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フリードリヒ・マイネッケ


ヨミ: フリードリヒマイネッケ

フリードリヒ・マイネッケ1862~1954)とは、19世紀後半から20世紀前半に活躍したドイツ歴史学者である。


概要


プロイセン西部ザルツヴェーデルに生まれる。ベルリンボン大学ラインハルト・コーザーの導を受けつつ、ハインリヒ・フォン・トライチュケの下で学位を、さらに1887年にはハインリヒ・フォン・ジーベルの下で史料編纂官として働き、プロイセンの強い影下で勉学に励んだ。

しかし1901年にアルザスのシュトラースブルク大学へと移り、ビスマルクの成功を進歩史観的にみるプロイセンから離れ、ヴィルヘルム時代に表に出てきた新しい世代、例えばヴィンデルバントら「西南ドイツ」といった「上ライン文化圏」で学問をおさめることで「精史」を自分の歴史学として打ち立てることになるのである。

その後は動のドイツ史に合わせて彼もまた動の人生を送り、もともと立君主制支持者であったにもかかわらずワイマール共和に期待をかけ、それが失敗するとナチスに対しては反抗的なを崩さず1893年以来編集者であった『史学雑誌』も1935年に地位を退くことになった。そして敗戦後は復活を遂げるがベルリン大学はフンボルト大学としてソ連の支配下になり、マイネッケは、西側のベルリン自由大学の初代学長となるのである。こうしてドイツとともに歩んだ人生1954年に終えることとなった。

マイネッケの学問的業績もまたドイツ現在政治情勢に合わせて展開していくこととなり、当初の世界市民義的啓の時代から国家の時代へと移り変わり両者の連続性を楽観視する初期の著作から、悲劇的な大戦を経て権衝動に従わずヨーロッパ共同世界を実現させようとするものへと変わり、ナチスの台頭に至っては現実の悲惨さをこれまでの歴史過程からどう解釈するかに苦渋し、いかに本来あるべき流れに戻すかに苦心する。

ここで見たようにマイネッケは基本的に同時代人のために著作を書いた人物のため、長くドイツ歴史学会の重鎮であったにもかかわらず、戦後若い世代からは一斉に離反されることとなった。しかし日本ではくから読み継がれ、知名度の高い歴史学者のひとりとなっているのである。


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最終更新日: 17/05/27 19:26
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