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フリードリヒ・ヴィルヘルム1世


ヨミ: フリードリヒヴィルヘルムイッセイ
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フリードリヒ・ヴィルヘルム1世Friedrich Wilhelm I)は、ヨーロッパの君の名前である。ここでは、プロイセン王国国王(正式な称号は「プロイセンの王」)となったホーエンツォレルンのフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1688年~1740年)について書く。


プロイセンの勃興


フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は1688年、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世ハノーファー選帝侯ゾフィーシャルロッテの次男として生まれる。逝していたため跡取りとして育てられた。
ブランデンブルク選帝侯三十年戦争混乱を乗り越え、「大選帝侯」と称されたフリードリヒヴィルヘルムの元でを拡させ、その子フリードリヒ3世の代にスペイン継承戦争神聖ローマ帝国ハプスブルクに味方したため王号を許され、1701年「プロイセンの王」として即位した。

優柔不断で名君とは言い難かったが学芸を振し、名実とともにブランデンブルクプロイセン近代国家へと形成させていく。しかしフリードリヒ・ヴィルヘルム1世が浪費を好んだの代を1713年に継いだ時、プロイセンの財政は破綻寸前だった。


富国強兵への道


フリードリヒ・ヴィルヘルム1世はプロイセンを強にするためあらゆる政策を行った。軍事の強化、中央集権化、積極的な移民呼び込みなどである。
特に彼が全精を傾けたのが軍事の強化である。王宮の庭も練兵場にするほどの熱心ぶりで、カントン制度にみられる軍制革は、当時人口が200万程しかいなかったのに8万の常備軍を有するほどで(群馬県ほどの人口で、渋川市民全員軍役に就いていると思えば良い)、その成果はヨーロッパを驚かせた。

よく言われるだが勤勉で質素倹約を尊ぶ「プロイセン気質」は、彼のこの政策が元となっていると言われることもある。

「兵隊王」といわれたフリードリヒ・ヴィルヘルム1世だが、意外にも戦争らしい戦争は一度しかしたことはない。しかしその一度の「大北戦争」においてスウェーデンカール12世ドイツから追い払い、バルト沿の勢図を塗り替えたのだった。

1740年に満51歳で没。息子フリードリヒ2世は、父親が育てた軍隊をもってドイツ覇権確立することとなる。


兵隊王の日常


フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は何がなんでも自分でやらなければ気が済まない質だったらしく、非常に細かい勅をしょっちゅう出した。
ちょくちょく首都ベルリンなどを視察に出かけ、怠けている者がいたらでもで打ち、おしゃべりしている市場の物売り女を見てすぐに「物売り女はおしゃべりする暇があったら糸でも紡いでろゴルァ」という法令を出す始末である。王の姿を見て逃げ出した市民を追いかけて「王が恐ろしいので」と言われて「お前達は私のことを好きになるんだゴルァ!」とで打ちのめした話もある。ただのドSです、本当に(ry

フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の粗暴ぶりは家族に対しても変わらなかった。「プロイセン父親子供が似ない」という伝統があるが、三男(二人は逝)の王太子フリードリヒが自分の父親にそっくりの文弱ぶりを見せるのを心配して、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世はしばしば息子の生活に介入し時には折檻した。


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イメージ図です

あまりの酷さに耐えかねたフリードリヒハンスヘルマン・フォン・カッテという友人外逃亡を図るがすぐに連れ戻される。1730年のことである。カッテは期懲役のところ「この世からカッテが1人消えるのが良いか法が消えるのが良いか」と国王脅迫された裁判所によって斬首刑に変えられ、フリードリヒ理やり彼の処刑の場面を見させられ失神する有様だった。

ただ、フリードリヒが恭順を誓うとはこれを許し、徐々に政務に携わらせるようになり、晩年には息子に全面の信頼を寄せる言葉を残している。実はツンデレだったのかもしれない。


巨人連隊


内廷費をの代から8割削減し底的に質素倹約に励んだフリードリヒ・ヴィルヘルム1世が大をつぎ込む趣味らしい趣味といえば、ポツダム巨人軍と呼ばれた「巨人連隊」の編成であった。入隊条件はとにかく長身であることそれだけで、内どころか外からもスカウト時には誘拐という手段で巨人兵士を集めた。

内外にこの巨人連隊を自慢する王の奇癖に各は戸惑ったが、ただの趣味だと分かると進んで自の巨の人物をプロイセンに送り込んだという。王の死後、跡を継いだ息子フリードリヒ2世希望者を除いてこの連隊を解散させている。


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最終更新日: 19/04/15 20:08
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