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バレンティーノ・ロッシ


ヨミ: ロッシフミガンバッテ
掲示板をミル!
6カキコ!

[画像][外部]

バレンティーノ・ロッシ[外部]とは、MotoGP生きる伝説である。

最高峰クラスだけで7回、全クラスでは9回の世界チャンピオンき、優勝回数は100回を優にえる。そして、2019年現在の今なおトップを争うライダーで在り続けている。

1979年2月16日生まれ。2019年シーズン40歳に到達した。


概要


1996年からGP1251998年からはGP250、そして2000年からは最高峰クラス(GP500/MotoGP)に参戦。それぞれのクラスで2年チャンピオンを獲得しており、特に最高峰クラスではGP500時代からホンダヤマハで5連覇している(その後、2008年2009年ヤマハで連覇している)。さらに2011年にはドゥカティに移籍したが、2年間勝利を挙げられずに2013年ヤマハへ復帰。オランダGPで2010年マレーシア GP以来の優勝を挙げた。
それから2019年に至るまで、毎年チャンピオンシップの上位を争っているが、戴冠には一歩及ばないというシーズンが続いている。
だが、その人気は未だに凄まじい物が有り、大半のGPではスタンド黄色の46(ロッシのゼッケンナンバー)の旗を持ったり関連グッズを身につけた観客で埋まる。

最近はイタリアライダーの後継を育成することにもを入れており、Moto2Moto3クラスに自らがオーナーチームVR46)を作り、若手を参戦させている。また、バレランチと呼ばれる自前のトレーニングオフロードバイクコースを作り、イタリア人に限らず有望な若いライダー練習の機会を与えている。
2018年シーズンイン々に、2020年シーズンまでヤマハで走る契約をしたことが発表された。少なくともそれまでは彼の生ける伝説は続くことになる。


ゼッケン、ヘルメット、レーシングスーツ、名前


ゼッケンは46番を使用している。

1990年から1992年までヴァレンティーノはミニバイクをしていて、そのときに46番を付けていた。
父親グラツィアーノ[外部]から与えられた日本GPのビデオの中に、鈴鹿サーキットをもの凄い速さで走る
ゼッケン46の日本人ライダーがいて、その走りに魅了されて46を選択したのである。この日本人ライダーはいったいだれなのかというと、おそらく1988年日本GP予選の伊藤一ではないか、と言われている。

1993年から1995年まで46番を付けず、他の番号を付けていた。

1996年からMotoGP125ccクラスに参戦することが決まったとき、ヴァレンティーノはどの番号にするか迷っていた。父親グラツィアーノの番号にしようかと調べてみると、なんと1979年にグラツィアーノが46番を付けてMotoGP250ccクラスを走っているではないか。しかもその年に3勝している。おまけ1979年はヴァレンティーノが生まれた年である。これで運命を感じ、ヴァレンティーノは46番を付けることにした。

年間チャンピオンを獲った翌年はゼッケン1を付ける権利を得るのだが、ロッシはその権利を行使せず、46番を使用する。こういうにゼッケンを固定する習は1970年代のバリー・シーンがやっていた程度で、それから20年近くほとんども行っていなかったが、ロッシが久々にやってみせた。現在では前年にチャンピオンを獲ったライダーが1を付けない風景立つようになった。

ヘルメットイタリアのAGV[外部]、レーシングスーツイタリアのDainese(ダイネーゼ)[外部]契約している。AGVの親会社はDaineseで、そしてロッシはDaineseの大になっている。ゆえにこの2社はロッシ御用達である。

ロッシはしょっちゅうスペシャルヘルメットを作ってくる。毎回凝ったデザインファンを楽しませる。このヘルメットデザインを担当するのはアルド・ドゥルディ[外部]というデザイナーである。

ロッシは色の黄色を使うのが昔から好きで、彼を徴する色になっている。

ロッシのファングッズも黄色色ばかりで、それを身につけたファンが集まると黄色の大軍団になる。ロッシのファンたちはイタリア語で「Popolo Giallo(ポポロ・ジャッロ)[外部]」と呼ばれる。popoloは英語peopleと同じで「人々」、gialloは「黄色」。「黄色い人たち」という意味。


ロッシはRossiと書き、を意味するrossoと同じである。それゆえロッシが企業カラーとするドゥカティに移籍するときは「Rossi in Rossoに入団)」と新聞に書かれていた。

イタリアで最も多い名字は「ロッシ(Rossi)」である。つまり最もありふれた名字である。

日本GPにやってきたロッシに向かって「ロッシ~」とを掛けても視されたが「ヴァレ~」とを掛けたら振り向いてくれた、ことがあるらしい。

ロッシを始めとするMotoGPライダーの多くが「日本では名前の後にサンを付けると敬称になる」ということを知っているので、「ヴァレさ~ん」「ヴァレンティーノさ~ん」と呼んでも良いかもしれない。

称と言えば「ヴァレ」や後述の「The Doctor」のほかに、「ろっしふみ」と自ら称していたことも。これはノリックこと阿部典史の走りを見て感し、彼へのリスペクトから名乗り始めたもの。ロッシにとってノリックはアイドルと言うべき憧れの存在で、ノリックが2007年10月交通事故で急逝した時には大きなショックを受けている。


ライディングスタイル


ブレーキングが上手い

ブレーキングが非常に上手なライダーである。

マシンをやや傾けてバイクを曲げながらじわっとブレーキバーを握って減速する、テクニカルブレーキングを得意とする。
ロッシのブレーキングがる場所の1つはセパン・インターナショナルサーキットの9コーナーで、ここで彼は若い頃からパッシングを繰り返してきた。9コーナーの前はわずかに左にカーブしていて、左にマシンが傾いた状態でじわっとマシンを止めてスルスルッとインに入ってくる[外部]

身長182cmで手足が長く、荷重移動が上手である。電子制御が発達する前の最大排気量クラスハイサイド転倒が多かったが、ロッシはハイサイド転倒が明らかに少なかった。これは荷重移動が上手であるからと説明されていた。この荷重移動の上手さもブレーキングの上手さにつながる。マシンを倒した不安定な状態でしっかりマシンブレーキングできるのはこのためである。

ロッシはブレーキングが得意なので、当然パッシングも上手い。
このため予選では順位を上げることにこだわらずマシンセッティングに集中し、決勝を低い順位からスタートしてズバズバ抜いていく戦術を採ることが可である。
彼ほどのライダーにしてはポールポジション(予選最速で1番手から発走すること)の数が少ないが、これはパッシングの上手さに自信があることの現れと言える。

アクセルワークはどうかというと、ケーシー・ストーナーのようなレベルではない。
ケーシーは電子制御をできるだけ効化させて、アクセルをバンバン開けるライディングを好んだが、ロッシはそこまでアクセルワークが化け物レベルというわけではない。ロッシはわりと電子制御をキチッと効かせてエンジンを抑えるタイプである。

総じて見ると、ケーシー・ストーナーとは対照的なライディンスタイルと言える。
ロッシはブレーキングが上手くてパッシングが上手く、追い上げ上手。
ケーシーアクセルワークが上手くてブレーキングは普通で、先行逃げ切りタイプ

足を出す

2009年頃からロッシはコーナー進入時にイン側の足をぶらぶらさせるようになった。

ロッシがやっているのを見て数多くのライダー真似するようになった。
この動画[外部]を見ても、ロッシを始めとして多くのライダーが足出しをしてコーナーに飛び込んでいる。

これについて問われたロッシは「足を出すとなんとなく荷重がうまくかかる気がするからやっているんだ。データを見てみると、足出ししない走りの時のデータと足出しするときのデータは全く同じ」と答えていて、単に気分でやっているだけと答えている。

セッティングを出すのが上手い

マシンセッティングを出すのが上手い。僅かなマシンの差を敏感に感じ取り、それをメカニックに上手に伝えることができる。

ロッシのライダースーツには「the doctor(お医者さん)[外部]」と書かれている。
実際ロッシはお医者さんのように知的なライダーで、ロッシがメカニックに考えを伝える姿を初めて見たフィリッポ・プレツィオージ[外部]ドゥカティワークス天才技術者)は「ロッシの話しぶりはまるで大学教授の講義のようでした」とっている。

MotoGP・土・日の3日間で行われるのだが、ロッシは・土の2日間で苦戦するも日曜日にはセッティングを上手く出してきて一気に戦闘力を向上させる、そういう姿をしばしば見せる。

反面、セッティングがでないと苦しむ傾向が見られる。「セッティングが出ていないマシンだと攻められない」とロッシが認めていたこともある。


この点でもケーシー・ストーナーとは対照的で、ケーシーセッティングが出ていないマシンでも気で乗りこなして攻めまくるライダーだった。セッティングが異なるマシンで全く同じタイムを出し、レプソルホンダ中本修平HRC社長を驚嘆させていた。

ケーシーは「マシンセッティングを出すことに熱中することは時間の無駄ですよ」と言って、走るのをさっさとやめてしまうことも多かった。セッティングを出すのに夢中になるロッシとは対照的である。

観察力が高い

ロッシは観察が高い頭ライダーで、いろんなところをよく見ている。

19961997年125cc時代、日本人ライダーを尊敬し親しくしているロッシはちょくちょく「あのコーナーは何速のギアで回るの?」と日本人ライダーに質問していた。
坂田和人さんや青木治親さんもそういう質問を受けたが、たまにのことを答えることがあった。
2速で回っていたコーナーなのに「3速で回った」とをつく。
そうすると、ロッシは「いやそれは違うんじゃない?2速でしょ」と摘してきたという。
ロッシは坂田和人さんや青木治親さんの後ろに付けて、左足の小さな動きを見て、シフトチェンジの回数を見抜いていた。

ロッシは自著でもこんなことをっている。「鈴鹿サーキットを速く走るためにはあらゆるコーナーの特徴を頭に叩きこまなければならない。小さな凹凸をすべて把握し、路面のシミまでしっかり記憶する、そうしてからハイスピードで走ることが必要だ」と、受験生みたいなことを言っている。

1992年、13歳のにロッシは二輪のレースに進むことを選んだ。このときまでは学校の成績も悪くなかったと答えており、「あのときバイクレースを選んでなければどうなってただろう」とっている。


得意なサーキット、不得意なサーキット


流れるように中高速コーナーが続くサーキットの成績が非常に良い。

TTサーキット・アッセンで10勝、カタルーニャサーキットで10勝。
ムジェロサーキットで7連覇を含む9勝、ヘレスサーキットで9勝。
フィリップアイランドサーキットで5連覇を含む8勝。
ドニトンパークで4連覇を含む7勝、セパン・インターナショナルサーキットで7勝、ブルノサーキットで7勝。

2018年オーストリアGPのレース記者会見で「あなたが考える理想のサーキットは?」と問われ、ロッシはこんなイラストを描いている[外部]。中高速コーナーが流れるように続くサーキットが好みと分かる。

ツインリンクもてぎは「あまり好きじゃない[外部]」とっている。通算2勝。

本人がはっきり苦手と言っているのがバレンシアサーキットである。ここは低速コーナーが続き、中高速コーナーがあまり多くない。通算2勝。

30代の後半になるとやはり体が落ちてきて、体められるサーキットで成績が伸びていない。その典セパン・インターナショナルサーキットで、31歳の2010年勝利が最後である。このサーキットは暑く、体消耗が半端ではない。


人柄


技術者たちに礼儀正しく、親切である

ヤマハワークス古沢政生さん[外部]ブリヂストン山田宏さん[外部]は口をえて「ロッシは礼儀正しい好青年」と褒めていた。

2000年から現在に至るまでロッシのメカニックを務めるアレックス・ブリッグス[外部]は、「ロッシは自分の家族のことを常に気に掛けてくれる」とっている。

ファンに愛想を欠かさない


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最終更新日: 19/03/26 23:04
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