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メジロライアンとは、1987年生まれの競走馬。要するにあの「ライアン!」のライアンである。
父アンバーシャダイ 母メジロチエイサー 母父メジロサンマンという血統。父はノーザンテーストの代表産駒である。
この年のメジロ牧場産馬は当たり年で、実際メジロマックイーン、メジロパーマーなどGⅠを複数勝つ馬が出ているが、中でも最も期待されていたのが他ならぬメジロライアンであった。
ところがこの馬、気性が幼く、初勝利は4戦目であった。その後は順調に出世して、不良馬場で直線一気を決め弥生賞を勝った頃には「クラシック最有力候補」と騒がれていた。ちなみに、毎年この「最有力候補」は誰かしら出るものだが、だからと言ってクラシックに必ず勝てるとは限らない。むしろ死亡フラグになる場合も多い。
そうとは知らない若き横山典弘騎手は「ゴールの瞬間、この先(クラシック)が全部見えた気がしましたね!」と言ってしまった。死亡フラグ確定である。
案の定、皐月賞、ダービー共に追い込んで届かない。特に皐月賞では「ああ、横山やっちゃったな」とみんなが思ったものだった(ダービーは仕方が無い)。
秋になって京都新聞杯をレコードで制し、今度こそとの思いを胸に菊花賞へと向かうも、ここには同期の桜、いや、メジロ。メジロマックイーンがいた。春は無名だったこの馬は、ゆっくりと成長して菊花賞に出走してきたのだった。よりにもよってこいつは先行抜け出しのそつが無いレースをする、要するに追い込み一手のライアンとは極めて相性が悪い馬だったのだ。
横山騎手はいつもより速めに動き、マックイーンを捕まえに掛ったのだが、届かない。実況の杉本清アナウンサーは「メジロでもマックイーンの方だ!」と叫んだ。このレース、ライアンの方が一番人気だったのだ。
クラシックは無冠に終わったメジロライアンは、有馬記念に出走する。メジロ牧場はライアンにタイトルを獲らせたいがために、マックイーンを回避させることまでしたという。メンバーは一見豪華だが、実は既に全盛期を過ぎてしまった馬ばかりで、ライアンにとっては絶好のチャンスだった。このレースは希代のアイドルホース、オグリキャップの引退レースでもあり、中山競馬場は超満員であった。
このレース、スローペースから3コーナー手前で突然ペースが上がるのだが、ライアンはここで一瞬置かれてしまう。ここでスーッと上がっていったのがオグリキャップ。4コーナーから直線に入るとオグリが一気に抜け出す。場内がうおおお!っとどよめき、実況の大川和彦アナウンサーも大興奮して「オグリキャップ先頭!」と叫んでいた。もちろん、テレビ桟敷の前の競馬ファンもまさかのオグリ激走に思わず立ち上がった。
そこに突然「りゃいあん!」と変なおっさんの声が聞こえたんである。?と思っているともう一度「らいあん!」とでかい声が。
後で聞くところによるとこの声は競馬解説者であった大川慶次郎氏の叫びだったんだそうである。何でも直線、暗くて大川氏にはオグリキャップが良く見えず(オグリキャップは灰色なので)、それなのに大川アナウンサーは「オグリキャップ」と叫んでいる。あんな終わった馬来るわけ無い、と思っていた大川慶次郎氏は猛然と追い込んでくるメジロライアン(大川氏の本命)を大川アナウンサーが見えてないんじゃないかと思って?つい「ライアン!」と叫んだんだそうである。
大川慶次郎氏の声援に応えてライアンは物凄い勢いで伸びたのだが、オグリキャップも脚が止まらず、オグリが一着でゴール。大川アナウンサーは「オグリ一着!右手を挙げた武豊!」とガッツポーズの手を間違えるほどの大興奮。しかしながら場内のファンたちの興奮の仕方に比べれば可愛いものであった。何しろ、みんな泣いていたのである。マジ泣きだ。オグリキャップが勝ったことが。復活したことが嬉しくて、意味も無く叫び、知らない連中と肩を抱き合い、オグリの名前を力の限り叫んでいた・・・。
あ、ここ、ライアンの記事だった。ま、まぁ、競馬史に残るドラマの引き立て役なんてそうそう出来る役回りじゃないからこれはこれでライアンのためには良かったんではないかと思う。この負けで、競馬ファンはメジロライアンには妙に優しくなったのだから。
翌年は中山記念で二着。春の天皇賞では勝ったメジロマックイーンに肉薄するどころか4着。情けない負け続きにメジロ牧場の関係者も怒って「横山を降ろせ!」という騒ぎにまでなった。横山騎手はメジロライアンを勝たせられないことについては物凄く責任を感じており「ライアンが一番強い。負けたのは自分が悪かったから」と騎乗ミスを認めることまでしていた。
そして迎えた宝塚記念。ここにはメジロマックイーンも出走していた。この年は京都2200m。つまり京都新聞杯でレコードを出した距離である。この距離ならライアンに分がある筈。横山騎手は「ここを負けたらライアンが強いとは二度と言わない」と強い覚悟を決めて望んだ。
レースでは、なんと追い込み馬のライアンがマックイーンよりも前に位置していた。そして、3コーナーの手前から進出すると直線では一気に先頭。外を回されたマックイーンが体勢を整える前にスパートを掛けて差を大きく開くと、猛然と追い込んできたマックイーンを抑えてゴール。
ゴール前で脚が止まったライアンを押し込む横山騎手は鬼の形相であった。何としてもこの馬にタイトルを獲らせるのだという執念が窺える好騎乗だった。
メジロライアンはこの後、屈腱炎を患った事もあって3戦1勝で引退。引退式では横山騎手は大泣きだったという。
四白流星で流麗な美しい馬なのだが、たてがみを短く刈っていた(皮膚がかぶれるかららしい)こともあってなんとなくやんちゃ坊主っぽく見える馬であった。実際、気性が幼く、乗り易い馬ではなかったようである。実際、見た感じ一番良い勝ち方だったのは一番最後のレースとなった日経賞で、良い位置から楽々抜け出して勝っている。これは気性が成長していたからだろう。その意味では、もう少し走れればマックイーンやトウカイテイオーと名勝負を繰り広げてくれたんではないかとも思う。
負けて人気が出る、不思議な馬であった。特にあの有馬記念での負け以降、ファンはどうも「オグリを勝たせてくれた」ライアンに優しかった気がする。宝塚記念を勝った時には誰もが祝福したものだ。このせいか、マックイーンはあんまり人気が無かったのだが。
引退後は種牡馬になり、メジロブライト、メジロドーベルを出すなどして活躍した。残念ながら早くに受精能力が無くなって種牡馬を引退せざるを得なくなった事と、代表産駒メジロブライトの早世で後継種牡馬には恵まれなかった。実に残念である。
種牡馬引退後はメジロ牧場、2011年の牧場閉鎖後は牧場施設を引き継いだレイクヴィラファームで余生を送った。息子のメジロブライト、同期のメジロマックイーンやメジロパーマーに先立たれながらも、時折函館競馬場でお披露目もされるなど老いてなお元気な姿を見せていたが、2016年3月14日に容体が急変。スタッフの懸命な治療も空しく、老衰のため17日に息を引き取った。29歳という大往生だった。
引退後も多くのファンが牧場まで会いに来たという、生涯ファンに愛された馬だった。後継者に恵まれなかったのは心残りだが、メジロドーベルがまだ繁殖牝馬として健在で、その孫であるショウナンラグーンが重賞を勝つなど、まだ血統表に名を残すチャンスはある。記憶に残る馬・メジロライアンが真にファンの記憶に残れるかどうか、子孫たちは頑張りどころを迎えている。
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