ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


セントライト


ヨミ: セントライト
掲示板をミル!
16カキコ!

セントライトとは、日本競馬史上初の三冠馬である。


概要


1941年に三冠馬となったである。1941年と言えば日中戦争中。もうすぐ太平洋戦争も始まろうかというきな臭い時代だった。競馬も「軍育成のため」という名で行われていた。

セントライトは背が高いで体高が166cmもあったという。軍にあんまり大きなは相応しくないということで、この時代の競走馬には体高規制があった。このため、危うくセントライトは競走馬になれないところであったのだが、直前に規制が撤された(上手い事ごまかしたという話もある)おかげで競走馬になれた。

またそれだけ大柄なであっただけに仕上がるのはもう少し先と思われていたのだが、調教で同厩同の期待を抑える姿を見たによりデビューの繰り上がりが決定。この決断がなければ三冠に間に合わないところであった。
(なおこの時の調教手ブランドソールはこの年の桜花賞である。)

通算成績は12戦9勝二着2回。3歳でデビューして、三冠達成で引退してしまったので、競争成績が3歳時のみというしい戦績の三冠馬である。それでも12回も走っているのは凄い。

当時の三冠横浜競馬場(今はない)で行われた横浜省賞典四歳呼(今の皐月賞)と東京優駿菊花賞に当る京都省賞典四歳呼で、1938年に出来上がったばかりだった。ちなみに、セントライトは府中所属で、横浜競馬場までは歩いて(!)9時間。京都までは貨車に揺られて二泊三日掛かったそうだ。

最初の三冠馬なのだから当然だが、物凄く強いであった。なにしろダービーを8身差で勝っている。これは現在でもダービー史上最大着差タイ記録である。その割りに3回も負けているのだが、負けた相手は全て古。しかも66kgとか背負っての話なのだ。

三冠馬達成後、引退して種になった。当時は強いには容赦く斤量を背負わせたので、セントライトにはもう出られそうなレースかったのである(72kg背負わされそうになったらしい)。種となってからは天皇賞を2頭、菊花賞を1頭出しており、これも一流と言って良いだろう。戦争によるの死、GHQによる繋養先の業等の問題がければもっと良くても良かった。

また兄弟達も優秀でセントライトを含む4頭(タイホウ、クリヒカリトサミドリ)が八大競争を勝利。特にトサミドリは種成績が評価され、セントライトと同時に顕彰馬に選出。現在時点では、一の兄弟殿堂入りを果たしている。

1965年2月1日シンザン三冠を達成(1964年11月)した数ヵ後にまるで安心したかのように死亡。27歳(旧表記28歳)の大往生であった。これにより、日本三冠馬はセントライト誕生以降から現在まで(2019年現在)、どの時代にも最低1頭は存在することとなった。

菊花賞のステップレース、セントライト記念は彼を記念して設立されたレースである。


関連動画



■sm4997315[ニコ動]

■sm33379286[ニコ動]


関連コミュニティ


■co374


関連項目



最終更新日: 20/01/10 01:51
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ