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一色義貫(1400~1440)とは、室町時代に活躍した武将である。
1409年に一色満範が亡くなると、兄・一色持範との間で家督継承をめぐる争いが生じるが、結局1411年に和睦し、若狭守護代・三方範忠らに推戴されて家督についた。
正式に一色氏惣領となった一色義貫は、若年にもかかわらず、将軍・足利義持の寵愛もあって幕府の重職を歴任し、1414年には侍所頭人に、1418年には山城国守護にも補任された。1425年の北畠満雅の乱では幕府方の総大将に指名され、義持から御旗を授けられている。それぞれ未遂に終わった1423年の足利持氏討伐、1427年の赤松満祐討伐の際にも総大将に選ばれており、幕府重臣としての地位を確立したのである。
しかし、1430年に足利義教の右大将拝賀の供奉で、祖父・一色詮範を先例として布衣一騎打ちを務めようとするが、義教に許されず、欠勤。山名時熙、畠山満家らの尽力で処罰は免れたが、次第に孤立していく。
1436年に大和永享の乱の鎮圧に出陣するが、苦戦しほとんど大和に在陣する。そして、1440年に将軍近臣の武田信栄に招かれたところを襲われ自害。一色氏は将軍近臣である一色教親が継承するも、若狭と三河の守護職は一色氏のもとを離れ、大きく勢力を減退することとなった。
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