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ハギノカムイオー


ヨミ: ハギノカムイオー
掲示板をミル!
6カキコ!

ハギノカムイオーとは、日本の元競走馬・種である。
昭和の一大血統である「麗なる一族」の流に生まれた鹿毛だけど。 


華麗なるゴールデン・ボーイ


日高の救いのこと大種テスコボーイは度重なる不運にも負けず名と呼ばれたイットー、はヴェンチアという血統。
ピカピカの血統と体で引く手あまたであったが、テスコボーイ産駒はセリに出されるのが決まりであったためセリに出された。
このセリでの最高落札額は5000万円であったが、このは半端なじゃない。お台がなんといきなり8000万円。いきなり新記録確定である。
ハギノトップレディが新戦を当時の日本レコードで逃げ切ったこともあり、どんどん競り上がり、1億8500万円で落札された。当時としてはもうが飛び出すどころじゃないレベルだが、現代のセレクトセールでも1億8500万はなかなか出ない。
エアグルーヴ産駒やトゥザヴィクトリー産駒で3億や6億が出ているとはいえ、例年でも上位に食い込む額である。
2011年セレクトセールではエアグルーヴ2010が3.7億、マイケイティーズ2010が2.7億で落札されたが、もし仮にカムイオーを入れるとそれに次ぐ三番の落札額となるのである。ハンパねぇ
ちなみに半と同じくハギノ冠号の日氏が落札したのだが、途中まで競っていた中村畜産も落札額の半額を支払い共有となった。すでに種入り後を睨んでの動きである。

そんな彼は、成長過程を一般マスコミが報じるほどの注の中じっくりと育成され、年明けにデビュー。凄まじいスピードでグングン突き放し7ぶっちぎって勝利
次走の条件戦はたかが条件戦なのにメインレースに変更されるというおっそろしい上に後に続く事例もないレースになったが、そんなの関係ねぇとばかりに逃げて圧勝。皐月賞し一路東上。スプリングステークスに向かった。
ここでは同の逃げとされたサルキングも出走しており、実績が上のサルキングが一番人気に推され、カムイオーは二番人気であった。
とはいえ、東西の垣根が非常に高く、東高西低と言われた当時にあって関西で条件戦勝った程度のが二番人気というのは画期的とも言えた。
レースカムイオーがハナを切るとスピードのまま楽々逃げ切り勝利。同とされたサルキングは20身以上後方ポツンからな勢いで捲るがレース中の折の影もありばったり止まって4着、さらにこの折が原因で引退となった。


サルノキング事件


あんまりな競馬だったので上の田原は散々に非難されたし、サルキング中村畜産社長中村和夫、つまりカムイオーの共有馬であったため、カムイオーを勝たせるために八百長したんじゃないかという疑惑が浮上してしまった。

関西所属であったサルキング関西にいた頃は追い込みだったのだが、クラシックを見据えてめに東上し出走した東京4歳ステークス(現共同通信杯)と弥生賞では引っかかりながら先行して押し切るという競馬で連勝していたため、当時は関西レースまでつぶさにチェックできる媒体がほぼなく、そのせいで関東競馬ファンはみんな先行と誤解していたこと、前述の通り引っかかりながら突っ走っていたためクラシックで乱ペースに巻き込まれた時に潰れてしまうという懸念から追い込みへの再矯正を図ったのだが、手好きの田原末脚を過信しすぎて駄に後方にいたということが重なった不幸な偶然が原因で発生した冤罪である…

ということで一応の説明が付いているが、怪しい雑誌である作家カムイオー営に取材に行ったらオーナーの命サルキングは下げさせると聞いたという言があるなど暗い側面はまだある。
しかし上が田原という心しかない男だったことから、競馬サークル内では「ありえないよ、そんなの」というのが流の意見であった。
筆者としてもこの人にわざと負けろなんていうのはだと思うが、みなさんはどうだろうか。


天より落ちて


さて、その後のカムイオーだが皐月賞へ。もちろん一番人気であり、ファン営も皐月賞は取るだろうしダービーだって夢じゃないだろうと思っていた。
しかしサルキング事件があったせいなのか、性格の悪いに魅入られてしまった。
そう、加賀武見とゲイルスポートである。この加賀武見という男は「クソ坊ちゃまに世間の厳しさ教えてやるよ」と言し、本来は短距離スピードだけなら負けていないゲイルスポートを駆り、底的に競り合うという玉砕戦法をとったのである。
始終競り合われては如何にカムイオーが素晴らしいスピードがあろうと体が持たない。三で一杯になりゲイルスポート共々沈没し16着に敗れてしまう。
ダービーへ向けて立て直しを図るべくNHK杯で心機一転を図ったのだが、またゲイルスポートがいた。お前何なんだよ…
もちろん終始嫌がらせのごとく絡まれ沈没。ダービーを断念させられた。ちなみにゲイルスポートはこの後本来の短距離戦に戻ったが大した実績も残せず引退した。ゲイルスポートにとってもこれは良かったんだか悪かったんだかよくわからない

菊花賞戦線に向かい、神戸新聞杯ではダービーバンブーアトラス完封し逃げ切り、京都新聞杯では新地となる二番手からの抜け出しで勝利
たくましくなったなと思ったが菊花賞では超絶ハイペースを自ら作って大逃げを打つが沈没、15着に敗れる。
ああ、やっぱりダメだったよ…この後は休養に入った。


悲願達成、そして…


休養から明けたカムイオーは宝塚記念を大標に、当時マイル重賞であったスワンステークスから始動。
ここを難なく逃げ切ると宝塚記念でも圧倒的なスピードのまま逃げ切り5身差圧勝。ついにGⅠ級レースを獲得したのであった。
この勝利で獲得賞は1億9000万となり、落札額を越えた。高額落札が落札額以上に稼ぐことはけっこう稀である。
まあ、諸々の費用を含めればまだペイできたわけもないが、高額での種入り確定でまず損することはなくなったのである。偉いぞカムイオー。
そしてその次走である高松宮杯でも勝利し、イットーとの親子制覇・ハギノトップレディとの姉弟制覇を達成したのであった。

だが、彼の快進撃もここまで。復帰戦のオープンすら8頭中7着に惨敗、ジャパンカップ有馬記念では逃げ潰れて二連続最下位負けとなり引退までのきは一体何だったのであろうか…
としては強気な種付け料設定に全く実績が伴わなかった上、種として引き取った中村夫氏恣意的を選んだとされるような仕打ちをしたらしく日高のいいが敬遠し始め寄り付かなくなったこともあり失敗。
地方で数頭の重賞勝利と、小倉1000mコースレコード保持者ハギノピリカがせいぜいという寂しい結果になってしまった。
としてはテイエムオオアラシシンカイウンらを輩出し、自身の種成績よりはマシな結果を出した。

引退した後は、々自適の功労生活を送っており現在も存命。2013年現在34歳。シンザンの記録も視野に入ってきているほどの高齢だがまだまだ元気で、観光客に想を振りまいている。現役時代は速すぎてすぐ燃え尽きていたとは思えない矍鑠とした長寿っぷり。
…だったのだが、ここまで年老いると細なきっかけで死んでしまうのか、2013年4月10日に余生を送っていた本牧場で亡くなった。
めて、シンザンという存在の高さを感じずにはいられない出来事であった。


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最終更新日: 18/06/04 22:10
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