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ディズニー


ヨミ: ディズニー
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ディズニーとは、アメリカの大手エンターテイメント企業ウォルト・ディズニー・カンパニー、同社の創業者ウォルト・ディズニー、同社による映画音楽キャラクターテーマパークなどのコンテンツ及びそれらの総体としてのブランドす。


ウォルト・ディズニー・カンパニー (The Walt Disney Company,WDC) とは、アメリカメディア・コングロマリットである。日本法人はウォルト・ディズニー・ジャパン(WDJ)株式会社である。


概要


ディズニーはアニメーション映画およびテーマパークで有名だが、「アメリカ3大ネットワーク」の一であるABC下に収め、同放映局や自社TVチャンネルにおける番組放映及び放映番組の制作なども行うメディア・コングロマリットである。本社所在地はカリフォルニア州バーバンクサウス・ブエナ・ビスタストリート500番地。従業員は子会社含め約20万人。2020年現在CEO(最高経営責任者)はボブ・チャペック氏。

現在、以下の4つの事業を展開している。

  1. メディアネットワーク事業
    ケーブルネットワーク運営TV局・ラジオ局の運営TV番組・ラジオ番組の制作・放送・配給など
  2. パークス・エクスペリエンスプロダクツ事業
    テーマパークテーマリゾートの開発・運営など
  3. スタジオエンターテイメント事業
    映画制作・配給、映画音楽制作・配信など
  4. ダイレクト・トゥ・コンシューマー&インターナショナル事業
    小売販売や動画ストリーミングサービス運営など

歴史


1901年12月5日ウォルト・ディズニー(本名ウォルター・イライアス・ディズニー)はイリノイ州シカゴにてフローライライアスの4男として生まれる。当時一家は貧しく、イライアスは何度も事業を失敗し、仕事を変えながら引っ越す生活を繰り返していた。イライアスはとても厳格で子どもも厳しく育てていたので、ウォルト自身幼少期にはあまり良い思い出がないようである。例外はミズーリ州マーセリンに住んでいた時期で、ウォルトにとって幼少期の重要な出来事はほとんどこのマーセリンで起こった、と後年回想している。大人になってもこの時期の経験は心に残り続けていたらしく、ディズニーランドの玄関口であるメインストリートUSAはマーセリン並みをモデルとしている。(TDLワールドバザールもそうである)

1914年に第一次世界大戦が始まると、ウォルトも他の多くのアメリカ人同様に、義に傾倒し、愛国心が芽生えていた。17歳の時には軍にも志願したが、17歳では若すぎると断られたので、今度は年齢を詐称し、赤十字の救急隊に入隊、フランス派遣され後方支援を行う。第一次世界大戦が終わり帰すると、の会社に用意されていた就職口を蹴り、地元の広告会社でデザイナーとして働き出す。ここで出会ったのが天才アブ・アイワークスである。2人は仕事でもプライベートでも親密になり、「アイワークス・ディズニー社」という広告デザイン会社も立ち上げたが、すぐにウォルトは「カンスシティ・スライド社」にアニメーターとして雇われることになり、アイワークスを置いて行ってしまう。

1921年になると、ウォルト独立し「ラフォグラム」というアニメ会社を設立する。 しかしウォルト・ディズニーは、アーティストとしての才は抜群でも、経営者にはお世辞にも向いているとは言い難い。それがまず災いしたのがこのラフォグラム社であろう。ウォルトは作品を作るに当たり、芸術として妥協を許さなかったので、制作を湯のごとく使い、会社はすぐに財政難に陥る。途中、アニメーションの中に実写を組み込むという新なアイデアを出し、ルイスキャロル原作不思議の国のアリス」を用いてアリスコメディ制作したが、時すでに遅し。銀行はもはや融資をしてくれなくなり、1922年、ラフォグラム社は1年足らずで倒産する。

さすがウォルトも半ば諦めかけていると、ウィンクラー社の社長であり、ニューヨークディストリビューターでもあったマーガレット・J・ウィンクラーからアリスコメディに関する契約を結びたいと連絡が来る。このチャンスを逃すまいと、ウォルトロイオリヴァー・ディズニーを説得し、1923年10月16日、2人で「ディズニー・ブラザーズカートゥン・スタジオ」を共同設立。ディズニー社誕生の間である。(今から考えれば、このときウォルトが1人で独走せずロイの助けを借りたのはファインプレーであった。ロイは堅実な性格で経営もあったので会社の財務などを担当し、予算面からウォルトを支えたのだ)加えて、ウォルトアブ・アイワークスも誘う。これも今から考えれば超絶ファインプレーだ。

ウィンクラーとの契約により、1924年3月1日に最初のアリスコメディである「Alice’s Day At Sea」(アリスでの1日)がリリースされ、その後3年間は「アリスコメディーシリーズ制作し、人気を博した。プライベートでは当時ディズニー社で働いていたリリアンバウンズとの社内結婚も果たす。1926年には社屋もハイペリオン通りに新設し、社名を「ウォルト・ディズニースタジオ」に変更。

アリスコメディーに続き、1927年制作した「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」(しあわせウサギのオズワルドシリーズ大人気となるが、なんと翌年の1928年、契約上、オズワルド著作権は、ウォルトではなく、ウィンクラーの夫でありウィンクラー社の共同経営者でもあるチャーリー・ミンツにあることが発覚。ミンツは今後オズワルドウォルト抜きで制作すると決め、ディズニー社の社員の引き抜き工作まで行う。ほぼ全ての社員が引き抜かれたが、アブ・アイワークスウォルトを裏切らず引き抜きに応じなかった。アイワークス・ディズニー社のときはウォルトは自分を置いてカンスシティ・スライド社に行ってしまったのに、アイワークスさん、健気…(しかもアイワークス事前ウォルトに「ミンツが々の引き抜き工作をしている」と忠告していた。にもかかわらず、楽観的なウォルトはそれを全く信じなかったらしい…)

絶望状態だった中、もうオズワルドの失敗は繰り返さぬと生み出した新キャラクターこそ、あの世界一有名なネズミミッキーマウス」である。ちなみに、オズワルドミッキーも、デザイン完成させたのはウォルトではなくアイワークスである。実はデザイナーとしての純画力センスウォルトよりもアイワークスのほうが上というのが多くの人の一致した見解である。つまり、皮にもミンツが一引き抜きに失敗したアイワークスこそが、(ウォルトを出し抜くために)ミンツにとって一番必要な人材だったのだ、アイワークスさんを引き抜けなかった時点で勝負は決まっていた…

ミッキー出演作として、まずはサイレント映画無声映画)として「プレーン・クレイジー」「ギャロッピング・ガウチョ」の2作を制作する。しかし、当時の映画界はちょうどサイレント映画からトーキー映画(音のある映画)に移行しようという時代だった。そこでウォルトミッキーを売り込むためにトーキー映画を作ろうと提案し、制作されたのが「蒸気船ウィリー」である。したがって制作順ではプレーン・クレイジーが初だが、開順では蒸気船ウィリーが初作品である。一般的には、初開作品である蒸気船ウィリーミッキーデビュー作とされる。1928年11月18日蒸気船ウィリー開されると、く間にミッキースターへの階段を駆け上がっていく。デビュー翌年の1929年から世界恐慌が起こったことも当時のアメリカ人がミッキーのような悪役を倒し成功する典的なヒーローに惹かれた理由の1つだろう。

ミッキー人気になると、ディズニー社は他社商品にミッキーを利用するライセンスを付与し、ライセンス料を受け取るというビジネスを開拓する。食器、歯ブラシ時計ラジオなど、いろいろな商品にミッキーデザインされ、ライセンス料による収益は映画行収入と同じかそれ以上のものとなった。ご存知の通り、ディズニー社は現在でもこのビジネスを積極的に行っている。

ディズニー社はミッキーシリーズに並行して、1929年の「スケルトンダンス」(骸の踊り)以降、「シリー・シンフォニー」といわれる一連のシリーズを開始。1932年には、「シリー・シンフォニーシリーズの1つであり、世界初のフルカラーアニメーション作品である「と木」(Flowers and Trees)が開。と木は、ちょうどこの年から創設されたアカデミー賞短編アニメ部門を受賞。以後、ディズニー社はアカデミー賞の常連となる。

1934年になると、ウォルトグリム童話の1つ「白雪姫」を原作とした長編作品を作ろうなどという突飛なことを言い出す。当時のアニメは、ギャグを中心とした短編作品が流であり、「ストーリー性」のある長編作品を作るという発想自体がほとんどなかった。そもそも長編作品を作るだけの予算・制作期間・人員が確保できないという事情もある。ウォルト毎日のように白雪姫の話を聞かせ徐々に社員を説得し、制作にこぎつけるが、やはり大な予算と制作期間がかかることになる。開前には「ディズニーの楽」とも揶揄された。しかし、1937年12月21日世界初の長編カラーアニメーション映画白雪姫」が開されると、観客は白雪姫の虜となり、それまで「自動で動く紙芝居」「子供だまし」としか思われていなかったアニメーション芸術として認められ、計8部門のアカデミー賞を受賞し、大な制作費用を余裕で回収するさらに大な収益を上げることになる。

だが、白雪姫の大成功も束の間、この後、ウォルト自身やディズニー社にみかけるように危機が訪れる。

白雪姫の大成功の後、ウォルトロイは両親にプレゼントするが、このが欠陥住宅で、ガス漏れ事故があり、フローラ死亡。一方、ディズニー社は白雪姫に続いて、イタリアの童話を原作とした「ピノキオ」と、クラシック音楽アニメーション融合させた世界初のステレオ映画ファンタジア」の制作を行う。作品としてはどちらも名作だが、開当時、既に第二次世界大戦が始まっており、海外への輸出がほとんどできなくなったことと、ステレオ映画を上映できるような音響設備のある映画館がほとんどなかったことで大赤字に。白雪姫けたお金をほぼ使い果たす。事態はそれだけでは終わらない。

実は白雪姫の大成功の後、ディズニー社は生産体制の確立のため人員を大幅に増やしており、幹部と末端社員の給与面での格差が非常に大きくなっていた。人員増に伴い、式を発行して資を捻出した上で、充実した設備の新社屋も建設したが、幹部しか利用できない福利厚生施設もあった。不満を募らせていた社員たちは、労働組合の結成も視野に入れ始めるが、ウォルトはなんと全社員の前で「組織に貢献した者が優遇されるのは当然だ。君たちも文句を言う暇があったら、示される前に自分で考えて働きなさい」という趣旨の大演説をしてしまう。もちろん彼にしてみれば正論を言っただけなのだろうが、言うまでもなくこの演説は火に油を注ぐ結果となり、大半の社員が労働組合に入った。さらにその後、グーフィーの生みの親である大物アニメーターアート・バビットを組合活動を理由に解雇。(モチーフとした人気キャラクターグーフィー」を生み出したアート・バビットは最後まで「会社の」になることに抵抗したのだ)これが命取りとなった。


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最終更新日: 20/03/19 14:46
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