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ホクトベガ


ヨミ: ホクトベガ
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16カキコ!

ホクトベガとは1990年まれの日本競走馬。永遠なる砂の女王である。


概要


ナグスキータケノファルコンフィリップオブスペインという血統。ナグスキーダートに強いを多く輩出している種。ホクトベガもにしては大きくて強い体、深くて「スパイクみたい」と言われた蹄など、見るからにダート向きの体ではあった。

虚弱体質で牧場ではいじめられ、入厩してからもまともに調教できない有様でデビューは遅れ、3歳になってからようやくデビュー。あまり期待されていなかった割にはここを楽勝。一躍クラシック補に踊り出る。

しかしながら彼女同期には奇しくも同じ一等の名を持つベガがいた。このストⅡボスキャラに強く、桜花賞オークスを制して二冠となった。ホクトベガは5着6着。クイーンS2着から始動しローズS3着を経てエリザベス女王杯に出走した時には9番人気だった。

しかしながらホクトベガは内を走してここを勝つ。実況馬場鉄志アナウンサーが思わず、

ベガベガでもホクトベガ!」

と叫んだ事はあまりにも有名。

GIになったホクトベガであったが、この後は苦戦が続く。もっとも、札幌日経オープンレコードで勝ったり、札幌記念を下して勝っていたりするので強いの1頭であったことは疑いないのだが。

その間、障への出走も検討されたが、たまに好走するのでどうしようかなぁと営が思っていた矢先、この年から始まった中央と地方の交流競争、川崎競馬場のエンプレス杯に出走する事になった。当時、中央のGI勝ち地方に来るなど考えられない事であったので、川崎競馬場の関係者は驚いたのだが、レース結果を見て更に驚愕する事になる

一番人気に支持はしたが、どんなもんだろうと川崎おっちゃんたちが見守る中、当時のダート最強だったアクアライデン、ケーエフネプチュンをまとめてちぎり捨て、なんと18身差で圧勝。二着がゴールしたのは3.6も後だった。上の横山典弘騎手は思わず100m手前からガッツポーズをしたという。

砂の女王伝説が幕を開けた間だった。

それからはもう、交流重賞に出れば必ず勝つ。しかも圧勝の連続で、交流重賞10連勝を達成(間に芝レースに出てはいるが勝ててない)。そのあまりの強さに実況に「女王様とお呼び!」とまで言われた程だった。なにしろ先行して抜け出してちぎってしまうという、安定感抜群と言うか、他とは次元の違うレースばかり。地方競馬関係者は、中央GIというのはこんなに強いのかと震撼したらしいが、それ以降こんなに強いがいないところを見ると、やはりホクトベガが類に強かったのだ(ダートが得意だったのだ)と言うしかないだろう。

普通こんなに強ければ、周囲が呆れ引いてしまって、やっかまれたりいい加減にしろ扱いされるものだが、ホクトベガはされた。当時不気が直撃して人気が落ちてしまっていた地方競馬だったが、ホクトベガが出るレース満員の大盛況。ホクトベガは8つもの競馬場で勝ちを挙げ、始まったばかりだった交流競争を盛り上げるのに一役も二役もかったのであった。

1997年。ホクトベガは7歳になっていた。彼女引退レースとしてまだ第二回であったドバイワールドカップを選んだ。

当時はダート開催。ダート世界一決定戦と言っても過言ではなく、砂の女王引退レースに相応しいともが思った。レース後はそのまま欧州に渡って、一流種と配合するという夢のある計画も立てられていた。

しかし、初の海外遠征に加え、当時はドバイへの直行便なんぞ存在しないため乗り継ぎに乗り継ぎを重ねやっとこさ灼熱のドバイ入りした彼女は、すっかりやつれ果てていた。

日本中を飛び回りながら、タフに圧勝を続けた彼女ですら海外遠征は辛かったのである。このままでは絶不調でレースを迎えてしまう。

惨敗するのはに見えた状態であり、このままではファンにも彼女にもびない。回避してそのまま繁殖入りさせようか…営はそこまで考えたという。
そして迎えたレース当日、1997年3月29日レースは…開催されなかった。

数十年に一度のスコールが降り注ぎ、その想定外量の前にナドアシバ競馬場は排がおっつかず浸しになり、レース4月3日に延期となったのである。

この余波で、出走予定だった凱旋門賞エリシオは出走を取り消し帰するなど万全の体制で迎えた他には災難としか言いようがなかった。 

しかし、少しでも時間が欲しかった彼女にとっては”啓”としか言いようのない出来事であった。

わずかだが時間を与えられた営は必死に立て直し、なんとか調子を出走してもやれそうなところまで持っていった。

これなら砂の女王に恥じない姿を、世界と戦える女傑の姿をファンに見せられる…営はわずかだが手応えを感じていた。 

そして、4月3日。仕切り直しとなったレースは行われ・・・。それは起こった。生中継などされていなかったそのレースレース結果を楽しみにしていた競馬ファンに飛び込んできたのは、ホクトベガが予後不良になったという信じ難い知らせだった。

ホクトベガはドバイの地でになったのである。

ホクトベガが盛り上げた交流競争はすっかり定着し、ダート路線が整備されたのも彼女の活躍が後押ししたのだと言われている。戦績も賞額も凄かったが、それ以上に後の競馬界に与えた影も大きかった。

2011年ドバイワールドカップヴィクトワールピサが勝った。その間、ホクトベガを思って涙を流したのは筆者だけではないだ。


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最終更新日: 18/11/05 22:03
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