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プレストウコウ


ヨミ: プレストウコウ
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プレストウコウとは、日本の元競走馬・元種である。

グスタフサンピユロー、シーフュリュー

"非運の世代"戦犯一頭として知られている。

※活躍当時の表記に合わせて記事中齢は旧表記(現行表記+1歳)です


偶然の生んだ配合


であるサンピユローはノボルトコウ(スプリンターズステークス優勝)を輩出し、プレストウコウ誕生以前に繁殖としての評価を確立していた。
一方、グスタフは現役時代にイギリスの3歳短距離王者を決めるミドルパークステークスを制した以外はパッとせず、プレストウコウ以外の活躍産駒は新潟記念を制したタケデンジャガーだけという、外産種こそ正義だった当時にしてもダメな種扱いをされるようなだった。

優秀な繁殖には優秀な種をつけるのが競馬世界則である(実際、ノボルトコウは名種パーソロンだった)
なぜこんな微妙な配合が行われたのかというと、プレストウコウを身ごもる直前にサンピユローの抱えていた問題に原因があった。
それが、生理不順による不受胎率の高さである。 
いくら優秀な繁殖と言っても子どもを受胎しなければ意味はなく、そのことに困った所有者は「環境が変わると受胎しやすくなる」という説を聞き、繁用先の牧場を変えることになった。
その時にたまたま近所にいた種グスタフで、サンピユローに種付けをすることになった理由は「近所にいるし、安いから受胎するまで何度でも試せる。むしろ何度でも試す」という、ほとんど実験台みたいな扱いだった。 

しかし、そんな意気込みと裏に、サンピユローはグスタフの子を一発で受胎。なんという肩透かし。

ともあれ、こうして生まれたのがプレストウコウだった。


デビューからダービーまで


走るかどうか以前に誕生するかどうかというところから期待されていたとは言い難かったプレストウコウだが、デビュー3戦で初勝利を挙げると続く4、5戦の条件戦も勝って3連勝。特に5戦となるひいらぎ賞は後のダービーラッキールーラを破っての勝利だった。
こうしてクラシック戦線に名乗りを上げる頃には「こいつはノボルトコウより走る」という評価を得るようになっていた。

しかし好事魔多し。この頃、コズミ(筋肉の硬化)に悩まされて体調の良くなかったプレストウコウは、重賞を3連続3着と敗れ、クラシック本番となる皐月賞は良血ハードバージの前に13着と惨敗。
「コズミが酷いし自信がない」と岡部騎手が弱気だったNHK杯を勝って重賞初制覇を成し遂げたあたり世代の中でもトップクラスの実を持っていたと言えるが、さすがにダービーでは通用せずにラッキールーラの7着と敗れてしまう。

この直後、プレストウコウ営は、このの、そしてこの世代の悲劇を決定づけてしまった選択をとることになる。
休養に入る前に、当時"残念ダービー"と言われていた日本短波賞に向かうことを決めたのだ。


スーパーカーの悪夢


例年、ダービーで敗れたダービーに出られなかったたちが菊花賞戦線に名乗りを上げるために集うのがこの頃の日本短波賞だったが、この年は"菊花賞せない"が注を集めていた。
持ち込みゆえにクラシック出走権を持たない、敗のスーパーカーマルゼンスキーである。

その圧倒的な走りで「クラシックに出ていたら今頃敗の二冠だった」と言われていたマルゼンスキーは、もちろんこのレースでも一番人気
だが、マルゼンスキーにも不安要素がないわけではない。
ここまでのレースは全て1600m以下で、1800mと距離伸びる日本短波賞はもしかしたら不向きかもしれない。NHK杯を勝っているとはいえ血統的にはプレストウコウの方が不安だったけど。
そしてもう一つ、マルゼンスキーは世代の頂点であるクラシックホース皐月賞ハードバージダービーラッキールーラの両と未対戦であり、ラッキールーラを破ったことのあるプレストウコウならば付け入る隙があるかもしれないという希望もあった。

とまあ、希望のありそうなことは書いたけど。

レース結果はご存知の通り[動]である。
普通に圧勝するだけでなく、一度止まりかけてもう一度加速、そして圧勝というプレストウコウ側から見れば舐めプもいいところなレースっぷりで、「マルゼンスキーは強い、他はマルゼンスキー不在のレース敗者復活戦をしているだけ」という評価がさらに定着することとなり、30年経った今でさえもマルゼンスキーの強さをる際にプレストウコウの負けっぷりも同時にられてしまうこととなる。
前述した通りプレストウコウはコズミのせいで決して順調ではなかったのだが、 マルゼンスキーも脚部不安を終始抱えただったためにそれが言い訳にすらならなかったのもプレストウコウにとっての不幸だったと言えるだろう。


噛ませの菊花賞馬


日本短波賞のすぐ後に休養に入ったプレストウコウは、になると世代の頂点(マルゼンスキーを除く)へ向け、そして来るべき有馬記念でのマルゼンスキーへのリベンジへ向けて菊花賞に向かうべく京王オータハンデから始動。
ここを2着すると、セントライト記念京都新聞杯菊花賞トライアルを連勝。京都新聞杯レコード勝ちし、菊花賞では単定を受けることとなる。

一番人気でもおかしくなかったが、クラシックに勝てない(当時はクラシック勝利)というジンクスともにバリバリの短距離血統という不安要素もあって、同じく単定のラッキールーラどころか、単定を受けていないマーベルペンタスにすら負ける3番人気

だが、ジンクスも血統も、成長しコズミの問題もなくなったプレストウコウには関係はなかった。
伸びを欠くラッキールーラに直線で加速したプレストウコウは、ゴール前で先頭のをかわし、前走に続きレコードタイム勝利。世代の頂点(マルゼンスキーを除く)に立ったのである。

(マルゼンスキーを除く)とはいえ、仮にもクラシックホース。しかもとして初のクラシック制覇だ。当然、祝福のは大きい……と思いきや、プレストウコウに突きつけられたのは空気読めよ」という言葉だった。

理由の一つはプレストウコウの菊花賞制覇により本格的に「マルゼンスキー>>>超えられない壁>>>クラシックホース()」という評価が定着してしまったということだったのだが、この時にプレストウコウが2着に破ったも悪かった。
それが名にして関西アイドルであったトウメイ息子テンメイである。

「小柄なでありながら関東の強(当時は関東が圧倒的に優勢)を破り年度代表となった関西の誇り・トウメイ関西人気は非常に高く、その子であるテンメイが大レース初制覇をして菊花賞の直線で先頭に立った間の歓はものすごいものだった。
テンメイ応援していたファンからすると、プレストウコウはそんなアイドルの夢を打ち砕いた悪役でしかなかったのだ。 

プレストウコウの菊花賞制覇は悲鳴に包まれ、翌日の関西地方スポーツの一面は

泣くな、テンメイファンの夢を砕いて、銀髪プレストウコウ菊制覇!」

というあんまりなものだった。プレストウコウは称えられるどころか、当時のプロレスの名悪役フレッドブラシーになぞらえて全なヒール扱いになってしまったのである。

悪いことは続くもので、"世代王者"のマルゼンスキー有馬記念を前に脚部不安で引退
リベンジの機会を永久に失ってしまうこととなる。


TTG、そして同期馬たちの噛ませ馬


マルゼンスキーに勝っての汚名返上ができなくなった今、競走馬としての名誉を回復するには未だり継がれる三強・TTGを擁する一世代上のたちに勝つしかない。
だが、有馬記念スタートからデッドヒートを繰り広げるトウショウボーイテンポイント、最後に追い込んだグリーングラスに大きく離された6身差の4着。
TTGの三番手であるグリーングラスにすら敗したこの世代はやっぱり弱い(マルゼンスキーを除く)」と確認されるだけだった。
ちなみにこのレース、勝ったテンポイントとの差が日本短波賞におけるマルゼンスキーとの差とほぼ同じだったため、「ああ、こんなのじゃなくてマルゼンスキーが出てたらな」と言われる要因となっている。 

年が明け、トウショウボーイ引退テンポイント日経杯の大事故で休養に入ると、プレストウコウはTTGの残った一頭・グリーングラスへのリベンジを果たすために天皇賞(春)すこととなった。
戦となるオープン戦を快勝し、グリーングラス一騎打ちされたこのレースだが、ここでプレストウコウを不幸が襲う。
向こう正面で擦れを起こし、競走中止に追い込まれてしまったのだ。

今度こそはと仕切りなおした毎日王冠勝利して出走した天皇賞(秋)
天皇賞(春)を制したために出てこれなかったグリーングラス(当時の天皇賞は勝ち抜き制)はいなかったものの、ここにはあの菊花賞リベンジ、八大競争初制覇、そして天皇賞子制覇に燃えるテンメイの姿があった。
スタートから好ダッシュを決めて逃げにかかったが、に続いてアクシデントが発生。今度はこのレースに出走していたパワーシンボリがゲートに噛み付いて同ゲートが開かず、カンパイ(スタートのやり直し)になってしまったのだ。
再び好ダッシュを決め、今度こそ逃げ切りをはかるも、直線で襲いかかる影があった。テンメイだ。
逃げ切ろうとする側、差し切ろうとする側を入れ替え、あの菊花賞と同じような展開になったが、今度はゴール直前でテンメイの執念が勝ち、一年前とは逆に差し切られてしまう。
なお、二度スタートの時は奮かかっていたため、カンパイが発生しなければ結果は違っていたかもしれないと言われているが、 テンメイ営の勝利に賭ける執念も凄まじく、こればかりはやってみないとわからないだろう。

この好走が評価され、年末の有馬記念ではグリーングラスを差し置いて一番人気に推されるが、同期の「本格化が遅かったゆえにマルゼンスキー噛ませにならなかった」カネミノブの前に12着と惨敗。
この後球節炎を発症して長期休養に入ることとなり、「マルゼンスキー噛ませ」としての評価を返上すべく復帰を模索したが、故障は治せず、毎日王冠4着を最後に引退した。

5歳以降も安定した成績を残したプレストウコウは本来ならばもっと評価されてもおかしくなかったのだが、アクシデント続きで勝ちきれなかったこと、日本短波賞の敗、菊花賞天皇賞(秋)5歳時の有馬記念とことごとく同期噛ませとなってしまったのが彼の最大の不幸だった。


引退後


になってからも善戦したプレストウコウだが、この世代の例に漏れず、というか直接対決で敗したぶん他の同期よりも「マルゼンスキー噛ませ」の印が拭えず、種としての人気は出なかった。
東京ダービーを制したウインドミルを輩出し意地は見せたものの、1990年ラッキールーラカツトップエースらと共に韓国への輸出が決定。
その後も種として過ごしたが、1994年に繁殖喪失及び失明により安楽死処分が決定し、同地で生涯を終えた。


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最終更新日: 13/05/07 20:11
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