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マーベラスサンデーとは、日本の元競走馬・現種牡馬である。
サンデーサイレンス初年度産駒で、1997年の三強を形成した一頭。
父はサンデーサイレンス、母は早田牧場の功労馬でカナダの名馬モミジの娘であるモミジダンサーと、サンデー初年度に外部から来た牝馬の子としてはかなりレベルの高い血統の持ち主である。
しかしながら牧場時代は貧弱な体つきで誰も買い手がつかず、同じ牧場の生まれのマーベラスクラウンの調教師である大沢真師に頼み込み、受け入れを取り付けた後クラウンの馬主に売るという手段を使わざるを得なかった。
しかしこの馬、入厩させてみると走る走る。古馬のオースミタイクーンを楽にぶっちぎる調教を見せ、
タイクーンを管理していた武邦彦調教師が驚きのあまり「豊を乗せてやってくれないか!」と調教師に直談判したくらいである。この出来事でデビュー前から武豊が主戦に決まった。
しかしこの直後右膝を骨折。休養中に重度の疝痛で生死の境を彷徨うなど、いきなり能力を見せる前に死にかけてしまった。なんとか生き残れたが一歩間違ったら死んでいたところである。
紆余曲折ありつつも4歳2月の新馬戦に出走。快勝し続く条件戦も勝利、遅れてきた大器と目されたがまた右膝を骨折。
休養し、菊花賞戦線からの復帰を予定していたが今度は復帰戦への調教中左後脚を骨折し秋も棒に振る。むむむ。
そして復帰したのは翌年4月。結局一年間の休養となってしまったがここから快進撃が始まる。初戦こそ4着に終わったがここから怒涛の6連勝。重賞4勝を含む凄まじい内容で、とんでもない上がり馬がいると一躍注目を集めた。
そしてGⅠ初挑戦となった天皇賞(秋)では天皇賞春秋連覇のかかったサクラローレルに次ぐ2番人気に推された。しかし現実は甘くはない。
勝ったバブルガムフェローはおろか超絶糞騎乗で大きなロスのあったサクラローレルにすら先着できず4着に敗れてしまう。
続く有馬記念では先に抜け出す戦法を取るもサクラローレルの豪脚に切り捨てられ2馬身半離された2着に終わる。完敗である。
翌年はステップとして大阪杯を快勝し、有馬からぶっつけでやって来たサクラローレルと阪神大賞典を新境地となる追い込み戦法で圧勝し復活の気配を見せたマヤノトップガンと三強を形成し天皇賞(春)に臨む。
マーベラスは三番人気に推され、道中サクラローレルマークを敢行し、直線半ばで先に先頭に躍り出る。三強の中で最も果敢に動いて勝利を掴みにいった。
しかし前年王者の意地を見せ盛り返したサクラローレルに差し返しを喰らい、その大外から末脚一閃強襲してきたマヤノトップガンにまとめて差し切られ3着に敗れる。
ずっと主戦の武豊いわくソラを使う(先頭に立つと気を抜く)癖が出てしまったとのことだが、ローレルの重厚な底力とトップガンの千変万化の対応力に敗れる形となった。
しかし次走、トップガンもローレルもいない宝塚記念はきっちり勝利。バブルガムフェローを負かしての勝利なので誇って良い勝利である。少なくとも前年1996年宝塚記念よりはry
秋はローレルが凱旋門賞遠征、トップガンが屈腱炎で引退と千載一遇の好機であったが、宝塚記念後に発覚した四度目の骨折で休養中であった。
軽度の骨折だったためなんとか間に合わせた有馬記念では、最後に残った三強の一角ということで一番人気に推され、マーベラス不在の中天皇賞(秋)を武豊鞍上で勝ったエアグルーヴの挑戦を受けた。
直線先に抜けだしたエアグルーヴをきっちり捉え抜き去る。これは勝ったと思わせたが、外から残念!ジャスティスちゃんでした!と言わんばかりに末脚を爆発させたシルクジャスティスの乾坤一擲の走りに敗れ2着となった。
翌年も現役続行を表明したが始動戦の前に屈腱炎を発症し引退。種牡馬入りした。
通算15戦10勝2着2回3着1回4着2回と、掲示板を外さない安定感はあった。しかし超一流には何か足りない、最後までその印象は払拭出来なかった。
気性が激しいため、マーベラスクラウン(名うての気性難でタマを取られた)の厩務員をあてがわれたが、実際はレース前になると騒ぐことなく闘志を内に秘め、鞍上の武豊も悪さをしないいい子と褒めるほどの賢いエピソードを持ちながら
パドックで気持ちよく放尿する間抜けさも見せていた。なんだか三枚目。
種牡馬入り後も毎年100頭は牝馬を集めるサンデーサイレンス後継種牡馬の中堅格として活躍。地方・中央問わず安定してほぼ毎年勝ち上がり馬や重賞勝利馬を出している。
産駒の傾向として、自身が遅れてきた馬であったこともあってか晩成傾向が強く、2017年までの重賞16勝のうち4歳までに3勝・残り13勝は5歳以降である(OP以上の成績も古馬になってからのほうが成績がグンと向上する)。GⅠには足りず、最も成功したシルクフェイマスも結局GⅠには手が届かなかった。
そして、2012年シーズンをもって種牡馬引退が発表された。体調を崩したフジキセキとほぼ同時期の引退となった。
ジェニュインやタヤスツヨシ、バブルガムフェローあたりよりは実績を残し長く名種牡馬として君臨することが出来たのであった。
その後は余生を送っていたが、2016年に24歳で老衰のため亡くなった。三強を形成したサクラローレルとマヤノトップガンより先に旅立つこととなった。
なお、父サンデーサイレンスの初年度産駒で栃栗毛の産駒はわずか1頭。それがマーベラスサンデーである。
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