ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


三冠


ヨミ: サンカン
掲示板をミル!
9カキコ!
加筆依頼 この項は、編集者が飽きたために内容が少ないです。
調べものなどの参考にはなりますが絶対的に内容が不足しています。加筆、訂正などをして下さる協者をめています。

三冠(さんかん)とは、あるジャンル要3部門(3賞)で、一人が(同時に)トップに立つこと。(同様に、二冠四冠五冠六冠七冠など、○冠という形もあるのでこの記事で説明する。)

レースそのものを○冠と呼ぶわけではなく、あくまで複数部門の覇者が現れたときだけ、「二冠達成」「二冠王」、「三冠達成」「三冠王」、・・・という言い方をする。

Triple Crownの略語として初めに競馬で使われ、1958年頃から野球でも「三冠王」の表現で使われるようになった。


競馬における三冠


日本では、その年の中央競馬で「クラシック三冠」の対レース皐月賞東京優駿菊花賞;いずれも3歳限定レース)を全部勝つと「三冠馬」の称号を与えられる。

これまでに、セントライト(1941)、シンザン1964)、ミスターシービー(1983)、シンボリルドルフ1984)、ナリタブライアン(1994)、ディープインパクト2005)、オルフェーヴル2011)が達成した。

また、にもの三冠がある。

さらに詳しいことは、「三冠馬」の記事を参照。


野球(打撃)における三冠


今では日本人なら大抵聞いたことがある「打撃三冠王」という表現であるが、考え出したのは戦後メディアだった。

西鉄ライオンズに、中西太という往年の大打者(後年の名コーチとしての姿を知っている方も多いだろう)がいた。彼は全盛期パ・リーグにおいて

1953

1955
1956

195

打率2位(.004差)

打率1位
打率2位.0004差)

打率1位 

本塁打1位

本塁打1位
本塁打1位

本塁打1位 

打点1位

打点2位(1点差)
打点1位

打点2位(1点差) 

という世にも美しい記録を連発していった(なお、54本塁打王57打点王も獲得)。

それまで、大リーグでは古くから浸透していたTriple Crownという概念は日本で注されていなかった(1938年期には中島治康が達成していたにも関わらず)のだが、こうした記録が続いたため、「中西 今年も1点差 惜しくも三重勝ならず」的な報道の注が集まった。「三重勝」「トリプル冠」などと書く社もあったが、結局「三冠王」という表現が定着した。

そして、1965年野村克也が実際に三冠王を取り、1973年1974年王貞治が取ったことにより、○冠王という言葉が日本全に定着した。

三冠王達成者

1リーグ時代

1938() 中島治康(巨人

パ・リーグ

1965 野村克也南海
1982 落合博満ロッテ
1984 ブーマー・ウェルズ阪急
1985 落合博満ロッテ
1986 落合博満ロッテ
2004 松中信彦ダイエー 

セ・リーグ

1973 王貞治巨人
1974 王貞治巨人
1985 ランディ・バース阪神
1986 ランディ・バース阪神

は「出塁率」「長打率1位OPS1位)を加えた五冠達成者。

なお、セパ両リーグの3部門トップの数字を合わせても3冠王である「仮想1リーグ制3冠」は、2リーグ制以降では以下の2人のみ。
  73 84ブーマー

ちなみに五冠といえば、95イチローオリックス)が「打率」「打点」「出塁率」「安打数」「盗塁数」の変則五冠。本塁打もあと3本出ていれば三冠王盗塁王を同時に達成という、信じられないような事態が起きるところであった。


野球(投手)における○冠


投手三冠」「投手四冠」という言い方がされることは多いが、打撃ほどはっきり相場が定着していない。ずっと表タイトルとして固定されている打撃三冠と違い、投手は表タイトルが時代によって違うためである。

近年でいうと、
セ・リーグでは1991年から2012年まで「防御率」「勝数」「奪三振数」の3部門
パ・リーグでは1989年から2012年まで「最優秀投手(13勝以上の投手のうち最高勝率)」を加えた4部門
公式タイトルとして表していた。

2013年からは両リーグとも「最高勝率」(13勝以上が条件)を正式にタイトルとして統一したため、現在では「最優秀防御率」「最多勝」「最高勝率」「奪三振王」の四冠を「投手四冠」、ここから勝率を除いた三冠を「投手三冠」と呼ぶのが妥当か。

2013年以降の四冠達成者は、2018年現在はまだ存在しない。勝率を除いた三冠は、2018年菅野智之巨人)が達成している。

なお「防御率」「勝数」「奪三振数」「勝率」「投数」「完封数」「投球回数」の先発リーグ七冠を達成した投手
  38()ヴィクトル・スタルヒン  43藤本英雄  06斉藤和巳


囲碁における七冠・将棋における八冠


囲碁将棋には、各新聞社などが催するタイトル戦が毎年度ある。囲碁は7つ、将棋は8つ。
(順位選を勝ち抜くなどして決まった挑戦者が、各タイトルの保持者と対局をおこなう)


将棋


将棋での(2017年にできた叡王を除く)七冠独占は、1996年前半に羽生善治が保持していたのが二のことである。タイトル戦の数が少なかった時代は、升田幸三が「三冠独占」、大山康晴が「五冠独占」をそれぞれ達成している。また「七冠すべてを経験」は中原誠谷川浩司羽生善治が達成している。ちなみに、羽生は七冠独占の年度にタイトル以外のNHK杯戦、将棋選手権でも優勝し「九冠」も成し遂げている。

羽生叡王以外の7大タイトル全ての永世称号(各タイトルの通算or連続獲得期数が規定に達すると得られる称号)を獲得しており、前人未到の「永世七冠」2017年に達成した。また、タイトル以外の棋戦で名誉NHK杯選手権者の永世称号も獲得しているため、「永世八冠」でもあったりする。

また、将棋タイトルで記事名の三冠を取ったのは、升田幸三大山康晴中原誠米長邦雄谷川浩司羽生善治森内俊之渡辺明豊島将之である。

将棋の女流タイトルは、現在、清麗、女王、女流王座、女流名人、女流王位、女流王将倉敷の7タイトルがあり、里見香奈の五冠が最多記録。七冠独占はまだ達成されたことがない(6タイトル時代に「六冠すべてを経験」は里見が達成済)。タイトルが2つだった時代には葉直子が二冠独占を3回、4つだった時代には清水市代が四冠独占を2回達成している。


囲碁


囲碁では、井山裕太2016年4月に史上初の七冠独占を達成。11月名人を失冠し六冠に後退したが、その後六冠を全て防衛し、2017年11月に再び名人を奪還して2度の七冠独占を達成(囲碁将棋を通じて史上初)。

なお、囲碁では棋聖名人本因坊は特に格が高く、独占者は「大三冠」と呼ぶ。これまでの達成者は趙治勲井山裕太の二名。

囲碁では「七冠すべてを経験」(同時獲得でなくてよい)のことをグランドラムと呼び、趙治勲張栩井山裕太の3人が達成している。井山は2017年に年間で7タイトル全てを獲得し年間グランドラムを達成した。

囲碁の女流タイトルは、現在、女流棋聖・女流名人・女流立杯・扇杯・女流本因坊の5タイトルがあり、謝依旻2016年に五冠独占を達成している(謝はタイトル棋聖名人本因坊の3つだった時代にも三冠独占を達成している)


サッカーにおける三冠


内のサッカーの大会を開催するのによくある形式として、「リーグ戦」「オープンカップ内全チームを対とした少試合数での大会)」「リーグカップ(上位リーグチームだけによる少試合数での大会)」と分けるというものがある。それらを同年度にすべて制覇すると三冠という。「トレブル」とも。

日本男子の場合、上記の三大会は「JリーグJ1)」天皇杯Jリーグカップ(旧:ナビスコ杯→現:ルヴァン杯)」であり、Jリーグ創設以降では2000年度の鹿島アントラーズ2014年度のガンバ大阪三冠を達成している。前身の日本サッカーリーグ時代の三冠は1978年度の三菱重工(現・浦和レッドダイヤモンズ)、1989年度・1990年度の日産自動車(現・横浜F・マリノス)の合計3回。

日本女子の場合、上記の三大会は「日本女子サッカーリーグなでしこリーグ)」「皇后杯」「なでしこリーグカップ」であり、2007年度・2018年度に日テレ・ベレーザが、2013年度にINAC神戸レオネッサが三冠を達成している。


プロレスにおける三冠


1989年4月全日本プロレスで創設された「三冠ヘビー級王座」のことをす。

かねてから存在していたインターナショナルヘビー級王座、UNヘビー級王座の2つと、1973年に創設されていた同団体のPWFヘビー級王座を統一したもので、初代王者はジャンボ鶴田(対戦相手はスタン・ハンセン)。
統一王座だがベルトは1本ではなく3本で、現在も変わっていない。

以後、全日本プロレス徴となるタイトルとなるが、三沢光晴らが大量離脱してプロレスリング・ノアを旗揚げして以降は、新日本プロレスをはじめとして他団体(ノア含む)の選手もベルトを巻くようになっている。


大学駅伝における三冠


大学駅伝では、体育の日の出雲駅伝(出雲全日大学選抜駅伝競走)、11月全日大学駅伝全日大学駅伝対校選手権大会)、正月箱根駅伝東京箱根間往復大学駅伝競走)を大学三大駅伝としており、この三大会を同一年度に制覇することを三冠と呼ぶことがある。


次へ»
最終更新日: 19/05/18 13:59
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ