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吉良義安(1536~1569)とは、三河吉良氏のうち西条吉良氏の末裔であり、東条吉良氏と統合し徳川氏の家臣となった人物である。
吉良氏とは足利義兼の庶長子で、鎌倉時代から越前の守護に一時期なるなど独立した御家人として活動をしていた一門である。そして西条吉良氏とは吉良氏のうち京都に残った一族であり、三河などに所領を持ち、東条吉良氏が奥州に向かいそのまま武蔵に居ついた後は、新たに東条吉良氏と西条吉良氏に分立した一族である。今川氏にとっては本家筋にあたり、渋川氏、石橋氏と並び足利氏の「御一家」のいわば御三家として京都政界で活動を行っていた。
そんな吉良氏であったが自分の領国で一つ大きな問題が起きていた。それは遠江をめぐってもともと守護だった今川氏と、新たに守護となった斯波氏が対立していたことである。これは斯波氏が当主が健在で、強力なうちは特に問題がなかった。しかし、知っての通り斯波氏は当主の若死にが続いた後、分家筋から迎えた斯波義敏と守護代甲斐氏の対立に始まる家督相続問題が勃発、領国の中では最も遠国であった遠江は混乱に陥ってしまったのである。
そのような中吉良氏は今川氏、斯波氏双方と縁戚関係にあったこともあり、片や今川に味方しながら、片や反今川として斯波氏に協力し、家臣団をうまくたちまわせていたのである。そう、15世紀後半は特に問題なくこの政策はうまくいっていたのだ…。
しかし、今川対斯波の抗争はついに今川の勝利で決着がつく。その結果それまで遠江で活動していた吉良氏家臣だった飯尾氏らも今川氏に吸収されたのである。同じ頃吉良氏は都での活動を中断する。というのも明応の政変以降足利義澄に仕えていたものの、次第に足利義稙に心を寄せ彼に協力、しかし彼の弱体化とともに京都を脱出し三河に向かったのである。こうして吉良氏は遠江と京都という基盤を失ったまま三河で活動することになった。
こうして三河に来た吉良氏だったが16世紀初頭の彼らは今川氏と蜜月関係を築いた。例えば今川氏親の娘は吉良義堯の下へと嫁いでいるのである。また今川氏は善得寺の住持に吉良氏出身の僧を招くなど文化的にも吉良氏を尊重した政策をとっていた。このように吉良氏は今川氏から丁重に扱われていたのだ。
しかし、ここで問題が生じる。弱体化した斯波氏に代わり、尾張で織田氏が台頭。三河は今川氏と織田氏のせめぎあいの場へと変化したのである。吉良義堯は自分の二人の息子である吉良義郷を自身の西条吉良氏に、次男の吉良義安を東条吉良氏の養子にしていた。しかし1540年に吉良義郷は織田氏の攻撃で戦死する。吉良氏もまた戦国の動乱に巻き込まれていったのである。
▲ここで吉良義安は兄・吉良義郷の後を継ぎ西条吉良氏を継いだ。そして養父であった東条吉良氏の吉良持広も亡くなってしまったので、こちらは弟の吉良義昭に譲ることとなった。しかしここで最初の問題が起こる。まだ幼少だった彼に代わり外戚だった後藤氏が織田氏に接近、吉良氏と斯波氏の婚姻まで画策したのである。その結果1549年に今川氏に攻撃され、後藤氏は排除された。
しかし吉良氏は1555年に二度目の蜂起に至る。今度もまた家臣団の暴走が招いたことであり、吉良義安はついに今川氏に人質とされ、領地から切り離されたのである。なおこのころ松平竹千代…つまり徳川家康が元服したとき理髪の役を務めている。
ところがここで転機が訪れる。桶狭間の戦いによる今川義元の戦死、および徳川家康による三河の掌握である。1561年に彼の弟である吉良義昭は東条城に移り徳川家康と抗争。斯波義銀、石橋忠義と共謀して織田信長に対抗しようとして失敗、1563年の三河一向一揆の際にこれを利用して家康と争うが敗北し逃亡、摂津芥川で亡くなったとされる。一方吉良義安は特に家康と争うということはなく、弟の義昭が持っていた東条吉良氏の名跡も次ぐことになり、この結果吉良氏は統一され徳川家臣となったのである。彼はその後1569年に若くして亡くなった
▲吉良氏はその後彼の孫である吉良義弥の代に吉良を安堵され高家に列席した。これは足利氏の御一家であったというよりも吉良氏の持っていた礼法によるものであるという見方が有力である。
さてその後の吉良氏の運命は日本人ならほとんどが知っているだろうが、さらにその孫である吉良義央が赤穂浪士に殺され、さらにその孫であり吉良義央の養子だった吉良義周が改易され断絶させられてしまった。
ちなみに東条吉良氏の末裔も生き残っていたらしく西尾吉次に始まる西尾氏がこれにあたるとされる。
▲「信長の野望」シリーズにおける能力値一覧。
早い時代の人物のため、今のところその時代を取り扱った蒼天録と創造PKのみしか出たことはない。
武将としては平々凡々の能力値であり、死ぬのも早いことからあまり重宝できるタイプではない。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | ― | 政治 | ― | 魅力 | ― | 野望 | ― | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | ― | 政治 | ― | 魅力 | ― | 野望 | ― | 教養 | ― | ||||
覇王伝 | 采配 | ― | 戦闘 | ― | 智謀 | ― | 政治 | ― | 野望 | ― | ||||
天翔記 | 戦才 | ― | 智才 | ― | 政才 | ― | 魅力 | ― | 野望 | ― | ||||
将星録 | 戦闘 | ― | 智謀 | ― | 政治 | ― | ||||||||
烈風伝 | 采配 | ― | 戦闘 | ― | 智謀 | ― | 政治 | ― | ||||||
嵐世記 | 采配 | ― | 智謀 | ― | 政治 | ― | 野望 | ― | ||||||
蒼天録 | 統率 | 28 | 知略 | 36 | 政治 | 42 | ||||||||
天下創世 | 統率 | ― | 知略 | ― | 政治 | ― | 教養 | ― | ||||||
革新 | 統率 | ― | 武勇 | ― | 知略 | ― | 政治 | ― | ||||||
天道 | 統率 | ― | 武勇 | ― | 知略 | ― | 政治 | ― | ||||||
創造 | 統率 | 42 | 武勇 | 40 | 知略 | 48 | 政治 | 51 |