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リバティ船


ヨミ: リバティセン
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リバティ船とは、第二次世界大戦アメリカにおいて建造された輸送船。カイザー船、戦時標準船とも。


概要


第二次世界大戦において、アメリカの友好への援助(レンリース)を企図したアメリカ政府が大量に必要とした船を補うべく、民間の造船会社に設計と造船を依頼。アメリカ参戦直前の1941年9月より進を開始し、参戦後は自軍の輸送にも用いられた。生産性重視・戦時製造と言う特色から、アメリカのいわゆる戦時標準船として扱われることも多い。

名称の由来は、この船がヨーロッパ自由をもたらすと言う願いから。


歴史


前史

1939年第二次世界大戦勃発により、第一次世界大戦と同様にドイツの脅威からアメリカの友好を守る必要が生じた。1940年にはフランスが陥落。フランス西海ブレスト)はUボートの基地となり、地政学上、連合の補給は大きく不利な局面へと傾いた。

同時期、アメリカ政府は造船業界の大物ヘンリー・J・カイザーに大量生産が可な輸送船の設計・生産を依頼。カイザーは規格を定めて駄を省き、他社との部品や技術の共用をすすめることでこれに答えることとした。

リバティ船へ

まず、具体的に大量生産のネックとなる機関は旧式蒸気レシプロ機関とした。これは大タービン機関は艦艇に優先されて製造されていたことと、ディーゼルエンジンアメリカにおいては潜水艦を除いて普及しておらず、生産設備も希少だっためである。

また、スクリューは簡素化し短軸とした。スクリュー軸の生産とそれを設置するための船体設計は手間がかかるので、日本戦時標準船でも同様の措置が取られている(日本の場合は機械室を後方配置としている)。

旧式をあえて採用した機関と違い、ボイラーは石炭焚きではなく重油専燃としている。燃料を重油とすることにより船体スペースを多く確保出来、海軍では既に流となっていた重油燃料を共有出来るメリットもあった。

船体建造は建造期間短縮のため、アメリカにおいて初の本格的なブロック工法が用いられた。船体の結合方法も、当時流ではあったが手間と熟練を要したリベット打ちをめ、溶接による接合を全面的に用いた。

大量生産と大戦勝利

当初、19の造船所が建造を受け持ったが、新たに18の造船所が作られ37(船台210基)の造船所が日問わず交代制で生産を始めた。当初は一隻につき230日の期間を要していたが、熟練化や戦時生産体制が本格化すると均で42日に短縮。これら造船所群は六年間でのべ5,777隻(リバティ船は2,708隻)に達した。

連合の反攻機運が高まる1943年には一日に3隻のリバティ船が工するまでになり、1944年6月西ヨーロッパ上陸(ノルマンディー上陸作戦)や太平洋地域での兵站維持に大きく貢献。大量のトラックジープC-47輸送機と並び、まさに補給の申し子であるアメリカ軍の「顔」となったのである。

戦後

235隻が戦闘や後述の事故により失われ、不要となった750隻が解体されたが1,700隻ほどが残存した。このうち700隻が壊滅したヨーロッパ運業者に融通されることとなり、ほとんどが戦後民間需要に対応出来なかった日本戦時標準船と違い、戦後に一役買うことも出来た。これらの払い下げ船は1960年代まで重要な地位を占めている。

現在でも10,000トン級の商船の階級名称、リバティ船級にその名を残す。また、記念艦も二隻存在し、いずれも今となっては重なレシプロ式蒸気エンジンと共に動態保存がなされている。


欠陥


かしい経歴と裏に、リバティ船そのものには大きな欠陥があったことでも有名。特に、係留中に何らの圧も危も加わった形跡がないにも関わらず、突如として中に没したスケネクタディ事故が有名である。この他にも欠陥に起因すると思われる事故で200隻あまりが失われた。

原因として、溶接用の鋼が使われず、また応への見識不足から船体の一部に負荷がかかりやすい設計であり、ここから溶接割れが起きて破断に至ったものと推測されている。戦時中に既にこの欠陥は見抜かれていたが、大量生産が優先され、溶接性鋼が広く使われるようになったのは戦後であった(ただし、ドイツ海軍では戦前から既に戦後基準に準じた溶接性鋼が使われており、この影を受けた日本も一部艦艇のみではあるが同規格の鋼材が採用されていた)。


評価


前述の欠陥があったにも関わらず、それを差し引いてなお勝利への貢献は大きく、日本戦時標準船とは対称的な評価を受けている。と言うより、勝利への貢献よりも欠陥の判明から破壊力学溶接技術、冶技術が格段に進歩する切っ掛けとなったため、現在ではこちらを評価する研究者すらいる。タコマ橋崩落やアポロ13と並んで「アメリカの偉大な失敗」に数えられることもある。実際、船舶はリバティ船の事故、建造物はタコマ橋崩落事故航空機は(英国だが)コメット墜落事故により、破壊・脆弱性への研究と理解が進んだ。

日本戦時標準船べた場合、もっとも生産された第二次期でも800隻前後と生産数では圧倒されており、しかもこのうちリバティ船と同クラスの2A型は121隻に過ぎなかった(大半は悪評高い870トンの2E)。リバティ船のみに絞っても、日本のニ年程の造船アメリカの40日分の働きに過ぎなかったことになる。もちろん、トン数で言えばまた違ってくるが、逆に言うと日本の造船所では大商船を大量建造できず、小沿用の船でお茶を濁さざるを得ず、それですらな輸送に駆り立てられて行った実相が浮かび上がる。

また、新規に18もの造船所を短期間で建造していた思い切りの良さ、基礎工業の違いもここから理解できるだろう。そして今度はアメリカ抜きか味方でやろう。


性能諸元


トン 7180トン
重量トン 10600トン
全長 125,3トン
全幅 17,2m
機関 レシプロ
2500hp
最高速 14kt/h
航行速度 11kt/h
武装

102mm×1

37mm×2

12,7mm機関×6


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最終更新日: 18/07/04 23:01
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