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ブラックボックス


ヨミ: ブラックボックス
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ブラックボックスとは、

  1. 問題なく扱えるが、中身の構造はよくわかっていない装置や状態のこと。
    1. 一般人から見た、飲み物の自動販売機スマートフォンなどが代表例。
    2. 上記から転じて、技術が進んでいって旧来の構造が分からなくなってしまうことを「ブラックボックス化」という
  2. 航空機に搭載されているフライトレコーダーのこと。

当項では、2について解説する。


フライトレコーダーの概要


FLIGHT RECORDER
DO NOT OPEN

フライトレコーダー(航空機におけるブラックボックス)とは、航空機に搭載されている

  1. フライトデータレコーダー(FDR/Flight Deta Recorder)
  2. コックピットボイスレコーダー(CVR/Cockpit Voice Recorder)

以上2点の通称、及びそれらが収められている頑丈な強化スチール製の物体である。


構造


ブラックボックスと名前はついているものの、実際はのみならず円筒形・球体など様々な形のものがあり、墜落などの事故後残骸の中から発見しやすいよう上記のようにオレンジであり、表面に「フライトレコーダー・開けるな!」という注意書きが各航空機製造会社の所属の言でなされている。(そのため、上記のように必ずしも英語で書いてあるとは限らず、フランス語[エアバス社製]やロシア語[ツポレフ社製]のものもある)

ブラックボックスの由来は、第二次世界大戦時のイギリスで用いられていた電子機器類を入れる非反射性のが由来である。当時、航空機に搭載する電子機器は飛行計器類を妨する電波を発信しないようにに収められていた。その後、デイヴィッド・ウォーレン博士によって最初の実用的フライトレコーダーがイギリスに持ち込まれた際にもこの用が使用され続けたため、現在までこの名称が残ったのだと言われている。(詳細は後述/由来はその他にも諸説あり事故が起きるまでデータを取り出せず、何が記録されていたかどうかが一切わからない様が1-Ⅰのブラックボックスとまったく同じであるから」など 下の脚注5番も参照)

航空機現在人類が一般的に利用する中で最もいであろう乗り物(マッハ0.8/時速860km前後)である。その分墜落などの事故時にはとてつもない衝撃がかかり、生存者やおろか事故原因となった部品すら破壊されてしまうこともあり事故調は困難を極める。

事故調に必要なたった2つの手掛かりを確実にこの世に残すため、ブラックボックスは記録を残すフラッシュメモリを分厚いスポンジで覆った上から強化スチールで更に覆っており詳しくはこちらのyoutube動画を見るほうがい→What's inside a Black Box?[外部]墜落事故時一番損傷の可性が少ない機体後部に配置され、現在下記の耐衝撃試験に耐えられるものが使用されているフライトレコーダのはなし (海上保安庁 - 関西空港海上保安航空基地)[外部]ブラックボックスが伝えるもの:フライトレコーダーの秘密 (カスペルスキー公式サイト)[外部]

耐衝撃
  • 3,400Gの衝撃に6.5ミリさらされても耐える
  • 連続した約2.2トンを各軸方向に5分間与えられても耐える
耐火・耐熱
  • 1,100℃の熱にブラックボックス全体が覆われても30分間耐える
圧・耐
耐侵食

この試験内容を見ても分かる通り、ブラックボックスは相当な衝撃にも耐えられる設計になっているが中にはこの条件すら上回ってしまう事故も発生している。

なお、どちらの事故もブラックボックスの頑丈性を明した他、調の結果原因がアレだったことも共通している。


導入前史



初期開発


一番最初のフライトレコーダーといえるものは、1939年フランス人のフランソワ・フセノット(François Hussenot)によって開発され、彼とポールボードアン(Paul Beaudouin)によって売り出されType HB レコーダー」である。

これは、現在のものとは違って高度・速度などによって傾いたに当てられた細い線を、88mmフィルムで連続撮影した写真によって機体情報を保存するというものであった。このレコーダーは開発者の名にちなんで「フセノグラフ(Hussenograph)」とも呼ばれている。ただ、このHBレコーダーはフィルム情報を保存するため上書きができず再利用が不可でありテスト飛行時にのみ用いられていたが、発明フランスでは70年代まで使用されていた。

第二次世界大戦中には現在レコーダーの先駆けとも言える耐衝撃性を持ったレコーダーがイギリスレンハリソン(Len Harrison)とヴィック・ハズバンド(Vic Husband)によって開発された。こちらは音楽レコードと同じように、箔テープに針(スタイラス)で溝を付けて記録していくいうものである。両名は戦争後にイギリス特許を取得している。

時を同じくして、フィンランドでは1942年にヴェイジョ・ヒエタラ(Veijo Hietala)によって開発された「マタ・ハリ(Mata Hari)」と呼ばれるレコーダーが、ハリソン達が開発したものと同様の構造でフィンランド戦闘機開発に大いに貢献していた。ちなみこのマタ・ハリ本当に黒色に収納されている。現在はタンペレにあるメディア博物館(Vapriikki Museum)に展示されているBytes: Some origins[外部]

ここまでは、FDRの開発について触れてきたがCVRの開発はもう少し時代を下ってから始まることになる。コックピットでの会話の録音ということに限れば、第二次世界大戦中の1943年にアメリカイギリスの両軍がナチス占領下のフランスで任務中のB-17爆撃機電話通信をワイヤーレコーダーで録音。見事に成功し2日後にアメリカで内容をラジオ放送している。


CVRの開発と実用化


1953年世界初の量産型ジェット旅客機であるコメット連続墜落事故の調を担当していたオーストラリアデイヴィッド・ウォーレン(David Warren)は、メルボルンの展示会でたまたま見かけたドイツ製ポケットワイヤーレコーダーを見てDr David Warren, AO, Research Scientist & Inventor (1925-2010)  (MUSEUMS VICTORIA COLLECTIONS)[外部]、「これをもし航空機に積み込めれば事故調が大幅に善するぞ!」と思いつき翌年1954年にはくも航空事故調支援装置(A Device for Assisting Investigation into Aircraft Accidents)」として構想を発表。

1958年に将来の航空機への日常的な搭載を考慮した世界初のFDR/CVR一体フライトレコーダーのプロトタイプ完成させた。当初はあまり注されなかったもののこの開発研究はイギリスにも留まり、2カの共同開発の結果RED EGGとしてついに実用化に成功した。1965年には現在と同じく機体後部に配置されるようになった。こちらは現在シドニーのパワーハウス博物館(Powerhouse Museum)に展示されているSectioned 'Red Egg' flight recorder - MAAS Collection[外部]

ウォーレン博士オーストラリア1960年に発生したトランスオーストラリア航空538便墜落事故を契機に1966年から世界で初めて旅客機にCVR導入を義務付けた。

一方、アメリカでは独自に「ジェームズ・J・ライアン(James J.Ryan)」によって、名前そのまま「フライトレコーダー」がウォーレンと同時期の1953年に開発された。彼もウォーレンから2年後の1956年にフライトレコーダー導入による航空会社運用の有益性を訴えている。

さらにCVRの方も1961年ロッキード社の「エドマンド・A・ボニファJr.(Edmund A. Boniface, Jr.)」によってCSR/Cockpit Sound Recorderとして開発された。こちらも現在のCVRと同じく耐衝撃性容器に入れられたテープレコーダーにコックピット内での会話・音が録音されるものである。彼は開発して1961年に一度特許を申請しているが、パイロット組合から「プライバシーの侵だ!」と弾劾を受け一度は取り下げている。しかし、1963年に安全に飛行が終わった時にプライバシー保護のため録音を消せるよう録音消去装置をつけてもう一度特許を申請し取得し直しているCockpit sound recorder - LOCKHEED AIRCRAFT CORP[外部]


導入の義務化


上記の通りオーストラリアではくも1966年から導入を義務化しており、その他のも重大事故が起きるたびそれに追従していった。

アメリカでは、1964年「パシフィック航空773便墜落事故が副操縦士が管制に入れた最後の連絡「撃たれました!私達は撃たれました!助けてください!!(I've been shot! We've been shot! Oh, my God, help!)」という言葉から、乗客の「フランシスコ・ポーラゴンザレス(Francisco Paula Gonzales)」がパイロットを撃ち殺して墜落させたという衝撃の事故原因が判明した。(音は関連動画を参照) 今後このような事故の原因を期に特定するため1967年3月1日までに4発以上のエンジンを持つ機体は必ずCVRを装備しなければならないと義務付けられた。(皮にも事故から23年後にこの規則は再び役立つことになる)

日本では、1966年YS-11による全日空松山墜落事故がFDR/CVRとも未搭載だったため原因が特定できず未解決で終わり、さらに5年後の1971年には当時日本史上最悪の航空事故となった全日空石衝突事故も発生したため、1975年から全ての旅客機にフライトレコーダーの搭載が義務付けられるようになった航空機のフライト・レコーダ・システム - 武政嘉治著 (J-STAGE)[外部]。(ただしその2年前の1973年3月には航空局長導通達によって各会社とも自的に全機材に装着している)

イギリスでは、1972年に起きた英国欧州航空548便墜落事故が搭載されたFDRから調した所異常なほどの低速で飛んだ結果失速し墜落を招いたと特定され、さらに残骸からドループと呼ばれる低速飛行の際に必要な前縁フラップパイロットが誤って格納してしまっていたことが判明した。しかし、CVRが搭載されていなかったためが・何故誤ってドループを引いてしまったのかがわからずこちらも未解決に終わってしまったため以降CVRの搭載が義務付けられるようになった。

 

以降、航空機に搭載されたFDR/CVRが数々の航空機事故を生き残って重なデータを持ち帰り、現在航空機の安全輸送に貢献していることはいうまでもない。

ちなみに余談だが、上記のウォーレン博士は9歳の時に父親航空機事故で亡くしており、このことも実用的CVR開発を推し進めることに繋がっている。彼は2010年85歳でこの世を去ったが、彼のには、あの注意書きにちなんでFLIGHT RECORDER INVENTOR   DO NOT OPEN(フライトレコーダー開発者・開けるな!)と注意書きがなされている。


2つのレコーダーと航空交通管制


初期のレコーダーはRED EGGのように2つのレコーダーが一緒になっていたが、時代が下るにつれ2つに分けられていく。理由は単純で、耐衝撃性を追いめた結果どんどんブラックボックスが大きくなってしまい、だったら2つに小さく分けて確実に衝撃から守るほうが良くない?となっていったためである。


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最終更新日: 19/10/21 19:31
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