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ダニロ・ペトルッチ


ヨミ: ダニロペトルッチ
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ダニロ・ペトルッチ[外部]とは、イタリアウンブリア州テルニ[外部]出身のオートバイレーサーである。

1990年10月24日生まれ。

2012年からMotoGP最大排気量クラスに参戦を開始した。
2015年から2018年までプラマックレーシングに在籍した。

2019年ドゥカティワークスに昇格することが決まっている。


ゼッケン、ヘルメット、愛称


ゼッケンは9番を用している。

ヘルメットX-Lite[外部]契約している。これはイタリア企業Nolan[外部]ブランド

ライダースーツREV'IT![外部]契約している。同社は1995年オランダで創業した。
こちら[外部]日本公式サイト

称はPetruxペトラックス)で、ライダースーツのお尻にプリントしている[外部]
ピットの壁にも書かれている[外部]

ゴリラを描いたスペシャルヘルメットを用意することがしばしばある。画像1[外部]画像2[外部]画像3[外部]


戦績


ダニロ・ペトルッチは異色の経歴を持っている。

moto3moto2を経験していないし、スーパーバイクスーパースポーツも経験していない。
世界選手権をほとんど走った経験がないまま、いきなりMotoGPの最大排気量クラスに飛び込んだ。

数合わせのための参戦としか言いようがない立場から、ドゥカティワークスにまで出世した。

トライアルやモトクロスでレースを始める

1998年10月、8歳になってライセンスを得てから、ダニロはミニトライアルを始めた。
トライアル[外部]とは岩山をオフロードバイクでよじ登る競技で、こんな感じの競技[外部]である。
乗ったバイクBeta[外部]というイタリアオフロードバイクメーカーのものだった。

2000年にはミニトライアルイタリアチャンピオンになった。この大会はLEM催した。
LEMとは、イタリアパルマ子ども向けバイク製造企業である。公式サイト[外部]公式Facebook[外部]あり。

それと行して、ミニモトクロスも始めた。
モトクロス[外部]とは、起伏のある土の路面をオフロードバイクジャンプしながら走る競技である。
2000年にLEM2001年カワサキ2002年スズキ2003~2004年ホンダ
2002年から2004年まで、イタリア内のどこかの地方でのチャンピオンになったという。

ロードレースに転向。市販車レースを繰り返す

2006年16歳になる年に、彼はロードレースに転向した。
ロードレースアスファルトで舗装した路面を走る競技である。

このころ既に体格が大きかったので、2スト125cc4スト250ccのような軽排気量のマシン
彼には合わなかった。そういう排気量のバイクは小さな人向けに作られていて乗りにくい。
このため、すぐに4スト600ccバイクレースに挑むことになった。
2006年ホンダCBR600のワンメイクレースに出場、2007年ヤマハYZF-R6ワンメイクレースに出場。

20082009年ヤマハYZF-R6に乗って「スーパーストック600cc欧州選手権[外部]」に出場。

このシリーズ2005年から2015年まで続いた4スト600ccバイクレースで、
歴代チャンピオンにはクラウディオコルティ、シャヴィエルシメオンロリスバズジーノレイ
マイケルファンデルマークフランコ・モルビデリといった面々が並んでいる。

また2009年にはヤマハYZF-R1に乗って「スーパーストック1000ccイタリア選手権」に出場。
19歳になる年でくも4スト1000ccの大排気量マシンにまたがることになった。

2009年欧州選手権もイタリア選手権も成績が良く、勝利ポールポジション獲得を何度も果たす。
好成績を上げたことで、チーム・ペデルチーニ[外部]という名門からがかかる。
2010年は同チームから「スーパーストック1000ccFIM選手権[外部]」と「イタリアスーパーバイク[外部]」に参戦。
前者はスーパーバイクの前座で行う補助レースで、後者イタリア内選手権。
乗ったバイクカワサキZX 10Rであった。

2011年はさらに良いチームに入った。
イタリア二輪連盟[外部]略称FMI。日本MFJと同格の団体)が作るチームイタリアに在籍し、
バルニ・レーシング[外部]というチームが整備するドゥカティ1098Rに乗り、勝利を積み重ねた。

また、2011年にはドゥカティからがかかり、ドゥカティテストライダーにも就任した。

ここまでを振り返ると、ダニロが乗っていたのはことごとくであった。
というのはプロトマシンレースマシン)にべて色々と完成度が少し低い。

MotoGPライダーは、スペイン選手権やレッドブルルーキーカップの頃からずっとプロトマシン
乗って育っていくことが多いので、ダニロのたどったのりはまさしく異色の経歴と言えるだろう。

本来なら、ここからのダニロは、スーパーバイク世界選手権に参戦の場を移して行くと思われた。
ところがなんとMotoGPの最大排気量クラスに参戦するチャンスをもらうことになった。

MotoGP最大排気量クラスの数合わせに呼ばれる

2012年MotoGP最大排気量クラスにおいてCRTが導入された。
この当時のヨーロッパは不気で、最大排気量クラスの参加台数が減していて、運営なんとかして
グリッドの台数を増やそうとした。そして辿り着いた結論はCRTである。

CRTとはなにかというと、Claiming Rule Team略称である。

シャーシはプロトマシンレースマシンを作り慣れた企業によって良いシャーシを使うことができる。

ところがなんと、エンジンエンジンを使わなければならなかった。
大な開発費を投入して高性エンジンを作っても良かったのだが、なんと既存の参戦チームには
たったの2万ドル(約200万円)でCRTチームエンジンを安く買い取る権利があったのである。
この買い取り行為のことをClaimと言ったので、そういう名前になった。

数十億円掛けて必死の思いをしてエンジンを作り上げても、200万円で買い取られる。
買い取られたら、好き放題にエンジン分解され、最新技術の全てを分析される。
そういうわけで、CRTマシンに高額・高性エンジンを積むわけにはいかなかった。

そんなCRTマシンがグリッドに9台ほど並んだのが2012年シーズンだった。
案の定というか、絶望的に遅い。ムジェロサーキット最高速べると、
ドゥカティワークスが時速344kmでCRT勢が時速325kmである。

トップスピードが5km遅れるとスリップストリームを使っても直線で前に出られない。
トップスピードが10km遅れると全く勝負にならない」といわれるが、20km差じゃどうしようもない。

そういう数合わせ集団のなかにダニロは迎えられた。
入ったのはイオダ・レーシングというチームで、監督ジャンピエロ・サッキ[外部]チーフメカ
ジョヴァンニ・サンディ[外部]であった。この2人は90年代アプリリアワークスで活躍していた。
ジャンピエロ・サッキはマックス・ビアッジやヴァレンティーノ・ロッシのときのチーム監督
ジョヴァンニサンディはビアッジ・原田哲也ホルヘ・ロレンソチーフメカを歴任した大ベテラン

優秀なスタッフの支えにも助けられ、2012~2013年は奮戦、18回もポイント獲得を果たした。
あの貧弱なCRTマシン戦闘力を考えると、これはまずまずの戦果だっただろう。

2014年ARTというアプリリアマシンに乗ることになった。このマシンアレイシ・エスパルガロ
ランディ・ド・プニエが好成績を残してきたのでダニロも期待できたが、ところがなんと、
この年からCRTマシンを含むオープンクラスマシンマニエッティ・マレリの電子制御ソフト
強制されるようになった。ARTマシンアプリリアが自社開発した電子制御ソフトを前提として
作ってあるので、マニエッティ・マレリの電子制御ソフトがどうにもこうも合わない。
ポイント獲得を6回果たすに留まった。

こうして、イオダ・レーシングにおける3年間の挑戦が終わった。

イオダ・レーシングは財政難に陥ったらしく、ジャンピエロ・サッキ監督2014年6月
チームが撤退するかもしれない。自分でチームを見つけてくれ。」とダニロへ通告している。

2015年に運良くプラマックレーシングに加入 雨のイギリスGPで大躍進の2位

最大排気量クラスでのシートを失う可性があったダニロだったが、ここで幸運に恵まれ、
ラマックレーシングに移籍できた。

2015年スズキワークスが復帰した。また、MarcVDSの最大排気量クラス参戦が1年く前倒しされた。
このため有ライダーがそれらのチームへ移籍してしまい、プラマックレーシングの席が余った。
このため、ダニロは幸運にもプラマックレーシングに移籍できた。
チームメイトのヨニー・エルナンデスよりも劣るマシンを回されたことからも、
あまり期待されていなかったことがわかる。

ところがダニロは予想以上の好走を続ける。開幕から11戦連続でポイントを獲得し、迎えた第12戦の
イギリスGP、舞台シルバーストンサーキットだった。ここでダニロは2位大躍進した。
前年までCRTの貧弱マシンに乗っていてプロトタイプマシンに乗るのが2015年が初めてで、
ルーキーに毛が生えた程度の存在だったはずなのに、見事なキャリア初表台だった。

18番手スタートダニロは1周を終えた時点で既に9番手に上がっていた。
8周13コーナー(Villageコーナー)でホルヘ・ロレンソをとらえ、3番手浮上[外部]
このときダニロは「ミスってホルヘを転倒させたらどうしよう」とばかり考えていたという。

13周2番手走行中のマルク・マルケスが1コーナーで転倒[外部]ダニロは「マルクの転倒を見て、
自分も転倒するんじゃないかと怖くて仕方がなかった」とっている。

決勝後の記者会見では「最終ラップ最終コーナーでは、『夢なんじゃないか』と思ってた」
ペドロサやロレンソの真後ろに付けるなんて、プレステのゲームの中でしか経験していなかった[外部]
と放心したような表情でっていた。

2015年はその後も6位入賞を2回果たした。サテライトチームライダーとしては成功の部類に入る。

スコット・レディングとの最新型マシン争奪戦に勝った2016年

2016年チームメイトスコットレディングになった。
この年はプラマックレーシングの2人とも同じマシンを与えられ、「2017年はプラマックレーシング
最新マシンを1台だけ供給する。どちらに供給するかは、2016年の成績で決める」と宣告された。

チームメイト同士の過酷なサバイバルをすることになったが、なんとダニロは開幕前に骨折[外部]
開幕戦から第4戦までを欠場してしまい、大きく出遅れることになった。

普通ならこれで焦りが出てミスを連発するものだが、ダニロは持ち前の勝負強さを発揮し、
第5戦からの14戦をシングルフィニッシュ7回ノーポイント3回とまずまずの成績でまとめ上げる。
対するスコットレディングは18戦でシングルフィニッシュ7回ノーポイント6回となり、
僅差でダニロが勝利と判定され、2017年の最新マシンを手にすることになった。

最新型マシンを手にして4回表彰台に上がった2017年


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最終更新日: 18/09/08 13:12
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