誰?シェリフスター?それもその。産駒が走らないために、セイウンスカイがデビューした時には、既に種引退。どこへともく消えてしまっていたのである。

用になった種である。期待なんてされているい。新人調教師であった保田一調教師の元に入厩してもそれほど立ったところはかった。もっとも、調教助手だけは「背中が良い」と思ったそうである。

しかしデビュー戦を6身差で圧勝すると次第に評価は高まり、ジュニアカップで物凄い逃げ切り勝ちを収めると「クラシックの有補!」と呼ばれるようになっていた。

弥生賞で終生のライバルとなるスペシャルウィークと初対戦。2着に敗れると、上が横山典弘騎手に変更になる。一跨りした横山騎手はその手ごたえにご機嫌になり「いつも武豊じゃぁ面くないでしょう」と不敵に笑ったそうだ。

その言葉通り、皐月賞では4コーナー先頭からまったく衰えない脚を繰り出して、キングヘイロースペシャルウィーク完封優勝した。この優勝が意外な事に、横山騎手にとって初めての3歳クラシックタイトルだった。

続くは当然ダービー。何しろは良く分からないが欧州血統。ミルジョージだし、距離延長は望むところ。横山騎手皐月賞を一本立てたように、この時点では三冠まで意識していたらしい。

しかしダービーキングヘイロー上の福永祐一騎手が当たるというアクシデントでやや掛ってしまい、4コーナーで先頭には立ったものの、スペシャルウィークの強襲、そしてを落としてまで追い捲った武豊騎手の執念の前に敗。4着。三冠の夢は破れた。

、セイウンスカイは京都大賞典に出走。なぜ当時のステップレースである京都新聞杯に出なかったのかというと、スペシャルウィークとの対決を避けたわけではなく、生来ゲートを苦手としているセイウンスカイが万一ここでゲート再審になる失態をやらかしてしまうと日程的に菊花賞へのが閉ざされてしまうため。ここには天皇賞に勝っていた、古の王者(長距離限定)メジロブライトが出走してきていた。他にもシルクジャスティスローゼンカバリー、ステイゴールドといった強い、流石にここは相手が強いか、と、思われたのだが。

大逃げして、引き付けて、直線前にまた離すという芸術的レースっぷりで、メジロブライトらを完封ブライトは狙い通りの物凄い末脚を発揮しており、あれで何で交わせないのかとブライトファン然とした。

ちなみに京都大賞典と同日に東の東京競馬場では史上最高のGⅡと名高いサイレンススズカ毎日王冠が開催されていた。GⅠ開催がないにも関わらず東西共にメンバーえ、どちらも逃げが押し切るという中央競馬史上でもしい事態に当日現地に訪れていたファンは熱狂した。

最高の予行練習を演じて菊花賞。しかしスペシャルウィーク京都新聞杯を楽勝してきており、一番人気スペシャルに譲った。しかしこレースで、セイウンスカイはファンある意味トラウマになってしまうような強レースを見せるのである。

スタートするとセイウンスカイは一気に行った。なんと3000mのレースなのに1000mを一分切るハイペースで入っていったのである。見守るファンはどよめいた。いくらなんでもオーバーペースなんではないのか?ダービー暴走が頭を過ぎる。

ハイペースを感じた武スペシャルウィーク以下の有は控えた。かっ飛んでいったセイウンスカイは一人旅で向こう正面へ。

・・・ん?なんかおかしいな?とファンが気が付いたのは第3コーナー手前である。なんかセイウンスカイの手ごたえがえらくユルユルだったのだ。それもその、セイウンスカイの10002000mのペース643。スローに落としていたのである。しかしハイペースだと思い込んでいた後続は差を詰めてこない。セイウンスカイは一息も二息も入れることに成功していたのだった。

つまり、この時点でスペシャルウィーク以下ライバルはセイウンスカイの術中にずっぽり嵌っていたのである。

残り1000mで一気にペースを上げたセイウンスカイ。スペシャル以下の後続も手綱をしごいて必死に追走するが、セイウンスカイは更にスピードを上げる。直線に入っても差は詰まらない。詰まるい。必死に追い込んできたスペシャルウィーク以下の壮絶な2着争いをに、ただ一頭次元の違うレースを展開してセイウンスカイはゴール。このレース実況した杉本清の「逃げた、逃げた、逃げた」は名フレーズの一つとして知られている。

菊花賞を逃げ切ったは実に38年ぶり。タイムレースどころか3000m芝の世界レコード最強世代と呼ばれたクラシックダービーこそ逃しはしたが2冠を達成したのである。

レースに勝つには、レースを支配すればいいのだ。こういうに。直線ヨーイドン競馬ばかりを見せられていた競馬ファンはセイウンスカイにそう言われた気がしたものである。そしてファンは、前週に逝したサイレンススズカに続く、圧倒的な強さを持つ逃げの誕生に熱狂した。

・・・しかし、セイウンスカイがこんなきを見せたのはこれが最後だったのである。

有馬記念は逃げたのだが、普通に捕まって、群に沈んだ。あれ?

まぁ、日経賞は勝ったが(ちなみに二着は同じを持つセイウンエリア)、天皇賞ではスペシャルウィークメジロブライトに、並ぶ間もなく交わされた。あれ?

札幌記念ではなぜか差し切り勝ち。え~?

挙句に天皇賞ではゲートを嫌がり、5分くらいもめた挙句逃げそこない、5着惨敗。あれ~????

あんなに強かったセイウンスカイはどこへ?とファンは頭の中を?マークで一杯にしたのだった。

しかし問題だったのは、ファンの頭の中に、菊花賞スペシャルウィークに影をも踏ませず逃げ切った、セイウンスカイの勇姿がこびりついていたことであった。もしもあんなレースをまたされたらも敵わない。そう思うと、どうしてもセイウンスカイを馬券で切れなくなってしまうのである。

その最たる物が、一年以上も屈腱炎で休んでの復帰戦。天皇賞であった。もう6歳。ライバルだったスペシャルウィークも既にいない。後輩の「世紀末覇王テイエムオペラオーやそのライバルメイショウドトウがいるここでは、いくらなんでも故障休養明け、一年半ぶりのセイウンスカイは苦しい。

そう思っているのに。そう分かっているのに。

切れない。同じ京都コースであの璧な逃げ切り勝ちを見せつけたセイウンスカイの姿がちらついて、どうしても切れない・・・。結局、セイウンスカイは6番人気に支持された。結果は逃げたものの、3コーナで終わって惨敗。最下位だった。ああ、やっぱりな。と思う反面、へろへろでゴールしたセイウンスカイを見るのは涙が出るほど辛かったものである。

結局、このレース引退。GⅠは皐月賞菊花賞しか勝てなかった。しかしながら掲示板を外したのはラストランだけという堅実な走りを見せ、用となってしまったシェリフスターの名誉を少なからず回復させたのであった。

同時期に活躍したサイレンススズカのように圧倒的なスピードで飛ばすタイプでも、他をねじ伏せるようなミホノブルボンのようなタイプでもない。緩急を操って他を翻弄するという玄人好みの逃げであった。故に大崩はしなかったが、実マークされると脆さも見せた。特に最大のライバルスペシャルウィークの末脚はやはり脅威だった。

になってからはゲート難に悩まされた。出遅れるのではなくゲートに入るのを極端に嫌がったのである。これがなければもう少し古G1でも活躍出来たんではないかと思うと残念である。

引退して種になったが、血統の悪さからかそもそも種付け依頼が極端に少なかったようである。牧場も商売だから仕方がいのだろうが・・・。

2011年死亡。このから毛の逃げの後継者が出てくれると信じていただけに、念。

GⅠ2勝、しかもどちらも格式の高いクラシックではあるが、古になってからGⅠに勝てていない。ゆえに、どうしてもスペシャルウィークより上には評価出来ないし、同期エルコンドルパサーグラスワンダーにも戦績として劣ると言わざるを得ない。

しかしながらあの菊花賞レース璧に支配し、こんなにどうやって勝つんだとファンに思わせたあのレースの時だけは、セイウンスカイは世代どころか史上最高の逃げであったと断言出来る。あの時の衝撃を上回るレースをした逃げはその後、現れていない。

毛の逃亡者セイウンスカイ。彼の雄姿はあの日の青空の色と共にファンに強に焼きついている。


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最終更新日: 19/12/26 14:30
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