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レイテ沖海戦


ヨミ: レイテオキカイセン
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■sm11886475[ニコ動]

 レイテ沖海戦とは、太平洋戦争後期の昭和19年1944年10月フィリピンをめぐって繰り広げられた日本海軍アメリカ海軍戦である。日本海軍連合艦隊)の水上艦が組織立って出撃した最後の戦となった。

 なお日本側の当時の呼称は「フィリピン」である(他にも「戦」「菲戦」などある。本ページでも前掲されているニコニコ動画での当時のニュース映像でもタイトルは「戦」としている)。当時の公式文書や諸記録にもこの名で記載されているし、戦後でも陸海軍が解隊されてしまい編纂出来なかった戦史を防衛研修所戦史室、現在の「防衛省防衛研究戦史」が編纂し、1966年から1980年にかけて出版された「戦史」でも、この戦は「フィリピン戦」としている。

 この戦いで海軍フィリピン周辺の広大域で行動しており、作戦的は敵機動部隊殲滅と敵上陸部隊の殲滅の2つで、基地航空隊による機動部隊への攻撃も重要な要素であった。そのため域を特定せずにフィリピン周辺全般で戦っていた事を意味する「フィリピン戦」としている。なのでレイテ湾の敵を攻撃する事だけに、海軍がこの作戦に総を挙げていた訳ではない事がこの命名にも伺うことが出来る。

 捷号作戦の策定

 昭和19年6月19日マリアナ沖海戦において、日本海軍中部太平洋マリアナ諸へ進出してきたアメリカ海軍を攻撃するも、約400機の空母艦載機と空母大鳳」「翔鶴」「飛鷹」を失う大損を被り、ミッドウェー海戦ガダルカナル島攻防戦での消耗から立ち直ったばかりの空母機動部隊が事実上壊滅。サイパングアムなどのマリアナ諸も玉砕して米軍の手に落ち、戦局打開のための防衛ラインと位置づけていた「絶対国防圏」は崩壊してしまう。
 マリアナ失陥により、日本本土への米軍襲・上陸が現実味を帯びてきた。この責任を負う形で東條英機内閣は総辞職。近衛文麿岡田啓介ら重臣(総理大臣経験者)の協議により、小磯内閣が成立する。小磯内閣はあくまで戦争継続内閣であり、米軍の撃破は不可能であるにしても何らかの打撃を与えることで、少しでも有利な形での講和をしようと論んでいた。

 政変直後の7月26日日本海軍は新たな防衛・反攻作戦を策定。「捷号作戦」(しょうごうさくせん)と命名される。「捷」は「勝」とほぼ同じ意味の漢字である。
 捷号作戦日本列島フィリピンラインを4つの区分に分け、フィリピンを「捷一号」、九州南部・南西諸台湾を「捷二号」、本州四国九州北部・小笠原諸島を「捷三号」、北海道千島列島方面を「捷四号」とした。このうち実際に米軍が攻めてきたのはフィリピンだったので、「捷一号作戦」が発動されることとなる。

 海軍の作戦準備と部隊の展開


航空戦力の回復の急務


 マリアナ沖海戦の後、日本海軍の艦艇は、空母部隊は本土へ帰ったものの、戦艦重巡などの部隊は本土から、シンガポールリンガ泊地に移動していた。これは潜水艦通商破壊作戦によって本土の燃料備蓄が逼迫しつつあり、本土での訓練や艦隊出撃が困難になっていたためである。マリアナ沖海戦でも、参加した海軍のほとんどの艦艇は本土からではなくリンガ泊地から出動している。

 マリアナ沖海戦で多数の航空機と三空母を喪失、多くの搭乗員を失った事で、機動部隊の戦いに等しいものとなっていた。そのため捷号作戦では較的錬成の容易な基地航空隊を戦の中核として編成を優先的に行った。編成は当初の計画よりも遅延してはいたが、米軍侵攻の可性が高いフィリピン方面を中心に急速に実施され、同方面を担当する第一航空艦隊は9月8日の時点で500機近くまでえる事に成功している。

 基地航空隊の錬成と合わせて空母機動部隊の戦回復も同時に実施された。残存する空母瑞鶴」「隼鷹」「瑞鳳」「龍鳳」「千歳」「千代田」のほか、航空戦艦となった「伊勢」「日向」、期に工が見込まれる「雲龍」「天城」「信濃」などを早急に戦化するとともに、搭載する航空隊の錬成に励んだ。空母部隊の錬成終了は

  1. 第一航空戦隊(601294機→12月編成了見込み(所属艦:雲龍天城
  2. 第三航空戦隊(653182機→10月編成了見込み(所属艦:瑞鶴瑞鳳千歳千代田
  3. 第四航空戦隊634132機→8月末編成了見込み(所属艦:日向伊勢隼鷹龍鳳

となっており、遅くとも12月には全編成が了する予定だったが、予想される米軍の反攻時期である11月には間に合いそうになく、機動部隊は錬成途上で作戦に投入されることが予想された。


航空部隊の役割


捷号作戦での海軍作戦標は二つ

  1. 空母機動部隊の殲滅
  2. 攻略部隊の殲滅

であった。

 海軍側は当初「1」の空母機動部隊殲滅を標とした。しかし陸軍側がこれに反対し論が重ねられた。侵攻する敵軍を迎撃するのに、そのを攻撃して殲滅しその意図を挫くというのは当時の常識的な考えであり、そのため足りない航空を補充するため陸軍航空隊も揮下に加えてこれに充てたいと海軍側は考えていた。しかし陸軍から見ると、それまでの海軍機動部隊への迎撃は常に大損を被ったうえで意図を挫く事が出来ず、いざ敵が上陸するとそれを迎え撃つ航空を既に失い何の攻撃もできないという前例が多々あった。なので既に戦差が開き殲滅の難しい機動部隊を攻撃の中心にするのではなく、上陸する攻略部隊を攻撃するために戦を温存し、懐に近づいた頃合いでこれを攻撃し、上陸作戦を瓦解させる方が得策だとした。

 前例を提示された海軍側は自身のに固執する訳にもいかなくなり、協議の上攻略部隊攻撃も標に加えた。そして基地航空隊のうち空母機動部隊攻撃を標とし、残りの戦揮下に入る陸軍航空隊、そして水上艦隊が攻略部隊を標とする。機動部隊は突入する水上部隊の突入を成功させるために敵機動部隊を北方に誘い出し、基地航空隊と共同してこれを殲滅するとされた。

 作戦上では空母機動部隊に課せられた任務は囮ではなく、航空の一を担うものであった。しかし9月の相次ぐ襲で第一航空艦隊が大打撃を受け、代わりに進駐した南西諸方面を担当していた第二航空艦隊も上記の台湾沖航空戦で戦が半減、機動部隊側は連合艦隊から「当分機動部隊の運用はしない」という口約束を信じて錬成したばかりの航空隊と前衛戦の第二遊撃部隊を投入し、航空隊は大損を受けてしまった。そして直後に米軍レイテに侵攻したことで、日本側は基地航空隊という作戦上戦の中核だった部隊が大損を受けたまま、作戦を実施しないといけなくなった。

映画などでは当初より機動部隊の「囮任務」は既成路線であったかのように描かれるのが多いが、正確にはそうではない。捷号作戦で提示された機動部隊の役割は自身の航空を用いた攻撃戦の一を担うもので、いわば遊撃戦としての立ち位置である。「囮」というのはあくまでも直前の「台湾沖航空戦」で提供した航空隊が壊滅して、自隊の航空が欠乏した状態で、しかも台湾沖航空戦の直後にレイテ侵攻が開始され当初の内容のまま変更も出来ずに捷一号作戦が発動し、「囮」という側面が大きくなってしまったからであり、当初から決められたものではない。

 基地航空隊側では戦ど喪失した第一航空艦隊が「特別攻撃」という特攻作戦を立案。そして連合艦隊空母機動部隊の任務を本来の「敵を誘致して殲滅」から「全に囮となって敵を誘い出す」という任務に切り替えざるを得なくなり、機動部隊部の猛反発を受けながらも実施をした。

 本土から出撃する機動部隊本隊が囮となってハルゼー艦隊をフィリピンから引き離し、第一第二航空艦隊が特攻作戦も含めた航空攻撃をかけてこれを殲滅。からの攻撃がなくなったその隙に南方から戦艦重巡を要する第一遊撃部隊がレイテ湾へ突入し、上陸した米軍や輸送船団を艦砲射撃駆逐する。これが海軍の捷一号作戦の最終内容である。


水上部隊の役割


 もう一つの役である第一遊撃部隊は、マリアナ沖海戦の大敗後の6月24日に内地に帰還したが、燃料の心配もあり、より燃料の豊富なリンガ泊地に移動して錬成に励み次作戦に備えることにし、対兵装の強化や南方に運ぶ陸軍や物資の搭載を大急ぎで済ませ、休養もままならないまま翌7月8日頃には順次出撃した。リンガ泊地到着後は艦隊決戦に向けて錬成を続けていたが、決定した捷号作戦の説明を受けるため、マニラにて連合艦隊、第一遊撃部隊、南西方面艦隊の各参謀が集まり、連合艦隊からの説明を受けた。

 この際提示された第一遊撃部隊の総を挙げた船団攻撃という作戦内容を参謀長の帰還後の説明会で知らされた部隊の指揮官たちからは当然ながら不満がでた。こういった現場の不満を沈めつつ、艦隊部は作戦に向けての準備に入ったが、指揮官の中にはこの決定を不満に思う者もいた。例えば第一戦隊中将は、マニラでの作戦打ち合わせから1か半以上も経過した9月21日付の自身の日誌の記述に、偶々「大和」に来艦した小柳参謀長と山本二先任参謀と話し合いの席を持った際に、自身の考えとして第一遊撃部隊は船団攻撃をすのではなく、敵力部隊との決戦を模索すべきだという意見を述べたという記載をしている。

 一方、本来機動部隊の前衛戦として行動を共にするだった第二遊撃部隊は、台湾沖航空戦の残敵掃討を命じられて出撃しており、途中で追撃を中止したが米軍早急な侵攻の為機動部隊本隊と再合流する事が出来ず、そのまま南西方面艦隊揮下となる。部隊は奄美で補給を受け、台湾に向かうが、この部隊の使いについて連合艦隊と南西方面艦隊との間に意見の対立があり、中々決定を見なかった。結局第一遊撃部隊と同じくレイテ湾への突入となるが、その間のゴタゴタで部隊の合流などが不可能になり、結局重巡2、軽巡1、駆逐4の7隻という小規模な戦で突入する事になってしまった。

 栄連合艦隊、最後の組織的艦隊は以下のように編成された。

※太字の艦名は作戦開始時点の各隊旗艦


第一遊撃部隊 


第一部隊 (栗田長官直率)


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最終更新日: 18/01/07 11:08
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