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伏見稲荷大社


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伏見稲荷大社・千本鳥居

伏見稲荷大社とは、京都市伏見区深稲荷山西麓に鎮座する神社である。

2011年をもって御鎮座1300年を迎えるとされ、同年10月7日~10日の記念大祭に向けて奉祝記念事業が進められている。

概要

稲荷稲荷神社の総本社。東山三十六峰の最南端にある稲荷山(233m)を域・内とし、その西麓に本殿がある。日本に3万社とも4万社ともいわれる「稲荷神社」はその多くが伏見稲荷大社から勧請(※)されたものである。
※ある神社に祭られている神様の霊を分けて他の神社にもること。

元来は農耕であるが、現在では五穀豊・商売繁・殖産業・交通安全など幅広いご利益があるとされ、年間約1000万人が訪れる。初詣には三ヶ日で約250万人が参詣、これは関西で最多、全でも五に入る。また2月の初午の日にはお山めぐりをする参拝客で賑わう。

内や山中には信者から寄進された鳥居が立ち並び、特に「千本鳥居」は伏見稲荷大社を代表するものとして有名。

門前の通りには稲荷寿司をはじめ「稲荷」の名のつく土産物が並ぶ。名物はの丸焼きで、タレをつけて焼き山椒をかけて食べる。以前は一年を通じて販売されていたが、中国製冷凍餃子事件の影中国産スズメが禁輸に。スズメは猟期がに限定される為、現在では12月2月中旬(参拝客が多く供給の追いつかない正月期を除く)のみ食べることができる。また近年はスズメを捕る猟師も減っており、販売期であっても数は限られる。なお、がない場合はウズラ焼き鳥などが売られている。

祭神

られているのは以下の五柱。これらは「稲荷大神稲荷五社大明神)」の持つ広大徳を、それぞれ名化したものとされている。

殿鎮座位置 備考
之御魂大神
(うかのみたまのおおかみ
下社 中央座 。穀物・農耕・商工業の神様
佐田大神
(さたひこのおおかみ) 
中社 北座 別名「大神」。交通安全・中安全の神様として知られる。
大宮大神
(おおみやのめのおおかみ) 
上社 南座 市場・食物の神様
田中大神
(たなかのおおかみ) 
田中
(下社摂社)
最北座
大神
(しのおおかみ) 
大神
(中社摂社)
南座

歴史

(※1)つまり「そんな遊びができるほどうちにはが沢山余っているぞ」という自慢。
(※2)国家の重大事が起こった際、朝廷から特別に奉幣を受けた22神社のこと。

境内

内にある建築、見どころ。稲荷山中のものは次項「お山巡り」を参照。

楼門
1589年(17年)に豊臣秀吉・大政所の病気癒を祈って造営した、入屋造り二層の大門。楼門前の一対のの像は宝珠と鍵を銜えていて、これはそれぞれ御祭の御霊と米倉の鍵とされる。
殿
1499年(明応8年)に復された檜皮葺きの社殿で、五間社流造と呼ばれる形式。四方に高欄がめぐらされた放優建築で、これを「稲荷造り」ともいう。重要文化財。
内拝殿
内部が祈祷拝受座になっている拝殿。元は1694年(元7年)の造営の際に本殿に付加された唐破朱塗りの向拝で、1961年昭和36年)に切り離され内拝殿に付加された。
外拝殿
楼門と同時期に造営され、1840年(保11年)に築。軒先に12基の釣り籠が下がっており、そのには二宮星座があしらわれている。
神楽殿
殿右手にあり、1882年(明治15年)に能楽殿として建造された。毎日のように神楽が奉納され、見所の一つとなっている。
1606年(慶長11年)に建てられたもので、1641年(宝永18年)に後尾上皇から大社祠宮の羽倉延次に下賜された。元は仙洞御所にあったとされる。書院造りから数寄屋造りに移行していく過程を示す重な建築。重要文化財で非開。

お山巡り

伏見稲荷大社が鎮座する稲荷山は、山自体がの宿る場所「神奈備」とされ、信仰の対になっている。その稲荷山中にある一ノ社から三ノ社までを巡拝することを「お山巡り」といい、お山巡りをすることを「お山する」ともいう。お山巡りは平安時代から行われていて、江戸時代までは稲荷御鎮座の2月初午の日に行うのが通例だった。現在は年中お山巡りの参拝客を見ることができるが、2月初午の日は特に沢山の参拝客でお山が賑わう。

随筆『子』には、清少納言がお山巡りをした時のエピソードが書かれている。
初午の日の明けに出発してお山巡りに挑む清少納言。中社のあたりまで来た時点で既に苦しく、「なんとか上ノ社まで行きたい!」と思いつつ登っていくも気づけばの刻(午前10時頃)。疲れのあまり暑ささえ感じ、泣きそうになりながら休憩していると、年の頃40ほどの女性が通りすがり、すれ違った知人らしき人に「今日は7回巡るつもりです、もう3回巡ったからあと4回くらい楽勝です」と告げて、さっさと登っていった。それを見た清少納言は非常に羨ましがったとのこと。

お山巡りは一回りが約4km、所要時間の安はおよそ2時間弱。ただし色々じっくり見てまわったりするとこれ以上の時間がかかる。お山巡りのルートアップダウンに富み、ハイキングコースとしても人気がある。以下に、お山巡りのコース中にあるな見どころを記す。

千本鳥居
社務所横の鳥居をくぐって石段を登り、右に折れて更に登るとへと続く鳥居トンネルに入る。これが伏見稲荷と言えばもが思い浮かべる「千本鳥居」である。居並ぶ鳥居は参詣客によって奉納されたもので、江戸時代から鳥居奉納の習慣があったという。
はじめは大きな鳥居一本道が続き、途中で二叉に別れてやや小さな鳥居30cm間隔ほどで隙間なく続く。は木漏れ日に映え、りの中で幻想的な雰囲気を浮かべる朱色間は、どこか非日常的な感覚を呼び域にいることを思い起こさせる。
社奉拝所
千本鳥居を抜けると、山下から三ヶ峰を拝する命婦社奉納所、通称「の院」に出る。社殿1794年(寛政6年)に建造され、1975年昭和50年)に場所をやや後ろに下げて前に拝所が建立された。ここではの顔をかたどった絵が売られており、願い事やの表情を書き入れて奉納することができる。
の院の右には「おもかる石」と呼ばれる一対の石籠がある。この籠の前で願い事を思い浮かべながら籠の輪(一番てっぺんの丸い石)を持ち上げて、思っていたより軽ければ願いがい、重ければい難いという。
根上がりの
社奉拝所から左へ進んだところにある、左右二股になった枯れたの根。「膝さん」とも呼ばれる。根元をくぐるとの病に効くとされる。また「ねあがり」の名から給料やの値上がりを祈願する参拝客も。
伏見神社
根上がりののすぐ横、参右手を5分ほど登ったところにある神社稲荷神社山上に創された頃からの奉拝所だったと伝えられる。御祭天照大御神稲荷大神天照大御神から授けられた十種の宝が奉安されているという。
社・新池
根上がりのからへ、更に続く鳥居を抜けていくと、池の畔の石積みに建てられた拝所が見える。ここが大神社で、商売や勝負事にご利益があるという。
池の名は新池、別名・谺ケ池(こだまがいけ)といい、尋ね人がある時に池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方角を探すと手がかりが得られるという言い伝えがある。
四ツ
社から三ツを右に曲がり、登った先にあるのが「四ツ」と呼ばれる場所である。鳥居越しに京都市を望むことのできるこの場所から、三ヶ峰への巡拝路、田中社のある荒峰への参、御幸奉拝所への参が伸びている。三ヶ峰への巡拝路はここを基点にぐるり一周する形になっていて、時計回りで巡るのが正式ルート。なおアップダウンを勘案すると逆回りの方がちょっぴり楽だったりする。
奉拝所
四ツを出発して眼の病気にいいという眼社を通り過ぎ、その先に見えるのが御奉拝所である。かつてここには殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があり、ここから三ヶ峰に向かって供されたという。この習は毎年1月5日大山祭となって引き継がれている。
現在ここには数多くの「お塚」が密集している。お塚とは個人が稲荷に様々な名をつけてった石碑で、稲荷山全体で1万以上のお塚があると言われる。
奉拝所からのを下ると、行の場として知られる清がある。の横には参籠・修練のために明舎が設けられている。
社・おせき社
奉拝所から清へのが再び合流するあたりにある社。社は万病癒に、おせき社は風邪喘息など咳の病に霊験があるという。という小さなも見られる。
社(長者
氏の祖った最初の社があった現在は御社が建てられ、「石」という石がられている。石は社殿内にあるためその姿を拝むことは出来ないが、その名の通りに似た形状の石で鍛冶などに霊験があるという。また社殿裏には「石」という巨大な自然石がそびえている。こちらは昔から信仰されている岩であること以外はよくわかっていない。
左手には「焼」と呼ばれる井戸がある。ここは謡曲『小鍛冶』の中で三条鍛冶宗近が名「小丸」を鍛えたとされる場所である。
一ノ峰(上社)
大宮大神られる上社。長く続いた登りもここまで、上社のある一ノ峰が稲荷山の山頂である。上社は末広大の名でも信仰されている。
二ノ峰(中社)
佐田大神られる中社。青木大神の名で崇められている。
間ノ峰(荷田社)
伊勢大神の名で崇められている。「鳥居(ぬねとりい)」というしい鳥居がある。
三ノ峰(下社)
之御魂大神られる下社。大神の名で崇められている。以上4つの社は、いずれも社を取り囲むように沢山のお塚が置かれている。

四ツからのは、三ヶ峰とは別に次の場所へも通じている。

峰(田中社)
権太夫大神の名で崇められている。裏手は展望所となっており、京都市の北のほうまでを一望できる。
御幸奉拝所
1963年昭和38年)に開かれた較的新しい奉拝所。荒峰に上る参にある土を下り、白滝湧寺への分岐を右に見ながらさらに行ったところにある。左には横山大観の筆塚があり、周りをに囲まれている。
なお、この御幸奉拝所の先の急勾配の舗を下っていくと東福寺近くの住宅地に出ることができる。

伏見稲荷大社と狐

稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社では、神様の使いであるとされている(よくある誤解だが、稲荷そのものがなのではない)が、この由来には諸説ある。
ひとつには稲荷は食物の、つまり御饌(みけつかみ)であることからミケツが転じて御・三(みきつね)となったという説。またひとつには、稲荷は東寺の鎮守であり、東寺の本地である荼枳尼属とするのに由来する、という説がある。

これとは別に、伏見稲荷とにまつわる話が空海子・僧正が著したとされる『稲荷流記』に見られる。


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最終更新日: 17/07/22 14:49
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