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中村勘三郎


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中村勘三郎とは、歌舞伎の名跡である。
元来は「江戸三座」と呼ばれる儀に認められた江戸の(歌舞伎)芝居小屋の一つである「中村座」の座元(経営者)の名跡であったが、現在役者名跡となっている。
現在の屋号は中村屋。 


初代 (1597~1658)


出自は諸説あるが武士の出と言われている。
狂言を学び、江戸に上って「若座」を創設。これが後に儀より認められた劇場の一つである「中村座」となる。
当初は若勘三郎名乗り若舞を創作し、将軍天皇の御前で披露し評判となった。


二代目から十六代目


二代は初代の実子で、と共に天皇の前などで舞を披露し、中村明石の名を賜っている。
その後「勘三郎」は中村座の支配人の称号と言う立場で継承され続ける。
役者として舞台に上がる勘三郎もいたが、他の座元の名跡である市村羽左衛門や守田勘弥にべると
座元の経営に専念している事が多かった為か若舞を除くと芸などはなく、役者として成功したのは
門閥外から出世して名優として名を馳せた預十四代目 中村勘三郎である三代目中村仲蔵くらいであった。
(その彼も「預」とあるように十二代子であった事や中村座の経営に携わった事があったとして歴代に数えられているが、実際は襲名した事はない)

実際は江戸末期十三引退した後を最後に100年近く名乗る者がいなくなり、中村座も明治期に火事座となった。
その後中村勘三郎の名は1950年四代目中村もしほが十七代三郎を襲名する際に上述の三代目中村仲蔵や十三の子孫を便宜上「預」という形で十四代目、十五代、十六代と当てた。
(十六代に至っては役者でもないただの女性だったりする)


十七代目 (1909~1988)


三代目中村歌六。初代中村吉右衛門三代目中村時蔵は異に当たる。
十八代中村勘三郎、女優の波野久里子のである。
三代目中村吉、四代目中村もしほを経て1950年に勘三郎を襲名。屋号を中村屋とした。
初代勘三郎の系統とはほぼ縁であるが、断絶していた勘三郎の名跡を役者名として復させた。

若年の折は今一つ伸び悩みを見せていたと言うが、東宝歌舞伎への移籍や関西歌舞伎での下積みを経て次第に経験を積み、勘三郎の名跡を継いでからは異である吉右衛門と岳に当たる六代尾上菊五郎を芸を継承しの実を発揮した。 立役・女方を問わず幅広い役どころを演じれる事が特徴的で生涯に800以上の演を演じたことから何とギネスブックに「最も多くの役を演じた役者」として登録されている。 


十八代目 (1955~2012)


十七代長男
1959年に4歳で五代中村勘九郎を襲名。
以後、2005年に勘三郎を襲名するまで46年に渡って名乗った為、こちらの名前で知る人も多いと思われる。
勘九郎の名跡は現在長男が六代として継承している。 

勘九郎時代から歌舞伎だけでなくTVドラマなどにも出演し、バラエティ番組などへの出演も積極的に行なっていた。
がどちらかというと方の祖に当たる六代五郎系統に近かった為、
三枚や軽妙で明るい役どころを得意として、演としても音羽屋系統の作品を多く演じた。
三郎を襲名した晩年は旧来の歌舞伎はもとより、藤山直美の喜劇舞台に上がったり、昔の芝居小屋を参考とした「平成中村座」の業、劇作家野田秀樹などを招聘して新演・新演出を構築したりと、革的で手な活躍が多かった。 
2012年肺の手術後の経過療養が悪く、肺炎と急性呼吸窮迫症候群からを発症し57歳の若さで死去した。


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最終更新日: 17/01/01 16:25
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