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呂500


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呂500とは、旧日本軍が所有していた潜水艦である。


概要



建造から呂500誕生までのルーツ


もともとはドイツUボート「U-511」として建造された潜水艦。1941年2月21日に起工し、9月22日に進12月8日工した。初代艦長には当時ドイツ軍大尉だったフリードリッヒ・シュタインホフが任命された。

その後、3回の作戦を経て日本軍側に技術交流の一環として償譲渡されることが決定された。これは、ドイツ側が日本に同潜水艦を量産してもらおうと狙ったためである。日本への出航当日、日本からはベルリンに同盟の軍事委員としてベルリンに駐在していた野村直邦海軍中将杉田軍医らが、ドイツからは艦長のシュネーヴィンド、軍事技術博士シュミット博士らが搭乗した。

そしてドイツ出航後、アフリカ大陸南端の喜望峰を経由して約3万kmとなる航を経て広島港に入港。海軍係留される。


呂500誕生へ


日本軍はU-511を暫定艦名として「さつき1号」とし、その後正式な艦名として「呂号第五百潜水艦」、通称「呂500」と命名した。

すぐさま技術調に乗り出すが、当時は、レーダー兵器が発達していたことと、同潜水艦を開発するを当時の日本の状況ではできなかったため、量産化は不可能と判断された。しかし、電気溶接の技術をシュミット博士から学ぶなどとして当時のドイツ軍事技術を積極的に取り込むことに成功した。


練習艦としての余生、そして終戦へ


技術調後は実践に投入されず、潜学校付属の練習艦として、ドイツ潜水艦の実用性の調と潜学校生徒の養成に使用された。

終戦は舞で迎え、連合軍によって若狭湾没処分された。1946年4月30日でのことである。


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関連生放送


ニコニコ生放送では、「呂500」探索調プロジェクトの模様を2018年6月18日から生中継した。

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最終更新日: 18/09/20 21:40
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