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チェコ


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基本データ
正式名称 チェコ共和国
Česká republika
国旗 チェコ国旗
国歌 我が故郷いずこ[動]
菩提
公用語 チェコ語
首都 プラハ(Praha)
面積 78,866k世界114位)
人口 1000万人(世界79位)
通貨 チェコ・コルナ(Kč, CZK)

チェコとは、中央ヨーロッパに位置する内陸である。2004年欧州連合EU)に加盟した。

概要

正式名称は「チェコ共和国」、チェコ語では「チェスカー・レプブリカ(Česká republika)」。チェコ語の通称は「チェスコ(Česko)」「チェヒ(Čechy)」。なお「チェヒ」は、内の一地方名のことも意味するため、としてのチェコを表現する場合は内外を問わず「チェコ共和国」のが用いられることが多い。
2016年4月、チェコ政府外国語での名表記について、ラテン語の「チェキア(Czechia)」の使用を要請する明を発表した。これは前述の「チェコ共和国(Czech Republic)」が長々しいためだが、内でも異論があり、定着するかどうかは未知数である。なお、チェコ外務省1993年にもチェキアの呼称を提案しているが定着していない。

1993年にチェコスロヴァキアがチェコとスロヴァキアに分離して成立。この分離は武衝突を伴わず平和に行われたことから、西側諸では滑らかな布にかけて「ビロード離婚(Velvet Divorce)」と呼ばれており、「離婚」後も両間の関係は良好なものとなっている。

西部のチェヒ(ボヘミア)、東部のモラヴァ(モラヴィア)、北東部のスレスコシレジア)の3つの地方からなる。面積北海道より少し狭く、人口は東北地方よりやや多い。

歴史

チェコの歴史は、神聖ローマ帝国オーストリアハンガリー二重帝国ナチス・ドイツソビエト連邦などの周辺各勢の影が非常に大きい。

出来事
9世紀 モラヴィア
10世紀前半 マジャル人侵入の影で大モラヴィア崩壊
10世紀初頭 プシェミスがチェヒを建
921年 ボヘミアが成立、ヴァーツラフ1世(のちにボヘミアの守護人に)が国王に即位
1003年 ポーランドボレスワフ1世がチェコを武制圧
1004年 プシェミス神聖ローマ帝国に臣従、ボヘミアの座を取り戻すとともに神聖ローマ帝国の領邦となる
11~14世紀 ドイツ人、ユダヤ人の移住が進み、ドイツ文化が浸透
1212 ボヘミア王の称号と世襲が承認され、選侯となる
1310年 プシェミス断絶、ルクセンブルクボヘミア王を継承
1346年 国王カレル1世神聖ローマ皇帝カール4世に即位
15世紀初頭 プラハカレル大学総長ヤン・フスによる教会
1414年 コンスタンツ会議にてフスが異端として火刑に処される
1419年 フス信者市長らを庁舎のから放り投げる(第一次プラハ窓外放擲事件
1419年 フス信者神聖ローマ帝国カトリック教会のあいだにフス戦争勃発
1436年 神聖ローマ皇帝とフス穏健が停戦、フス戦争終結 急進はフスの内部抗争で壊滅
1437年 神聖ローマ皇帝アルブレヒト2世が即位、ボヘミアハプスブルクの支配下におかれる
1618年 新教弾圧に反発した民衆が国王の使者をプラハから放り投げる(二次プラハ窓外放擲事件
1618年 ボヘミアの新教諸侯たちとハプスブルクの諍いから三十年戦争勃発
1620年 白山の戦いでボヘミア諸侯軍が大敗、新教貴族外追放や財産没収などを課せられる
1638年 スウェーデン軍がボヘミア侵攻、土荒
1648年 ヴェストファレン条約で新教徒の権利が認められるも、ボヘミア王位ハプスブルクの世襲となる
1741 オーストリア継承戦争により、シュレージエンシレジア地方の大半がプロイセンに支配される
1918年 スロヴァキアとともにチェコスロヴァキア共和としてオーストリアハンガリー二重帝国から独立
1938年 ズデーテン地方ナチス・ドイツに割譲、更にはポーランドハンガリーにも領土を割譲
1939年 ナチス・ドイツ進駐、チェコスロヴァキア共和解体 チェコは「ボヘミアモラヴィア保護領」となる
1940年 ロンドンにチェコスロヴァキア共和亡命政府が成立
1945年 ナチス・ドイツ敗走、ソ連軍によって「解放」される
1945年 ベネシュ大統領ドイツハンガリー系住民の追放を命250万人に及ぶドイツ系住民が追放される
1948年 ソ連の圧によるクーデター共産主義政権が成立(二月革命
1948年 非共産系のヤン・マサリク外務大臣が外務省敷地にて転落死体として発見される(三次プラハ窓外放擲事件とも)
1968年 ドゥプチェク第一書記による共産体制革(プラハ
1968年 ルシャワ条約機構(WTO)軍による軍事介入(プラハ事件)、革は頓挫
1989年 大規模な民主デモの結果、流血の事態なく共産党体制が終焉(ビロード革命
1993年 スロヴァキアと分離、チェコ共和国が成立(ビロード離婚
1995年 経済開発機構(OECD)に加盟
1999年 北大西洋条約機構NATO)に加盟
2004年 欧州連合EU)に加盟

経済・産業

要産業は機械工業、化学工業、および観光業。企業では100年以上続く老舗自動車メーカーのシュコダ(現在フォルクスワーゲン子会社)や、大トラックに製造するタトラ、学機器のメオプタなどが知られる。

それまで帝国で最も工業化が進んでいたシレジア地方オーストリア継承戦争プロイセンに奪われたため、マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は代わりにボヘミアの工業化を推進。くから綿工業、製糖業、ガラス工業などが発達した。チェコスロヴァキア共和成立時にはオーストリアハンガリー帝国の工業資産の4分の3を継承し、世界有数の工業となっていた。

兵器分野でも工業を発揮し、第二次世界大戦のころは戦車機関銃の製造で名を馳せていた。ドイツがチェコを併合した際に戦車産業をそっくり頂き、これがドイツ機甲師団の快進撃につながった。機関銃は遠く離れた中華民国へ輸出され、それを鹵獲した日本軍に「故障知らずのチェッコ機関銃」と絶賛された。こうした兵器産業を支えていたのがシュコダ財閥で、当時欧州最大級の財閥だった。

第二次世界大戦が終わるとチェコ全域が共産圏に入り、ソ連の影下に置かれた。兵器産業で名高いチェコが東側に入ったのを見て、当時の西側諸には強い衝撃が走った。

共産党政権が崩壊すると計画経済から市場経済に移行。革命後、工業化の進んだチェコと農業であったスロヴァキアの間にあった格差などから混乱が生じたが、ビロード離婚によって分離をはたしたことや、西側諸からの企業進出の増加などによりプラス成長を遂げ「チェコ経済奇跡」とも呼ばれた。1997年の通貨危機などから一時マイナス成長を記録したが、直接投資拡大により再びプラス成長に転じた。

以降も高い成長率を維持し続けたが、輸出依存の高いチェコは2008年危機の影を免れることができず、急速に気が低迷。その後ドイツなどの経済回復によって2010年にはプラス成長に回復するも、翌2011年には欧州経済危機の影で、再び成長が鈍化している。

近年、特に欧州連合加盟後においては外資系企業の過剰進出が労働者不足を招き、均給与の上昇が企業利益を圧迫する事態が起きている。

なお、欧州連合EU)加盟ではあるがユーロは導入されていない。


ボヘミアングラス


[画像][外部]

チェコの伝統産業の中でも特筆すべきものがボヘミアングラスである。9世紀頃にビーズ指輪など装身具の材料ガラスが使われたのがはじまりとされ、その文化と技術が発展を遂げながら現在まで継承された。

最初はチェコの首都プラハの宮殿で好評を博し、そしてチェコに近いウィーンの宮殿にも出荷されるようになった。欧州中から人が集まるウィーンでも大人気となり、欧州ボヘミアングラスの名がとどろくことになった。

オーストリアクリスタルガラスメーカースワロフスキーの創始者であるダニエルスワロフスキーも北ボヘミアハンドカットクリスタル職人の生まれである。

繊細なデザインなどから土産物としても世界的に人気があり、特に観光地としても有名なプラハ内にはガラス細工を取り扱う店が非常にたくさん存在する。ガラス細工だけに当然壊れやすいので、お土産として持って帰るときにはうっかり壊さないよう注意が必要。

文化


食文化


伝統的なボヘミア料理ドイツオーストリアハンガリーなどの影を受けながら発展してきたのが現在のチェコの食文化である。寒いため野菜果物、内陸のため魚介類が不足しがちでカロリー過多との摘もあったが、近年際化の影善が見られるようになった。

小麦粉牛乳を練り混ぜ、円筒形にして茹でたクネドリーキという料理が名物。イタリアのニョッキや日本のすいとんに近いもっちりとした食感で、味はあまりない。このため肉料理の付け合せ(ソース汁にからめて食べる)やスープの具などとして食卓に出される。ジャガイモを原料にしたものや、イチゴアンズなどの果物を入れ、チーズバターナッツをかけて菓子として食されるものもある。

酒類


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最終更新日: 19/07/07 13:54
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