ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


一色義貫


ヨミ: イッシキヨシツラ

一色義貫1400~1440)とは、室町時代に活躍した武将である。


概要


一色満範の子。初名は一色義範。若狭・三河・丹後守護

1409年に一色満範が亡くなると、一色持範との間で督継承をめぐる争いが生じるが、結局1411年に和し、若狭守護代・三方範忠らに推戴されて督についた。

正式に一色氏惣領となった一色義貫は、若年にもかかわらず、将軍足利義持の寵もあって幕府の重職を歴任し、1414年には所頭人に、1418年には山守護にも補任された。1425年の北畠の乱では幕府方の総大将名され、義持から御旗を授けられている。それぞれ未遂に終わった1423年の足利持氏討伐、1427年の赤松満祐討伐の際にも総大将に選ばれており、幕府重臣としての地位を確立したのである。

しかし、1430年に足利義教右大将拝賀の供奉で、祖一色詮範を先例として布衣一騎打ちを務めようとするが、義教に許されず、欠勤。山名時熙、畠山らの尽で処罰は免れたが、次第に孤立していく。

1436年に大和永享の乱の鎮圧に出するが、苦戦しほとんど大和に在する。そして、1440年に将軍近臣の武田信栄に招かれたところを襲われ自害一色氏は将軍近臣である一色教親が継承するも、若狭と三河の守護職は一色氏のもとを離れ、大きく勢を減退することとなった。


関連項目



最終更新日: 18/07/29 08:01
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ