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京都扶持衆とは、室町時代に幕府が対鎌倉公方用に組織されたとされる武士の一団である(といわれているが実際ちょっと違う)。
京都扶持衆とされる人々は大概室町時代史を語る上で、上杉禅秀の乱の平定後公方の足利持氏が
、といったノリで軍事攻撃を仕掛けた対象で永享の乱の遠因となった存在、として登場することが多い。
しかし。実際のところそもそもそんな組織が確固としてあったわけでも実際の用語でもなく、当時室町幕府のブレーンを務めていた三宝院満済による『満済准后日記』の中に、
「持氏のヤロー、またウチで扶持してるやつを殺しやがったな、ファック」
といった感じで記されていたことから、当時室町幕府が扶持していた武士がいたんだな~と記事を集めて研究上総称したものである。
そのため実は結構雑多な存在であり、以下の二つの時期に分かれる。
また出羽の大宝寺氏(庄内屋形)、小野寺氏(雄勝<山北>屋形)、湊安藤氏(秋田屋形)の三屋形、北奥州の南部氏、葛西氏といった屋形号を認められた人々も関東とはあまり関係ないものの京都扶持衆として幕府ではしっかりカウントされており、前期と後期の使い分けはややこしかったりする。なので京都扶持衆にあんまり鎌倉公方がどうこうと考えても仕方がないのかもしれない
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