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ミスターシービー


ヨミ: ミスターシービー
掲示板をミル!
38カキコ!

83年、菊花賞

そのは、タブーを犯した。最後方から、上りで一気に先頭に出る。

そうか、タブーは人が作るものにすぎない。

そのの名は…

2012年菊花賞CMより 

ミスターシービーとは、1980年まれの競走馬。史上三頭三冠馬である。

おそらく、史上最もファンされた三冠馬である。


生い立ち


トウショウボーイ シービークイン トピオという血統。は同じレースデビューしたという奇縁を持っていた(同じレースにはグリーングラスも出ていたのだが)トウショウボーイは言うまでも競馬史上に誇る「天馬」。も重賞二勝の活躍であった。ミスターシービーはどちらかと言うとに似ていたという。

実はこの配合は本来実現しないであった。トウショウボーイ日高種馬農協所有の種シービークイン河の。種付けの権利がかったのである。しかし、当時種入りしたばかりだったトウショウボーイ不人気で、良血のはほとんど集まらない状態だった。そこへやってきた重賞三勝。「逃す手はいだろ」と担当者の独断で種付けしてしまったのである。

もちろんばれて大いに怒られたという。だがミスターシービーが活躍し、トウショウボーイに種付け依頼が殺到するようになると、逆にその判断を称揚されるようになったそうな。

ミスターシービーという名前は「千明CHIGIRA)牧場(BOKUJYOU)」を代表するという意味が込められている取って置きの名前だった。あれ?でも1934年生まれのに同じ名前がいたような・・・。あれは障だからいいんだよ!

スピードであり、ミスターシービーも丸みのある如何にもスピードのありそうなであった。関係者は「これはスピード抜群な、逃げになるのではないか」と期待したのだった。・・・が、ミスターシービーには一つ問題があったのである。

気性がしかったのだ。このため、有体に言ってレースが下手だった。

戦こそ先行してあっさり勝つが、二戦では大きく出遅れ。しかも引っ掛かって前を強引に追いかけて、ようやく首差の辛勝。三戦には更に大きく出遅れてしまう。

ところが、直線で猛然と追い込んで、ウメノシンオーに頭差届かなかったものの二着に突っ込む。その脚に上の吉永正人騎手は、追い込みとしての可性を見出したのである。


三冠への挑戦権獲得


共同通信杯、弥生賞とも前半は死んだ振りして、1000m過ぎから一気に伸びて抜け出すというパターンで重賞を二連勝。皐月賞には一番人気で乗り込んだ。

この時の皐月賞田んぼみたいな不良馬場だった。ライバルと見做されたのはメジロモンスニー。ちなみにこのレースには他に、カツラギエースニホンピロウイナーが出走していたという後から考えると物凄いメンバーが集まっていたのだった。ミスターシービーは序盤で不利をった事もあり後方追走。しかしミスターシービーは向こう正面から徐々に進出。直線入り口でカツラギエースを捕らえると、泥だらけの体で猛然と抜け出し、追いすがるメジロモンスニーを半身抑え切った。

続くダービートウショウボーイ辱が掛ったこのレース、ミスターシービーは1.9倍の一番人気。しかし何とミスターシービーはいきなり出遅れる。しかし吉永騎手は慌てることなく1コーナーをに21頭中18番で入って行った。ダービーポジション?なんすかそれ?。当時の常識的にはありえないレース運びに場内は大きくざわめいた。しかし3コーナー過ぎから徐々に上がって行き、4コーナーではキクノフラッシュブルーダーバンを跳ね飛ばして大外に持ち出す。そして直線では々に先頭。おいおい、こんな乱暴なレースして大丈夫か?ファンハラハラしたのだが。いいや、まったく問題ない。メジロモンスニーの追い込みなんて添え物にもならない強さで圧勝した。

の二冠カツトップエース以来。危うくカブラヤオー以来と書くところだった。当然三冠馬の期待が掛かるところだったのだが・・・。

なにしろ、あのシンザン以来、三冠馬は19年の長きに渡って出ていなかったのである。その間に三冠に跳ね返されたの二冠タニノムーティエヒカルイマイカブラヤオーカツトップエースの4頭に上る。いずれも菊花賞を前にトラブルが生じて挑戦すら出来ない有様(タニノムーティエは喉鳴りを押して一応出走はした)。あんまりにも出ないので「三冠馬はもう出ないのではないか?」そうまで言われていたのだった。


19年ぶりの三冠馬


果たしてミスターシービーもに蹄を傷め、風邪を生じて調整が遅れに遅れる。どうにか出走した京都新聞杯では期待を裏切る4着に敗れてしまう。「ああ、やっぱり三冠馬理か」多くのファンはこの時点で偉業達成の撃を諦め始めていた。しかし、このレースの勝ちはあのカツラギエースであり、展開が向かず、調整不足(プラス12kg)だった事を考えれば悲観するほどの内容ではかったのである。

そして菊花賞。前走よりも人気を落としたとはいえ、一番人気のミスターシービー。・・・だったのだが。

なんと、スタートから抑えて最後尾を追走する形になったのである。なんとも良い度胸だよなぁ吉永騎手。そのままのんびり2コーナーシンガリで通過。場内は大きくざわめいた。おいおい、あんなところから届くのか・・・

更にとんでもない事が起こったのは、向こう正面であった。吉永騎手群を追走しながら仕掛けのタイミングを計っていた。その時、斜め前方にアテイスポート上の菅原騎手を認めたのである。菅原騎手はこの前年、ホリスキー菊花賞を勝っていた。吉永騎手を掛けた。

「ヤッさん!ヤッさんが去年行ったのはこの辺だったかな!」すると菅原騎手は後ろを振り返って怒鳴った。

「おう!ぼちぼち行けや!」

それを聞いて、吉永騎手はほんの少し、シービーの手綱を緩めた。

すると、それまで行きたいのに吉永騎手に手綱を絞られていたミスターシービーは「待ってました!」とばかりにスパートを始めてしまったのである。ボチボチどころではい。慌てて手綱を絞る吉永騎手だったが、火がついたシービーは止まらない。京都競馬場の3コーナーの坂の上り、シービーは大外を通って一気に先頭に並び掛けてしまう。

「なにやってんだ~!」ありえないレース運びに京都競馬場に悲鳴が満ちる。しかし今回驚いたのはファンだけではない。松山康久調教師も「なんて事をするんだ!」と思わず立ち上がってしまったという。京都の3コーナーからの上り下りは「ゆっくり上り、ゆっくり下る」のが常識。しかしシービーは下りではくも先頭。直線で20頭の追い込みを受けて立つ事となった。

いくらなんでも駄だろう。捕まるに決まってる。絶望し、ファンは思わずを閉じた。

しかしシービーの脚は衰えない。それどころか更に脚を伸ばす。「大地が、大地が弾んでミスターシービーだ!」「史上に残る、史上に残るこれが三冠の脚だ!」杉本清アナウンサーは叫び、ファン奇跡撃して歓喜のを上げた。

3身差をつけてミスターシービーが優勝。この間、19年ぶり、史上三頭三冠馬が誕生したのであった。この時代、既にほとんどの競馬ファンシンザンレースを実際ににした事がかった。ミスターシービーはつまり、競馬ファンにとって初めて現実に現れた三冠馬だったのである。場内実況が「この間に立ち会え、お伝えできた事は本当に幸せです」と言ったという。当時の感動がどれほどのものか分かろうというのものである。


四冠獲得とライバルたちの動き


文句競馬界の英雄になったミスターシービー。菊花賞の直後には第3回のジャパンカップが行われる事になっていた。ミスターシービーにも当然、参戦の期待が掛かったのであるが、シービーは回避。外国人記者から「なぜ日本最強が参戦しないのか?」と不満のが上がったという(「うちの日本最強が相手してやる!」とキョウエイプロミス営が息巻いたが)。シービーは有馬記念も回避。その後どうも蹄の状態が思わしくなくなってしまったらしい。翌年は全休になってしまうのである。

ミスターシービーが復帰に手間取っている間に、競馬界には大事件が起こっていた。その年の3歳クラシック。そこに前年のシービーを上回る衝撃を持って登場してきたのが、かのシンボリルドルフであった。額に三日月模様を持つこのすらりと美しいは、なんと皐月賞日本ダービー敗で制覇。先行してカミソリのような切れ脚で抜け出すというシービーとは打って変わってハラハラ感がスタイル。二年連続での名の誕生に競馬ファンは沸き返り、くもこの二頭の対決に胸を膨らませた。

また、宝塚記念ではカツラギエースシービー不在の中、ホリスキーら古達を相手に快勝し、打倒シービーへ再度駒を進めてきていた。

しかしシービーの復帰はついにまでずれ込んだ。毎日王冠。実に11ヶぶりのレースであった。流石のシービーでもそれはどうなの?と思ったファンは一番人気を彼ではなく、大井競馬からやってきたサンオーイに与えてしまう。ところがこのレースが凄かった。最後方から東京競馬場の長い直線を凄まじい脚で駆け上がり、カツラギエースの二着に突っ込んだ。推定33.7という3ハロンタイムは当時の馬場を考えれば信じられないものだった。負けこそしたが、三冠馬の健在ぶりは十分に見せ付けたのである。

ついでに言えば、この時にファンはその恐るべき末脚でも交わせなかったカツラギエースの存在を覚えておくべきだったのである。シービー復活に喜び過ぎても気が付かなかったが・・・。

こうなればもう、天皇賞(秋)シービー一色。この年から番組体系に大革が行われ、天皇賞(秋)はこの年から東京2000mで行われる事になっていた。ミスターシービーは当然の一番人気

レースでは例によってぽつんと最後方追走。おいおい。そして大ケヤキの手前からまくりに掛るが、ペースが遅かったせいか思うように前に行けない。直線を向いてもまだ後方。おおい、大丈夫なのか?しかしシービーは直線のん中から猛然と追い込み始める。すると桁違いの脚を繰り出して、りこむカツラギエースをねじ伏せ、追い込むデュムナムキングも抑えてゴール。1分593はコースレコード。四冠は史上二頭の大快挙。府中は「ミスターサラブレッド」ミスターシービーの強さに酔いしれた。


後輩三冠馬シンボリルドルフとの戦い


しかし、今思えばこのレースシービー最後のきだったのである。

翌週、シンボリルドルフ敗で菊花賞を制覇。二年連続の三冠馬誕生。ファンは快挙に熱狂。日本競馬史上未だにただ一度しかない三冠馬対決に心を躍らせた。しかもその対決の舞台は、これまで日本が外フルボッコにされ続けたジャパンカップ三冠馬のどちらが強いのか。果たして、日本初の勝利なるか。もがレースを心待ちにし、競馬を知らないファンまでがレースを気にしていた。

一番人気はミスターシービー。ルドルフを上回っていた。3歳と古の差もあるが、当時はルドルフの勝ちっぷりは危ういとしてシービーの方が強いという人も多かったのである。まぁ、ルドルフが4番人気だったのは中一週という強行ローテーションと、体調不良下痢ピーだったそうな)を伝えられたのが影したのだろう。

ところがこのレース、なんと勝ったのはミスターシービーでも、シンボリルドルフでも、外でもなく、カツラギエースだった。シンボリルドルフは3着。ミスターシービーはなんと10着に敗れ去った。あまりに意外な結果に東京競馬場は静まり返ってしまう。毎日王冠走の反動か、シービーには闘争心が見られなかったらしい。

続く有馬記念JCの大負けのせいで一番人気シンボリルドルフの手に渡った。レースも、カツラギエースの逃げを二番手から余裕綽々で捕らえたシンボリルドルフに対し、ミスターシービーは不利があったとはいえ、カツラギエースに触れることも出来ない三着に敗れてしまう。このレースを見れば、もう誰だって二頭の三冠馬のどちらが強いのか分かるでしょ。そうシンボリルドルフが言ったようなレースだった。

翌年、産経大阪杯では得意距離といえる2000mでステートジャガーに届かない。もはや落ちは明らかだった。しかしシービーはそれでも天皇賞(春)に出走した。そこには、現役最強どころか史上最強なのでは?というすら上がり始めていた、シンボリルドルフが待ち構えていた。

レースはもはやるも残である。3コーナー手前で菊花賞と同じように上がっていき、場内を大きく沸かせたミスターシービーだったが、直線入り口ではシンボリルドルフに並ぶ間もなく交わされる。「シンザン以来20年ぶりの五冠!」とシンボリルドルフが称えられるはるか後ろで、かろうじて掲示板に残るのが精一杯であった。

ミスターシービーはこのレース後、故障を発生。引退した。結局、シンボリルドルフには一度も先着する事が出来なかったのである。


それでもシービーは・・・


通算15戦8勝。G1レベルレースは4勝。しかしその中に19年ぶりの三冠が含まれている限り彼の名は永遠に日本競馬史に残る。

ミスターシービーといえば「追い込み」で有名であるが、実は三冠レースを見る限り、どれも3コーナー手前からなりで一気に上がって直線入り口では先頭か先頭付近にいて、直線で抜け出してで押し切るといういわゆる「まくり」を得意としたであるように思われる。気性に不安があるために騎手が抑えるから後方からの競馬になるんであって、3歳当時のミスターシービーは、行かせればぐわ~っと前に行っちゃうだったのである。


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最終更新日: 12/10/18 16:05
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