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ツタンカーメン


ヨミ: ツタンカーメン
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ツタンカーメンとは、エジプト第18王ファラオ。トゥト・アンク・アメン。(紀元前1342?~紀元前1324?)


概要


おそらくエジプト史に興味がない、世界史を全く履修していないような人でも知っている有名なファラオの一人。その王としての政策は、に包まれているとはいえそれほど卓越したものであったものではない。ようだが、そのミイラや副葬品の見事さから有名になっている。

9歳で即位。ツタンカーメンのアメンホテプ4世といい、簡単に言うとそれまでのエジプトの多教を否定したり、現在でもいくつかの村があるだけの地方遷都するなどそれまでのエジプトをひっくり返すようなことを行った人物であった。ツタンカーメンはその混乱を元に戻し、18か19歳で死んだとされている。その死は暗殺説や病死説などがあるが、もともといくつかの奇形を患っており、どちらかと言えば病弱だったようだ。


知名度について


エジプトファラオと言えばっ先に上がる名前の一人ではあるが、9歳で即位19歳で死亡という幼年の王、しかも病弱な体のために立った功績は残せていない。また、父親のやらかしに巻き込まれて一時はその存在さえ抹消されていた。同じくファラオと聞いて名前が上がるであろう三大ピラミッドを立てたクフ王らやエジプト最大の版図を築き上げたラムセス2世とは較にすらならない弱小なファラオと言える。

そんな彼が現代においてこれだけの知名度を誇るのは、近代になってから墓がほぼ傷な状態で発見されたからである。1922年に発見された彼の墓はほぼ傷な状態で残っており、ツタンカーメンのミイラも、有名なマスクに代表される副葬品もほぼそのまま残されていた。これは墓泥棒が数千年間活動してきたエジプトでは非常にしい事であった。この世紀の大発見は世界中に報道され、ツタンカーメンの知名度を大いにあげた。

また、発掘された副葬品のさもまた人をひきつけた。前述した通り、ツタンカーメンはさほど偉大なファラオではなく、当時のエジプトは決して最盛期ではなかったが、それでも数々の副葬品を治めるだけの豊かな経済を維持していたのである。

そして、ツタンカーメンの知名度をさらに上げたのが彼が発掘された後のミステリーである。ツタンカーメンの墓の発掘調の資援助をしていたイギリス人のカーボン卿は墓の発掘直後にの死を遂げている。この死は『ファラオの呪い』によるものだといううわさが広まり、その後も関係者の死が報じられたことで呪いの話と共にツタンカーメンの名前も広まることになった。


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最終更新日: 18/05/10 00:36
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