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千葉ロッテマリーンズ


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L・O・T・T・E! おおおお、ロッテ

千葉ロッテマリーンズとは、日本プロ野球パシフィックリーグに加盟している球団である。現在監督井口資仁2018年~)。

一軍の本拠地は千葉県千葉市区の千葉マリンスタジアムネーミングライツにより2011年から2016年QVCマリンフィールド2017年からはZOZOマリンスタジアム)、二軍の本拠地は埼玉県さいたま市南区ロッテ浦和球場である。ファンからはに千葉ロッテ、ロッテマリーンズなどと呼ばれている。

概要

パシフィック・リーグ
千葉ロッテマリーンズ
基本情報
創設 1949年
本拠地 ZOZOマリンスタジアム
一般略称 ロッテ
アルファベット M
優勝回数
リーグ優勝 5回
日本一 4回
セ・パ交流戦 2回
アジアチャンピオン 1回
永久欠番
・26:ファン2005年-)
経歴
球団組織
運営 ロッテホールディングス
オーナー 光武
プロ野球球団テンプレート

1949年9月毎日新聞を親会社とする毎日オリオンズとして結成される。東京を保護地域とし本拠地は後楽園球場だった。しかし、毎日新聞の球界参入に同業者の読売ジャイアンツ読売新聞)と中日ドラゴンズ中日新聞)が猛反発し、毎日の加盟に反対した球団がセントラル・リーグ、賛成した球団がパシフィック・リーグに分裂して2リーグ制となる球界再編騒動に繋がった。

初年度の1950年は土壇場でパからセへ替えした大阪タイガースを大量に引き抜いたこともあって、2リーグ制での初代日本一になった。しかし翌年からは古南海ホークスの後を拝するようになり、1954年からは三原監督率いる西鉄ライオンズにまで遅れを取るようになった。

1957年オフ、当時のパ・リーグは7球団で対戦カードを組むにも苦慮していたため、最下位を独走する大映ユニオンズを吸収合併して現在と同じ6球団制とすることとなった。毎日大映オリオンズ大毎オリオンズ)の誕生である。存続会社は毎日球団とされたが、当時の毎日本社はすでにプロ野球への意欲を失っており、実質的なオーナーは大映球団の永田一が務める逆さ合併となった。

1960年西本幸雄監督の下で10年ぶりの優勝を果たすものの、日本シリーズでは大洋ホエールズに敗れた。西本監督を解任され、毎日新聞社も球団経営から全に撤退し、事実永田の率いる球団となった。

1962年に南千住に永田の私財を投じて東京スタジアムを完成させ、後楽園球場から移転した。すさまじく狭い球場ではあったが、当時としてはしい室内ブルペンを備え、ロッカーは一、三塁側に2つずつあり、選手食堂は「銀座の一流店のよう」と称されたという。

1964年には「チーム名に東京を冠する一のチーム」であるとして東京オリオンズ称した。ただ、このことに不快感を示した毎日新聞社は翌年には球団より資本を引き上げた。

1969年シーズンより、岸信介の仲介によりロッテスポンサーに迎えてロッテオリオンズ称した。経営権は引き続き永田が握った。

1970年に10年ぶりのリーグ優勝を果たした。観客は名物オーナーであった永田っ先の胴上げしたという。しかし大映本社の経営不振は深刻であり、翌年永田は球団を正式にロッテに譲渡した。オーナーには秘書を務めた中村長芳が就任した。

1971年7月13日、西宮球場での対阪急戦で放棄試合を引き起こした。オーナー中村示とされている。この責任を取る形で、10日後の3日に一軍監督の濃人渉が二軍監督に降格、代わって二軍監督大沢啓二が一軍監督に昇格する人事が行われた。大沢監督揮でチームは上昇気流に乗り、3位に大差をつける2位シーズンを終えた。

球団は引き続き東京スタジアムを本拠地としていたが、永田1972年球場を小佐野賢治に売却する。小佐野ロッテ球団に球場の買い取りをめたが、翌1973年より監督となった金田正一の反対もあって球団は拒否し、オリオンズは本拠地を失う事態となる(ジプシーロッテ)。1973年後楽園球場など首都圏球場を借用する計画であったが、日程的に理があったため暫定的に25試合程度を宮城球場で開催することとなった。

1974年からは正式に本拠地を宮城球場に移し、保護地域も宮城県とした。開幕戦も宮城球場で開催されたが、相変わらず首都圏での開催試合も多く組まれ、宮城球場での試合は27試合に留まった。チームは後期優勝(前年よりパ・リーグは前期後期制)を果たしプレーオフ阪急ブレーブスを破って日本シリーズに進出したが、宮城球場日本シリーズ開催の要件を満たしていないという理由から後楽園球場で開催されることになった。

1978年横浜スタジアム大洋ホエールズと共用しようとしたが破談となり、神奈川県川崎球場を本拠地とする。川崎球場大洋が離れていった直後だったため地元ファンの反応も当初こそ良かったものの、既に著しい老朽化が進んでいた球場は開場以来30年以上そのままになった設備もあるほどでオンボロであった。徐々に観客動員は低迷し、1980年代川崎球場時代の観客の少なさは珍プレー好プレーなどでもよくネタにされていた。

1984年に球団は平和台球場への移転構想があることを発表し、そのための足がかりとして西鉄ライオンズOBの稲尾和久監督に就任した。しかしこの移転計画は頓挫し、1986年シーズン終了をもって稲尾はチームを去ることになる。稲尾を慕っていた落合博満はトレードを強行にめ、結果的に中日ドラゴンズとの大トレードが成立することとなった。

落合の退団でチームも急低下し、金田監督登板も不発に終わった折、球団の移転案と千葉県から受けた開場間もない球場への誘致案が合致し1992年に保護地域を千葉県へ移転、専用球場千葉マリンスタジアムへ変更し球団名は千葉ロッテマリーンズとなり、現在に至る。移転後は2005年2010年日本一を経験している。
ロッテ40年以上球団を保有しており、現在パ・リーグ6球団では最長。また現在パ・リーグで同一のチーム名やエンブレムシンボルホームユニフォームを使用し続けているのも千葉ロッテが最長で、パ・リーグ90年代の名残をそのまま残している一の球団となっている。

チームカラー灰色ユニフォームにも取り入れられている(ペットマークであるマークに使用されている配色)。過去にはオリオンズ時代に千葉移転初期の94年まではピンクが採用されていた時期もある。
この内は、山本功児政権の2000年以降ビジター用の上着がになったのを発端とし、数年後のボビー政権での優勝時、満員で大援を送り続けるファンの印からの軍団などと呼ばれている。現在も本拠地でのビジターユニフォーム使用を行う試合を一試合開催しており、ブラックナイトと呼ばれる。
逆には他にべ印が薄く、ボビー政権の2004年サンデーユニフォームに使用される事を発端に同監督退任の2009年までユニフォームに採用されて以降採用されなくなったが、2014年にビジター用として復活した。2016年からはサードユニ(CHIBAユニ)のメインカラーとしてが採用された。

原因は不明だが、なぜか長距離が育たない球団として知られ、1986年落合博満を最後に30年以上、千葉ロッテマリーンズになってからは一度も本塁打王が出ていない2019年からはZOZOマリンスタジアムに「ホームランラグーン」というラッキーゾーンが設置されることになったので、千葉ロッテ初の本塁打王の誕生が期待される。

公式マスコット

応援スタイル

オリオンズ時代や千葉移転初期はメガホンが存在し、他球団と変わらない応援スタイルだったが90年代後半より、所謂MVPマリーンズ私設応援団)(Marines Victory Productionsにより、メガホンは一切使用しない(手拍子)タオル・個人用フラッグジャンプを他球団に先駆けて取り入れるなど、変わった応援が浸透していき、現在に至る。

鳴り物にはオリオンズ時代から行われていた小太鼓、トランペットの他、を多用する傾向が強い。これに加えMVP時代の2009年頃までは、バルサホーンによる重圧な音色も多用されていたが、球場規制が厳しくなったこと、応援団以外の使用が禁止されているため、近年は見られなくなった。

応援歌日本野球サッカージェフユナイテッド千葉など)、韓国野球台湾野球などさまざまなところから影を受けている。外国人選手の場合その選手の出身の言を用いた作詞も多い。オリジナル曲もあるが、ほとんど既存の曲のアレンジが採用されており、スポーツ関連にとどまらず民謡新幹線車内チャイムなどが原曲のものも存在する。ゲーム曲やアニメソングも多く、『Lovesong探してドラゴンクエスト)』、『ワンダーモモーイ』、『スペランカー』、『キラメキラリアイドルマスター)』、『ロマンシングサ・ガ』、『四六時夢中シンケンジャー特撮)』、果ては『U.N.オーエンは彼女なのか?東方Project)』のような同人作品など、多岐に及ぶ。

MVP2009年の騒動(後述)により応援団から退いた2010年以降は、新たに球団導の応援団が発足した。その際、応援歌が一部を除き一新された(旧応援歌オリオンズ時代から存在する「L・O・TTE」コール、出塁テーマといったものと、西武戦専用テーマのみとなっていた)。

2010年以降の現在応援団(千葉ロッテマリーンズ応援)は2004年まで応援団員だったジントシオ氏が復帰し応援団長に就任することで発足。新応援歌は鳴り物と被らない発のみのパートを行う『を届ける』というコンセプトにしており、ジン氏自らが作曲を手掛けていた。2014年にはホーム開幕戦の4月1日より、応援団監修の応援歌メドレーCD2014マリーンズスーパーベストヒットメドレー」も 発売されている。
その一方で、かつてのMVPのメンバーも球団と和解・現応援団との協議の末、2015年以降外野応援団に復帰し、現応援団の構成員として合流している。[外部]また未だにファンからの支持も根強い、旧応援歌の復活も示唆[外部]していた。

2015年シーズン終了後、ジントシオ氏が退団。応援団長も交代となった。そしてそれが影なのか定かではないが、2016年以降は旧応援歌が復活し、一部の選手応援歌サブロー、福)も復活することになっていたが、同年8月22日応援団より旧応援歌を再び止している。

選手・関係者

首脳陣


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最終更新日: 19/07/05 16:59
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