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マリアナ沖海戦


ヨミ: マリアナオキカイセン
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マリアナ沖海戦とは、大東亜戦争中の1944年6月19日に生起した日本海軍vsアメリカ海軍戦闘である。
日本側はサイパン守備隊の救援に失敗し、虎の子の大空母3隻と航空機300機以上を失って大敗した。
連合軍側の呼称はフィリピン戦。


概要



背景


19432月ガダルカナル島争奪戦に敗れてからというもの、日本軍の勢圏は後退を続けていた。アメリカ軍の反攻は日に日に増大し、1944年に入るとマキン、タラワ、クェゼリン、ルオット、ヤルートブラウンが次々に失陥。一大拠点のトラックパラオも大襲を受け、再起不能に追いやられた。アメリカ軍の次なる標は、マリアナ諸……ひいては日本の南洋庁がある中心地サイパンであった。ここを奪取すれば、いよいよB-29爆撃圏内に日本本土が収まる。本土爆撃の足がかりのため、アメリカ軍サイパンに狙いを定めた。

論、日本軍サイパン来襲を予見しており、19439月に制定された絶対国防圏では要地に設定された。これに伴って海軍は特別根拠地隊や陸戦隊を増陸軍満州から第29師団を増援に送った。ところが1944年3月31日海軍事件が発生。連合艦隊長官古賀大将の搭乗機が墜落し、機密文書がアメリカ軍の手に渡ってしまったのである。これにより日本側の防衛体制や作戦が筒抜けとなる。また3月からサイパンに敵の偵察機が飛来し、4月中旬からは低爆撃をしながら空撮していくなど来攻の前兆が見受けられた。

帝國海軍1944年3月、再建したばかりの機動部隊で第1機動艦隊を編成。マリアナ方面に来襲する敵艦隊に艦隊決戦を試みる「あ号作戦」を1944年5月3日に策定し、空母護衛艦艇、油槽船などを東南アジアタウイタウイ泊地へ進出。その旗艦には新鋭の空母大鳳が据えられた。正規空母だけでなく千歳千代田龍鳳などの改造空母も充てられた。泊地では各空母に配備する航空隊の訓練が行われたが、錬度不足が露呈。第653航空隊に至っては攻撃兵になりえないと判定されたほど。それでも訓練が繰り返されたが、泊地内では状態が続いて訓練日が限られ、合いに出れば潜水艦が手ぐすね引いて待ち構えているので錬度がなかなか上がらなかった。対潜掃討に向かった駆逐艦は逆に沈められ、ただでさえ薄い対潜網が余計に貧弱になる悪影まで発生した。

訓練中の事故で66名の搭乗員が死亡し、40機以上の機体を失った。


あ号作戦開始


1944年6月13日空母15隻と戦艦8隻を中心としたアメリカ軍の大部隊がサイパン艦砲射撃を開始。15日には海兵隊二個師団が上陸を開始した。さらに空母部隊は周囲の飛行場を底的に襲し、基地航空隊500機を消し飛ばした。被害を免れたヤップトラックから迎撃機が出撃したが、散発的な攻撃だったため上陸用舟艇1隻を沈めた程度だった。

この危急を受け、6月15日タウイタウイ泊地から小沢三郎中将率いる迎撃艦隊を出撃。ビアク輸送作戦に従事していた部隊に原隊復帰を命じ、一部が小沢艦隊と合流した。小沢艦隊は大別して三群に分かれ、本隊の前衛には栗田健男中将率いる戦艦部隊と千歳千代田龍鳳が展開。本隊の甲部隊には旗艦大鳳翔鶴瑞鶴が配置、部隊には城島少将率いる龍鳳隼鷹飛鷹が配備され、いずれも周囲には護衛艦艇が囲んでいた。

6月17日夕刻、潜水艦キャバラ(フライングフィッシュとも)に発見され位置情報通報されてしまうが、何故か情報伝達に不備があって官スプルーアン大将のもとに届いたのは翌という有様だった。既に情報が古くなっていたため有用とはなり得なかった。

小沢艦隊の戦は大空母5隻(大鳳翔鶴瑞鶴隼鷹飛鷹)、小空母4隻(千歳千代田龍鳳瑞鳳)、航空機439機を擁していた。対峙するアメリカ艦隊は空母12隻を有し、航空機も956機を擁していて数の差は歴然だった。質・量ともに劣勢な小沢艦隊は、重な空母を守るためにアウトレンジ戦法を選択。これは足の長い日本軍機の特徴を活かし、敵機の行動範外から一方的に攻撃するというものだった。前面には戦艦を配置して敵機を釣り上げ、敵の防備が手薄になったところを攻撃隊が低で接近。レーダー化しながら敵空母ダメージを与え、足並みが乱れたところを戦艦部隊が前進して突く作戦だった。またミッドウェー海戦の戦訓から索敵を底し、作戦が円滑に進むよう地盤を固める想定がなされた。

6月18日、両軍は互いに索敵を実施。同日小沢艦隊はアメリカ第5艦隊を捕捉する事に成功する。対するアメリカ軍は索敵に失敗し、日本機動部隊の位置すら把握できていない状態だった。飛行艇小沢艦隊の発見に成功し位置情報通報してきたが、これまた情報伝達の不備で18日中にスプルーアン大将まで届かなかった(届いたのは翌)。


6月19日


6月19日小沢艦隊は再び偵察機を放って敵艦隊の位置を確認。午前6時34分に第1敵艦隊(「7イ」と呼称)、午前8時45分に第2敵艦隊(15イ)と第3敵艦隊(3リ)を発見。偵察機の大半は敵第58任務部隊の戦闘機に撃墜されるが、攻撃に必要な情報は全てった。アメリカ艦隊も索敵機を飛ばし、血眼になって小沢艦隊を捜索したが、ついに見つからなかった。そして午前8時30分、各空母から爆装零戦45機、撃機27機、艦爆53機、零戦48機が出撃。1時間半後に艦爆53機、撃機27機、零戦48機が発進した。

第一次攻撃隊が発進した頃、4隻の潜水艦小沢艦隊にび寄っていた。このうちキャバラが放った魚雷が大空母翔鶴を、アルバコアが放った魚雷が旗艦大鳳を撃沈。一度に2隻の大空母を失ってしまう結果となった。攻撃隊は機動部隊の上に辿り着いたが、既に大量のヘルキャットが待ち伏せており一方的な殺戮劇が始まった。日本側の搭乗員は錬度不足であり、敵機に背後を取られても機体を左右に振らなかったので格好の的となった。アメリカ軍パイロットは「七面撃ち」と揶揄した。決死の覚悟で敵艦に突撃したものの、ワスプバンカーヒルに小規模な損を与えた程度だった。アメリカ軍に艦船の被害く、23機の戦闘機を失っただけで済んだ。

小沢艦隊では、送り出した航空隊が全く帰還しないので「おそらくグアムに降りているのだろう」と推測していた。373機中、帰ってきたのは130機のみだった。翔鶴が沈没してしまったため、所属機はひとまず瑞鶴に着艦した。燃料補給をするため、油槽船が待機している北西方面に針路を向けた。一方、スプルーアン日本機動部隊を捕捉するため前進。艦隊からは索敵機を、陸上基地からは長距離偵察機をバンバン飛ばし、の根を掻き分ける勢いで探し回ったが、発見には至らず。小沢艦隊は既に偵察機行動範囲から脱していたのである。


6月20日


翌20日夕刻、給油を済ませた小沢艦隊は残余の機体を使って再び敵に攻撃を仕掛けようとしていた。しかし16時頃、エンタープライズの索敵機に発見され、約1時間後に猛襲を受ける。瑞鶴は命中弾を受けて損傷、隼鷹千代田は中破、飛鷹撃で撃沈されるという大損をこうむる。190機あった航空機は僅か35機にまで減少し、作戦の続行は不可能として陰に紛れて沖縄方面に撤退した。

一方、夕闇が迫る中で攻撃を強行したアメリカ軍もタダでは済まなかった。着艦失敗や燃料切れで80機以上を喪失したのである。献身的な救助活動により、死者はパイロット16名と整備員36名で済んだ。


結果


虎の子の大空母3隻と航空機300機以上を失った帝國海軍は、せっかく再建した機動部隊を失った。8月より機動部隊の再建が始まったが、1945年2月に断念。ついに再建はわなかった。小沢艦隊の撤退によりサイパンの救援は不可能になり、守備隊は玉砕。マリアナ諸の失陥に繋がり、西太平洋の制権はアメリカ軍の手中に収まった。

一方、大空母3隻を撃沈して小沢艦隊を追い返したスプルーアンス率いる艦隊であったが、課題が残る勝利となった。ギマラスを出撃してきた小沢艦隊を潜水艦が何度も発見していながら、情報伝達の不備で部に位置情報が伝わらず、小沢艦隊のアウトレンジ攻撃を許してしまった。ミッドウェーの戦訓から索敵を底し、機動部隊の位置を把握していた日本側とは対照的である。また慎重なスプルーアンスは逃げ小沢艦隊を積極的に追撃せず、戦果拡大のチャンスを逃した。特に日本艦隊の大部分を傷で逃がした事は航空関係者の不満を買った。ゆえに「ハルゼーだったらもっと戦果を挙げられたのに」というが散見されたという。とはいえスプルーアンスの主任務はサイパン攻略支援であり、安易に持ち場を離れなかったとも取れる。ちなみにアメリカ軍翔鶴大鳳を取り逃したと誤解しており、レイテ沖海戦終結まで気付かなかった。


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最終更新日: 21/05/24 08:17
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