ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


ホルヘ・ロレンソ


ヨミ: ホルヘロレンソ
警告

この記事は長いです 時間のあるときに閲覧することをおすすめします

ホルヘ・ロレンソ[外部]とは、スペインの離パルマ・デ・マヨルカ[外部]出身のオートバイレーサーである。

1987年5月4日生まれ。
2002年5月4日に史上最年少の15歳1日でMotoGP125ccクラスデビューした。
2006年2007年250ccクラスチャンピオンを獲得。

2008年から2016年までヤマハワークスで最大排気量クラスに参戦、3回のチャンピオンを獲得した。

2017年2018年ドゥカティワークスから参戦し、3勝を挙げた。

2019年からはレプソルホンダから参戦する。

ゼッケン、ヘルメット、好みのデザイン


ゼッケン99番


2002年125ccクラス時代から2008年シーズンまで、48番のゼッケンを使用していた。
当時の個人マネージャーであるダニ・アマトリアインが現役時代に付けていたのが48番[外部]で、
その番号を授けられていた。

2008年シーズン途中にダニアマリアインとの関係が悪化、ホルヘは心機一転するために
新しいゼッケン募することにした。23と99が最終補に残り、ホルヘは99を選択した。
2009年からは99番を使用している。

2010年に最大排気量クラスチャンピオンを獲得したので、翌2011年はゼッケン1番を付けた。
このときのデザインはこんな感じ[外部]で、ホルヘ・ロレンソの頭文字JとLを組み合わせたものとなっている。

2013年2016年もゼッケン1番を付ける権利があったが、ホルヘはその権利を行使せず、99番を付けた。


ライダースーツとヘルメット


ライダースーツアルパインスターズ[外部]契約している。

同社はイタリア北部のヴェネト州アーゾロ[外部]1963年に起業した。アルプス山脈沿いの山地で、
スキー用の靴や登山用の靴を作っていたのが始まりである。

アルプス山脈をイタリア語でAlpiという。社名もアルプス山脈が由来となっている。
アルプス山脈に生えているエーデルワイス[外部]というものがあり、そのイタリア語名がStella Alpina
それを英語にAlpinestarsと表現し直して、社名にした。

エーデルワイスの形はstar)に似ている。アルパインスターズのロゴ[外部]があるのはそのため。


2002年から2006年までスペインのヘルメットメーカーNZI[外部]契約

2007年から2012年までX-lite契約。これはイタリアのNolanのブランドである。

2013年から2015年までは韓国ヘルメットメーカーHJC契約していたが、内装部品がずり落ちる、
シールド曇る、などのトラブルがたびたび起こっていた。

2016年からはフランスヘルメットメーカーSHARK契約している。


悪魔と天使デザインと、悪魔デザイン


ヤマハ時代は左の9がツノ(悪魔)、右の9が輪っか(天使)というデザイン[外部]を採用していた。

もともとは悪魔モチーフのゼッケンを付けようとしたが、ヤマハワークスボスである
リン・ジャーヴィス[外部]に「悪魔というのはちょっと・・・あんまり嬉しくないな」と言われた。
そこで、半分だけ天使デザインに変更したのだった。

ドゥカティに移籍してからゼッケン99のデザイン角が生えたもの[外部]になっている。
Twitterでも可愛い悪魔絵文字を多用していて、その絵文字をライダースーツの尻に付けている[外部]

2017年オーストリアGPでは悪魔モチーフのヘルメット[外部]を被っている。


チュパチャップス・ヘルメット


10歳の頃から2008年までスペインバルセロナの製菓企業チュパチャップスと契約していた。

チュパチャップスデザインヘルメットを被り、表彰台にチュパチャップスを咥えながら登壇していた[外部]

このチュパチャップスもダニアマリアインが紹介してきたスポンサーであった。
ダニアマリアインとの関係が非常に悪化し、彼の記憶を消し去る必要に追われたホルヘは、
2008年シーズン末にチュパチャップスとの契約を打ち切った。


黒地・白丸・赤バッテン、ブラックマンバ


2009年以降のヘルメットデザインは、黒地・白丸・赤バッテン[外部]のものである。

このデザインは正式にはスペイン語で「Por Fuera」という。Porは前置詞で、Fueraは外という意味。
つまり「外から」という意味である。

ホルヘのキャリア初優勝は2003年第12戦のブラジルGPである。このときケーシー・ストーナー
ダニ・ペドロサを外から一気に抜いていって、鮮やかに勝利した。
この、外からぶち抜いていった勝利のことを記念して、ぐるっとコーナーを回る様子をデザイン化して、
「外から」という名前を付けた。※この記述の情報こちら[外部]


い○を描いているのは、ブラックマンバというである。
白っぽい灰色の外見[外部]をしている。なぜブラック)と呼ばれるかというと、口の中がだから。

ブラックマンバ世界最強として知られている。

たまにホルヘがヘビポーズをして遊ぶ[外部]ことがあるが、それはブラックマンバイメージしている。

画像検索すると、ブラックマンバをイメージしたヘルメット[外部]をしばしば被っていることがわかる。


スパルタ兵士


ホルヘ・ロレンソのシンボルというとスパルタ兵士である。

古代ギリシャにスパルタというがあり、そこでは少年へ厳しい教育をして、軍人を作り上げていた。
これがスパルタ教育となった。そのスパルタの兵士というとこんなイメージで描かれる[外部]
モヒカンがついている兜を被って戦場で戦うのがスパルタの兵士である。

スパルタのモヒカン兜の横に翼を描く[外部]というのも定番のデザインであるらしい。

ホルヘはこれを見て気に入って、スパルタ兵士風のデザインを自分のデザインにした[外部]
モヒカン兜に、と、まるっきりのスパルタ兵である。

ホルヘは父親にスパルタ教育を受けて育てられてきて、ホルヘ自身も「バイクに乗って勝つことを
使命として生まれてきたんだ。スパルタ兵士が戦うために生まれてきたのと同じようにね」と言っていて、
スパルタ兵士と自分を重ね合わせている。


ハンマーとバター


ハンマーバター英語hammer butterスペイン語martillo mantequilla という。

これはホルヘが幼い頃の記憶から着想を得た。
元2輪レーサーモトクロス)の父親はしばしばハンマーを使ってバイクいて直していた。
母親バターを器用に滑らかにパンに塗っていた。

そうした両親の姿を思い起こし、両親の良さを引き継ぐため、ハンマーバターを自分のデザインにした。
時にはハンマーのように強く、時にはバターを塗るように滑らかで丁寧に、という意味。

※この記述の情報こちら[外部]

2010年のころにはブレーキバーmartillo[外部]クラッチバーmantequilla[外部]文字を刻んだ。
ブレーキ強く握るのでハンマーがぴったり。
クラッチギアチェンジの時に滑らかに丁寧に握るので、バターがぴったり。

バターの絵が入ったサインボードがたまに掲げられた。画像1[外部]画像2[外部]

2018年カタルーニャGPでは、軽い材料で精巧に作られたダミーのハンマーを優勝した後に渡され、
楽しそうに振り回していた。画像1[外部]画像2[外部]画像3[外部]画像4[外部]

ライディングスタイル

ホルヘ・ロレンソのライディングは2016年までと2017年以降で変化している。


ヤマハワークス時代


コーナーリングスピードを高める

2016年ヤマハワークス時代まで、コーナーリング速度一杯高める走りだった。

ブレーキングはさほど頑らず、攻めすぎないように常に心がける技巧ライダーであった。
この走り方がヤマハマシン特性にぴったり合致し、9年で3回のチャンピオンいている。

コーナーリング速度を高めていく乗り方は「250乗り」と言われ、最大排気量クラスには向かないと
言われている。「250乗りは大成しない」など、そういう位置づけである。
レプソルホンダ中本修平HRC社長アルヴァロ・バウティスタについて「彼は250ccクラス
乗り方のままだ、あの乗り方は今ひとつだ」とコメントしており、普通250乗りは忌避される。
ところがホルヘ・ロレンソは250乗りで大成した希有な例なのである。

ホルヘはマックス・ビアッジの大ファンで、ビアッジの速いコーナーリングに憧れていたとっている。
また、125ccクラスの頃からコーナーリング速度を稼ぐように意識していたようだ。

コーナーリングする時はバイクを傾けタイヤエッジ部分を使う。タイヤの性が問われる走行になる。
ゆえにホルヘは「タイヤの良さを引き出す走り」と評される。
ホルヘはタイヤメーカーに対する批判の多さが他のライダーより多い印があるが、
良くも悪くもタイヤに頼った走りになっているからそうなるのである。

走行ラインをしっかりなぞる、鉄道のようなグリップ走行

2013年マルク・マルケスは、ホルヘ・ロレンソについてこうっていた。
「ホルヘの後ろについて観察しましたが、毎周全く同じ走行ラインを通っているのでびっくりしました。
は周回ごとに走行ラインが少し変わるんですが、ホルヘは毎周同じなんです」

チーフメカラモン・フォルカダによると、ホルヘはマシンが動くのをとにかく嫌っていたという。
タイヤをスライドさせず、綺麗な走行ラインを正確になぞっていく、精密機械のような走りだった。

走り方を大きく2つに分けると、タイヤをスライドさせつつ曲がっていくスライド走行と、
スライドをさせないでタイヤをがっちり路面にグリップさせて曲がっていくグリップ走行がある。
ホルヘは典的なグリップ走行だった、ということになる。

鉄道がレールの上を走るかのような走り、と表現されることが多かった。

インをガバガバに開ける

ホルヘの走行ラインはかなり独特で、インガバガバに開けて走る姿が多く見られた。
そうすることでコーナーリングスピードをより高める狙いがあったのであろう。

インガバガバに開けるので、後続のライダーが思わずインに突っ込む。
そこに、とんでもない速さでコーナリングするホルヘが一気に接近していく。
ホルヘが危険に気付き、マシンを立ててコーナーリングを中止して、なんとか難を逃れる。

レース後にホルヘが「危ないだろう!もうちょっとで転倒だったじゃないか!」と怒りまくるが、
インに突っ込んだライダーは「いや・・・あれだけインいてれば入りたくなるでしょ・・・」と言い、
レース運営も「・・・まぁ、お咎めなしって事で良いんじゃないか」と裁定を下し、
それに対してホルヘが「ひどい運営だ!」と怒る。こうしたが、しばしば見られた。

最も有名なのが2016年サンマリノGPのこのシーン[外部]であろう。

足出しをしない

足出しをまったく行わないことで有名だった。

2009年頃からヴァレンティーノ・ロッシコーナーリング最中にイン側の足をぶらぶらさせる
足出し走法を始め、他のライダーもそれを真似るようになり、足出し走法が大流行した。

ところがホルヘ・ロレンソはどれだけ足出し走法が流行しようが一切それに染まらなかった。

このシーン[外部]徴的な映像と言える。足出しをするロッシと、足出しをしないロレンソ。

リアブレーキを一切使わない


次へ»
最終更新日: 18/12/02 14:56
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ