ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


メジロブライト


ヨミ: メジロブライト
掲示板をミル!
11カキコ!

メジロブライト(1994年4月19日生~2004年5月16日没)は日本競走馬同様勝てそうで勝てないもどかしさがされた名である。

※当記事では、メジロブライトの活躍した時代の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。


概要


メジロライアン レールデユタン マルゼンスキーというも内産という血統。いかにもメジロ牧場という感じがするが、実はメジロ牧場生産ではない。オーナーブリーダーであるメジロ牧場はどうしても同牧場出身同士での配合が多くなり近親配合の危険性が常に付きまとう。メジロ牧場ではそれを回避するため外部の血統を導入することがあった。レールデユタンはそんな中の一頭である。

メジロライアンは結局G1を一つしか取る事が出来ず、種としては当初あまり期待されていなかった。しかしメジロ牧場としては思い入れの深い一頭で、関係者は彼の種としての成功を強く願っていた。だがメジロ古来の血統を持つメジロライアンメジロ牧場のには種付けし難い。そこで白羽の矢が立ったのがレールデユタンである。

しかしそこから生まれたメジロブライトは3歳時はひょろんとした体で、見栄えがしなかった。動きも悪く、「劣等生」扱いだった。実際、デビュー戦は6頭立ての6番人気。単勝は58.9倍。ちなみに5番人気は13.5倍なのでぶっちぎりの最下位人気であった。実はメジロ牧場はマックイーンやライアン引退して以来この年まで絶不調で、ファンの間では「メジロ牧場はもう駄だ」とまで言われていたのだった。ブライト不人気はそのせいでもあったかもしれない。

ところが彼はここを勝つ。不人気を覆して勝ったのだから、メジロブライトの評価が上がったかといえば・・・、そうでもなかった。このレース、芝1800mの良馬場であったのだが、勝ちタイム2分016も掛かっていたのである。遅い!遅過ぎる!

これがどれくらい遅いかというと、現在の芝1800mの日本レコード1分441、同じ日に同条件で行われた仁山特別(4歳以上500万下条件戦)の勝ちタイム1分492である。3つを較すればぶっちぎりの遅さである事が良く分かる。

あまりの遅さに「歩いてんのか!」という野次が飛ぶありさまで、浅見調教師が伊藤調教師に冗談でブライトの譲渡を持ちかけたところ「1800mに2分も掛かるはいらん」と一蹴されたという話まである。

ただし、実はこのレース後から考えると非常に強い勝ち方である。このレースではメジロブライトは出負けして後方からの競馬になったのだが、ウルトラスローペースレースで最後方から函館競馬場の短い直線だけで5頭をまとめてごぼう抜きにしているのである。しかもこの5頭の中には後にオープンまで出世するが2頭も混じっていた。

なので、2着を二度挟んでから挑んだラジオたんぱ杯3歳ステークス(G3)を勝ち、4歳になってから共同通信杯4歳S(G3)に勝って一躍クラシックの最有補に躍り出たのも当然の事だったのかもしれない。ファンは「ネタだなwww」と思っていたので相当びっくりしたのであるが。

しかしながらプリングS(G2)で2着に敗れると、一番人気で迎えた皐月賞は後方で有とけん制しあってサニーブライアンに届かず4着、またも一番人気に推されたダービーでは出負けからやはり後方からの競馬になりまたもやサニーブライアンの3着と後を拝した。メジロブライトは長い脚は使えても一の切れ味には欠けており、しかもスタートでもたつく癖があるために前でレースを進めることもできず、強い逃げレース導権を握られるとどうしようもなかったのだ。

になって京都新聞杯(G2)を3着。二番人気で迎えた菊花賞を3着。この辺で「ああ、なんというか親父そっくりだ・・・」ともが詰めの甘さに定評があったメジロライアンを思い出したものである。やはりネタかと思ったファンも多かった。しかしながらになって彼の体は見違えるように成長していた。

そして復活を期して出走したステイーズステークス(G2)。ここをおよそ12身という大差(1.8差)で勝つと、翌年アメリカJCC(G2)を勝ち、阪神大賞典(G2)もシルクジャスティスをねじ伏せて勝利。それまでのゆいレースのような圧勝続きであった。特に印深かったのがAJCCで、4コーナー手前で上がっていった時、中山競馬場がまるでG1の時のように沸いた事である。もがクラシックを惜しくも逃し続けていたブライトの才に拍手を送った。

そして迎えた天皇賞(春)。大外を通って堂々伸びたメジロブライトは、シルバーコレクター仲間ステイゴールドを従えて2身差の圧勝。遂にG1勝利したのだった。ちなみにこれが、天皇賞愛して止まなかったメジロ牧場にとってマックイーン以来久しぶりの天皇賞勝利であり…、最後の天皇賞勝利である。

遂にメジロブライトの時代が来た!ファンは小躍りして喜んだのだが・・・。

続く宝塚記念ゲートの中で立ち上がって外発走。ファン然。天皇賞(秋)ではあのサイレンススズカの故障を交わそうとして外に吹っ飛ばされ・・・不運な負けが続く。そして今度こそと出走した有馬記念だと言われるほど走するグラスワンダーに届かず2着に敗れてしまう。

メジロブライトの悲劇は、一つ下にクラシックディスタンスで活躍する強っていた事である。逃げセイウンスカイ。先行して切れる脚が繰り出せるグラスワンダースペシャルウィークスタートが下手で、一の切れがいために、最後方からのロングパートに頼らざると得ないメジロブライトにとって、敵ともいえる脚質を持つこいつらには何度挑んでも敵わなかったのだった。

結局、天皇賞以降は日経杯に勝っただけで引退25戦8勝二着8回メジロ牧場活躍の常として長く現役を続けた彼が最後に出走したレースは、テイエムオペラオーが勝った京都大賞典であった(8着)。

引退後は種になったのだが、受胎率が低かったのが災いしたのか活躍はほとんどいない。しかし一、マキハタサイボーグステイーズステークスを親子制覇してステイヤー血統の意地を見せた。

2004年心臓発作で急死。故にアンバーシャダイからメジロライアン、メジロブライトと繋がってきた血統は途切れることになってしまった(マキハタサイボーグ去勢されてしまっている)。まことに残念である。

レース振りが不器用で勝ち味に遅く、ゆいレースが多かったが、そこがまたらしいだった。スマートで抜けた体をしており、パドックで非常に見栄えがした。特に首差しの美しさは未だに忘れ難い。条件の合ったレースでは必ず好走するであり、馬券の軸としては意外と硬いでもあった。

2011年、メジロブライトの勝った天皇賞で二着になったステイゴールドの産駒オルフェーヴル三冠を達成。メジロブライトの産駒もここにいて欲しかったなぁとしんみりしたのは私だけで良い。


関連動画



■sm15410424[ニコ動]

■sm3234713[ニコ動]

■sm16524532[ニコ動]


関連商品


■azB0033AYLOU


関連コミュニティ


■co374


関連項目



外部リンク



最終更新日: 12/11/28 22:13
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ