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ヤマハワークス


ヨミ: ヤマハワークス

ヤマハワークスとは、ヤマハ発動機レース活動を行うためにメーカー直営で運営するチームである。

本稿では、MotoGPの最大排気量クラスに参戦するヤマハワークスについて記述する。
 


ライダー


名前 出身地 身長・体重 誕生日
46 ヴァレンティーノ・ロッシ イタリア ウルビーノ[外部] 181cm69kg 1979年2月16日
12 マーヴェリック・ヴィニャーレス [画像を見る] フィゲーレス[外部]近郊ロザス[外部] 171cm64kg 1995年1月12日

現在のスタッフ


クルーチーフ

ヴァレンティーノ・ロッシクルーチーフニコニコ大百科の記事「シルヴァーノ・ガルブゼラ」は、彼のみならずロッシ・チームの構成員を数多く紹介している。
 

マーヴェリック・ヴィニャーレスクルーチーフKTMワークスの記事の「かつてのスタッフ」の項に紹介文章あり。
 

メカニック

ヴァレンティーノ・ロッシメカニックさんがオーストラリアコメディアン
 
 

広報スタッフ

山形県出身で、大学卒業した後にフランスに渡った。2008年からチームLCRの広報担当となった。このブログ[外部]で9回にわたり活動報告している。

いつのまにかヤマハワークスに引き抜かれ、広報担当になっている。2017年日本GPで野佐根航汰が代役参戦したとき、テレビインタビューに応じていた。そのインタビューを管理していたのが宮崎さんで、ちらっとテレビに映っていた。
  

首脳陣

チーム内の人事権を握するボス公式サイトのこのチャートでも一番上に位置している[外部]イギリス人。

ヴァレンティーノ・ロッシホルヘ・ロレンソマーヴェリック・ヴィニャーレスヤマハ契約を結ぶ際に、先頭に立っていたのが彼である。

メディアから「○×選手と契約を結ぶのでしょうか」という質問がやってきても、軽口を一切かず、
上手くはぐらかす。何を考えているのか分からない根っからの策士とメディアに評されることが多い。

ライダーに「ウチに来ないか」と熱心に誘うことがなく、「来たければ来れば?」というドライな態度を
取るらしい。マーヴェリック・ヴィニャーレスに対してもそんな感じだったようである。大メーカー直営チームボスなのだからそういうやり方の方が適しているのだろう。

ワークスライダーを対等に扱うというヤマハの方針を体現したような人で、ロレンソ・ロッシ共存時代も2人に同じように接していた。ホルヘ・ロレンソも「ヤマハは自分とロッシをずっと同じように扱ってくれた」と発言している。

イケメンであるのでドルナテレビ中継に良く映る。いつも口をらせてモニター見つめている。



余計なことを喋らない人なので経歴などはよく分からないままだったが、この記事[外部]でちょっとだけ喋っている。また、この本[外部]168ページにすこし書かれている。

15歳の時にバイクに乗り始め、トライアル(岩などの障物をよじ登る競技。こんな感じの競技[外部])をするようになった。父親トライアルライダーだったから、それに影された。初めて乗ったバイク英国企業の作るBantam125[外部]だった。しかし、これは友人に10ポンド(千円ぐらい。タダ同然)で買いかれてしまった。

16歳の時にcandy gold FS1-E[外部]というヤマハバイクを買った。このバイクを乗り回して自由に遊んだ。年を重ねて色んなものを所有するようになったが、バイクを乗り回すことは止めなかった。

そのうちに、ヤマハヨーロッパに就職した。就職した当時のヤマハヨーロッパ社長梶川隆[外部]で、20052010年ヤマハ発動機社長になった人である。広報の仕事を任され、世界中に派遣された。派遣先でバイクの走行を楽しむこともできた。

バイクに乗ることが好きなので、「ランディ・マモラ[外部]の二人乗り」に挑戦したことがある(ランディは色んなサーキットで人を後ろに乗せてバイクで高速走行していた)。とても奇怪な経験で、もうこりごりだと思った。ランディの走行速度は速すぎる。

忙しくて時間が惜しいので、バイクで長距離旅行することはあまりしなくなった。しかしながら息子が2人いる。1995年頃生まれと1998年頃生まれなのでバイクに乗ることができる。ゆえに、3人でオフロードに乗って遊ぶことがある。

自分はFZ1[外部]を所有していて、息子達はMT-07[外部]MT-09[外部]を所有しているので、それでイタリア北部のアルプス山脈の山を走ってツーリングすることもある。

住んでいるのはミラノの近くである。ヤマハワークスの本部はミラ郊外レズモ[外部]にあるので、職住接近となっている。

ミサノサーキットMotoGPが行われるとき、そこからすぐ近くにあるヴァレ・ランチ[外部]ヴァレンティーノ・ロッシの所有するトレーニングコース)に行くことがあるが、あのコースグリップが薄くて走りにくいという。
 

2019年現在MotoGPの総責任者を務めている。

古沢政生の記事のこの項目に紹介文章がある。
 

2019年になってMotoGPプロジェクトリーダー(開発の責任者)に就任した。
  

2011年から2019年現在までチーム監督を務めている。

 


たまにピットに現れる人たち


ヤマハ出身ライダー

世界チャンピオン15回獲得の伝説ライダーイタリア開催のレースにやってくる。

現役生活の終盤になってヤマハワークスに移籍してチャンピオン獲得。引退後は1982年から1995年までチームアゴティーニを経営した。同チーム1983年から1989年までヤマハ技術者を受け入れており、実質的なヤマハワークスとなっていた。エディ・ローソンというアメリカ人選手を擁して3回の最大排気量クラスチャンピオンを獲得している。
 

世界チャンピオン3連覇の伝説ライダーアメリカ合衆国開催のレースで姿を見かける。

引退後は1984年から2007年までチームロバーツを経営した。同チーム1990年から1996年までヤマハ技術者を受け入れており、実質的なヤマハワークスとなっていた。
 

世界チャンピオン3連覇の伝説ライダーアメリカ合衆国開催のレースに出現する。

引退後は1995年から1998年までチームレイニーを経営した。同チーム1997年から1998年までヤマハ技術者を受け入れており、実質的なヤマハワークスとなっていた。

1998年をもってチームレイニーは解散した。

ヤマハに縁があるスーパースターチームを経営してもらい、その知名度でスポンサーを引っってもらう。ヤマハは技術だけを提供する」というレース活動を1983年から1998年まで続けたのだが、その手法にはついに限界が訪れた。このためヤマハ1999年に本社直営のワークスチームを発足させており、その本社直営チーム2019年現在まで続いている。
 

本社の社長など

2010年3月から2018年1月までヤマハ発動機社長を務めた。鹿児島県出身。

鹿児島の港に立ち寄った南極観測船を見て船に興味を持ち、大学工学部で船舶設計を学んだ。ヤマハでは各所の工場長を務めた。技術の人と言っていいだろう。

社長になってから磐田市の本社[外部]から掛川市の教習所[外部]に通い、自動二輪の免許を取得した。「やはりバイクを作っている会社の社長が二輪に乗れないのは恥ずかしい」とコメント

ツインリンクもてぎで行われるMotoGPにはたいてい顔を出す。

2014年2015年カタルーニャGP、2016年2017年イタリアGPに来ていた。

2015年ホルヘ・ロレンソが優勝したとき、チーム代表として表台に上がっている。スパークリングワインぶっかけられる前にそそくさと退出していた。
 

2018年1月からヤマハ発動機社長になっている。

大学法学部出身で、ヤマハに就職してからは経理の部門で仕事をした。

2018年日本GPに顔を出していた。
 

ヤマハは、19931996年の四年間、V10気筒のエンジンを作ってティレルというF1チーム[外部]に供給していた。そのときのエンジン開発の責任者だった。ちなみにそのときの部下は辻幸一[外部]である。

しばしばMotoGPに顔を出していた[外部]

長年、副社長を務めていた。2018年3月に退任したが、2019年スペインGPに観戦しに来ていたようである。
 


かつてのスタッフ


クルーチーフ

長年ヤマハワークスでクルーチーフを務めた。20082016年ホルヘ・ロレンソを担当、2017~2018年マーヴェリック・ヴィニャーレスを担当。

2019年現在は、ペトロナスヤマハフランコ・モルビデリのクルーチーフを務めている。

ニコニコ大百科の記事「ラモン・フォルカダ」は、彼だけでなく、ホルヘ・ロレンソチームの構成員を紹介している。
 

長年ヤマハワークスでクルーチーフを務めた。2004~2010年2013年ヴァレンティーノ・ロッシを担当した。
 


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最終更新日: 19/08/05 23:01
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