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プライベート・ライアン(原題:Saving Private Ryan)とは、1998年公開の戦争映画、及びこれを原作とした小説である。
監督はスティーブン・スピルバーグ、主演はトム・ハンクス。
原題の『Saving Private Ryan』とは『兵卒ライアンの救出』という意味である。
スピルバーグにとっては、『1941』『太陽の帝国』『シンドラーのリスト』以来4作目の戦争映画。
1998年の全米年間興行成績1位を記録し、同年の第71回アカデミー賞では11部門にノミネート。うち監督賞・編集賞・撮影賞・音響賞・音響編集賞の5部門を受賞した。
第二次世界大戦における凄惨な戦場を舞台とした映画。スピルバーグ監督は後に、この作品を太平洋戦争に従軍した父に捧げたと語っている。
▲第二次世界大戦において「史上最大の上陸作戦」と呼ばれた『ノルマンディー上陸作戦』。
この作戦ではドイツ国防軍の抵抗に遭いながら圧倒的な物量をもって上陸を決行、多大な犠牲を払いながらもアメリカ軍は上陸に成功した。
その最中、アメリカ陸軍参謀総長にある知らせが届く。それは、作戦に参加していたライアン家の4人兄弟のうち3人が戦死したという内容だった。
本国で待つ母親に息子全員の死亡通知を届けるのは酷だと判断した軍上層部は、唯一戦死が確認出来ていないライアン一等兵の速やかな保護、除隊及び本国送還を決定。戦闘の混乱の中で行方不明になったライアン一等兵を救出するよう命令を出す。
この命令を受けたのはオマハ・ビーチの攻防を生き残った米軍第5軍第2レンジャー大隊C中隊隊長のミラー大尉ら8人だった。
たった一人の兵士の命を救うため、彼等は激戦区へ進攻して行く。
ライアン一等兵はどこへ行ったのか。生きているのか?
彼らに与えられた任務は──ライアン一等兵を生きて本国へ帰すこと。
そう……それだけ、そのだけのために、過酷で困難を極める決死の作戦を開始したのであった。
▲本編は3時間にも及ぶ長編だが、撮影期間は60日間という驚異的な早撮りだった。
本作冒頭の上陸作戦(オマハ・ビーチ)では実際の火器や兵器または忠実なレプリカを使用し、爆破音や発砲音など実際に録音したものを使っている。これにより、冒頭の20分は映画史に残るほど非常に生々しい映像になっている。
ちぎれた自分の腕を捜す兵士、腹から飛び出した内臓を抑えながら「ママ!」と泣きわめく兵士、血で赤く染まる海水、ほんの数秒前まで交信を行っていた通信手が今は死んでいるなど、まさしく一寸先は闇といった悲惨な光景を描き出している。
戦闘中、ホーヴァス軍曹は敵陣の直下に陣取るために走っていく兵士の姿をこう言っている。
今のはお袋さんには見せられないな。
クランクイン前、トム・ハンクスら救助部隊の出演者は、撮影前に元海兵隊大尉デイル・ダイの訓練に参加し、過酷な10日間を過ごした。さらに戦闘の撮影は2週間にも及び、出演者は心身ともに荒んだ状態となった。
そこへ監督の手配により、ライアン一等兵を演じるマット・デイモンが後からのこのこと参加。これに対する出演者達の感情は言うまでもなく険悪化、結果としてよりリアルな演技へと繋がっている。
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