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地下街


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地下街(ちかがい)とは、地下にあるである。某事典には商店の一種として記述されているが、日本では厳密には構内や道路といった共物の地下に有する地下施設(よって私有企業の地下施設は、法令上含まない。この条件が後の不毛なバトル引き金となっているわけだが…)のことをす。海外の寒冷な都市などでは、まるまる地が地下に設けられている場合がある(有名なのがカナダトロントとモントリオールで、その規模は世界1,2を争い、地下街に教会学校まである)。

また、海外では有事に備え、防壕の的を持って建設された所や、暑さをぐために設けられたところもある。海外で地下街は寒冷地を除いて較的少ないのは治安上の問題があるのと、地下鉄交通がさほど発達していないところが多いからである。

日本以外で地下街が発達しているとして有名なのがカナダで、前述したトロントは全長12キロ、32メートルという世界最大級の地下街「PATH」があり、モントリオールにも同じく30メートルえる地下街があり、一通りの都市を備えた、地下都市さながらの様相である。その他、バンクバー、ウィニペグ、オタワ、エドモントンなどにも大規模な地下街があるようだ。

ご当地ではトロントとモントリオール、どっちがでかいかという争いがあるみたいだけど…

アメリカ合衆国では、寒冷地の都市であるシカゴボストンミネアリス、ロチェスターや地下鉄鉄道交通が発達しているニューヨークフィラルフィア、または近年鉄道を敷いたアトランタなどに地下街がある。


概要と日本各都市の概況


日本では軒並み、商業施設が設けられる。地下街が発達した理由は、過密化する都市間の有効活用、高騰した地価によるもの、歩行者の安全確保、円滑な誘導のためなどであり、ほかにもその都市ならではの事情で誕生した地下街もある。また、地下街は維持費、調管理、対策など多大なコストを擁するため、大都市に設けられることが多い。

また、どこが地下街として広さ日本一なのかは、定義が曖昧なんだから玉色の答えしかない、と最初に言っておきます。


三大都市圏


東京特別区

日本最古の地下街は1930年、上野駅に設けられたが、現在は存在しない。また、その都市規模の割に、地下街面積は相対的に少ない。また、三原地下街という、内最古の地下街も存在したが、それもなくなっている。

時代を遡ること約100年前、当時の東京市は、江戸時代からの下町を理やり乱開発したような秩序な状態であり、人口増大につれ交通機関ストレス限界に達していた。そこで、新たな交通手段が模索されることになるのだが、路面電車路線バスの運用と輸送には限界がある上、当時は非常に高価だったため、見送られた。その代替案として有視されたのが地下鉄敷設である。地下鉄なら土地代が安い(当時はど開発が進んでいなかったため)ので、急遽地下鉄敷設の話が進んだ。そして、戦後になって東京都心が過密化していくにつれ、地下鉄の新線も建設が次々と進んでいく。その一方で、地下街用のスペースがなくなってしまったため、元々駐車場スペースとして大規模な土地を確保していた八重新宿を除いて、構内の地下など小規模なものしかできなくなったのである。そのため東京23区の地下街総面積大阪名古屋より少ない。

その中で、「八重地下街」はかなり大規模であり、運営会社単位の敷地面積ではクリスタに次ぐ全で2番め規模で、約7万メートル東京駅八重口という立地上、ビジネスマン向けの店や観光客向けの店も置かれている。また、単一の売場面積としては日本一の広さを持っている。

新宿駅地下構内も、同様に地下駐車場的で確保されたもの。は単純な地下スペースとしては全有数の規模を誇り、「新宿サブナード」、「京王モール」、「東口地下街」、「小田急エース」などを足すと八重より広大である。そして、単一エリア法律上の商店としての面積ならば、この新宿エリア約10万メートルに及び、内で最も広く、ダンジョン化している(単一の運営体ではない点に注意)。

そしてこの新宿八重、その他池袋池袋ショッピングパーク東武ホープセンター)、新ウィング)に中規模の地下街、渋谷(「しぶちか」)、そして現存する最古の地下街といわれる「浅草地下街」などに小規模の地下街があり、それらを合わせると面積22.5万メートル名古屋以上、法律上の地下街面積のみならば大阪市をもレベルとなるのだが、名古屋大阪の方が広いといわれている理由は次に述べよう。

名古屋

名古屋市は地下街が発達した都市として有名。その暑い気条件と都市計画によって地上にはに官庁関連施設やビジネスビルが優先されたために、地下は商業用地として幅広く確保されていた。また、トヨタ自動車のお膝元という典的な自動車交通重視であるために、戦後都市計画によって、地上には広小路通、伏見通など大規模な道路が設けられる一方、歩行者との交通事故が多発したため、歩行者の安全確保を的として地下通路、そして地下街が発達した経緯がある。昭和32年3月に、全に先駆け、「名駅地下街」が誕生、大々的なPRを行い、名古屋といえば地下街というイメージを与えた。

名古屋の繁といえば、名古屋駅名駅エリアと古くからの中心的な繁である栄エリアがあり、地下街も名駅には「セントラルパーク地下街」、「エスカ地下街」、「ユニモール」、「名駅地下街サンロード」などがあり、栄エリアには「サカエチカ」、「森の地下街」などがある。なお、名駅と栄の間には伏見エリアがあり、そこにもアーティスティックな地下街として復活を遂げた「伏見地下街」と錦通エリアの「ミヤコ地下街」があり、これらは十分歩いていける2キロ四方の距離に収まっているため、エリア内における敷地面積17メートルに及び、言い方によっては出歩け日本最大の地下街といえるだろう。また、地下街の数も日本で一番多く、19もある。加えて名古屋駅の複雑さもあり、この名古屋エリアダンジョンといわれて久しい。

また、副都心金山大曽根にも地下街があるのだが、正直あってないようなものだから、採り上げないほうがいいかも。

大阪

大阪市名古屋市と並んで、歩行者の安全確保のため、地下街が発達した都市である。モータリゼーションの波は名古屋よりく、戦前には既に、歩行者との交通事故が多発していた。その解消手段として地下通路を建設したが、当時の地下通路は当時、照明などが暗く治安上の問題もあったため、明るいイメージを出すために商店を設け、地下街として整備、発展させていった経緯がある。梅田地下街が内初の本格的な地下街となっているが、これは1942年のもの。また、戦後には難波に、内初の本格的な地下街が誕生した(実際のところは、名駅地下街とほぼ同期で、開業は名古屋の方がい)。

大阪の地下街は梅田エリア難波エリアに大別されるが、長、あべの、京橋にも地下街があり、いずれも交通の要衝となっている。梅田エリアには「ホワイティうめだ」、「ディアモール大阪」、「ドーチカ」などがあり、これに法律上の地下街ではないが、「阪急三番街」「大阪駅前ビル(第1から第4まである)」などとも仕切りなしで接続している。これらを足すと、梅田エリアだけで約13万メートルに達し、単一エリアとしても日本一広大であり、しかも二階建て構造になっているものだから、迷子になる人が続発し、ダンジョンなどとも呼ばれることも。

難波エリアには、「なんばウォーク」、「NAMBAなんなん」(旧なんなんタウン)に、南海が管理する「なんばCITY」(阪急三番街と同じ理由で、厳密には地下街ではない)などの、約9万メートルに及ぶ地下街があり、梅田に次ぐ広さである。そして、この難波地下街も構造こそは単純だが、その単純さが却って、無限ループ感を生み出してしまい、同じくダンジョンと呼ばれている(キタに慣れている人は、なんばの方がエリアそのものが広大な上に、地上の動線が混線しまくっているためにダンジョン感が強いという)。

そこから心斎橋商店を利用して長通の「クリスタ」に至る。クリスタは単体としては日本最大の地下街である(8万1千メートル。しかし、スペースが広いだけで、店舗数はそこまで多くはなkく、店舗面積は「NAMBAなんなん」などより少ない)。

また天王寺あべの橋エリアつなぎJR近鉄地下鉄接続の通行路として重要な役割を果たしている「あべちか」、JR京橋駅京阪京橋駅を接続するオープンモール地下街の「京橋コムズガーデン」(天井がないため地下街には見えないが、構造は地下にあるため、法律上は地下街扱い。よって、が降り込むと地下街にいながら濡れることができるという重体験ができる)、中之の「中之地下街」(また、この中之も「MINAMO」という個人所有の地下街と接続しており、合わせると約8000ある)などがある。

よって、すべてを合わせた事実上の地下街の面積35メートルえ、大阪市内で最も広いのだが、この地下街という法律上の定義がネックになっており、個人事業管理の阪急三番街なんばCITYなどが含まれなくなるため、日本一の基準が曖昧になってしまうのである(法令上の定義のみの合計ならば、約19.1万メートルであり、東京より少なくなる)。


その他の政令指定都市


札幌

札幌の地下街面積大阪東京名古屋横浜に次いで広く、約8万メートルである。札幌市に地下街が発達した理由は、上記の3都市には該当せず、むしろ前述したトロントやモントリオールと同様に、高緯度にある都市のため、寒さ、そして降対策のためである。特に、降は商業にとっては深刻な問題であり、降が起きると人の購買意欲は減退し、商業施設は通行量減、売上減といった大きな打撃を受ける。その一方で、地下街はの日でも安心して歩行でき、そして買い物ができることで、安全通路としてだけでなく、購買意欲を促進する的も持っている。

北海道には現在JR札幌駅地下鉄さっぽろ駅)にある「Apia」、地下鉄大通駅にある「さっぽろ地下街オーロラタウン」、地下鉄大通駅地下鉄すすきの駅を繋ぐ「さっぽろ地下街ポールタウン」の3つの大規模な地下街があり、更に地下鉄さっぽろ駅大通駅の間に地下道(通称 チ・カ・ホ)を開設して札幌駅周辺とすすきの・大通の二大繁を結ぶなど、商圏の拡大にも貢献している。

余談であるが、札幌駅北の地下道からすすきのまでの直線距離は1900mであり、日本一の直線距離の長い地下歩となっている。更に札幌市札幌駅北の地下道から東豊線さっぽろ駅までの地下道の建設、東豊線さっぽろ駅東豊線大通駅豊水すすきの駅までの東豊線に沿った地下道建設、東豊線豊水すすきの駅南北線すすきの駅を繋げる地下道を計画しており、これらが完成すると札幌要地域をループ化することが出来る。

横浜

横浜には横浜駅のある関内エリアに「ポルタ地下街」、そして相鉄が開発してきた「相鉄ジョイナス」(地下街部分は旧「ザ・ダイヤモンド」)がある。他のこの地下街含め横浜駅は1915年の開発計画が未だに集結しておらず、日本のサグラダ・ファミリアと揶揄されているほど。

さて、そんな横浜駅の立地だが、実は明治維新以後に埋め立てられた沼地の上であり、開発スペースは十分あったのだが、戦後まもなくの横浜駅前は、いわば”残され”状態であり、戦争の負傷者が物乞いをするような場所であった。徐々に復を遂げていくと、そこに商店が作られ、人が集っていく。そして、次第に横浜駅周辺の関内地区が重要な交通拠点として発展を遂げると、それまでの下町要素は一変し、地価も高騰していった。個人商店らは高い賃料を支払えなくなり、商店の維持が困難となっていった。そのとき1963年には地下街の工事許可も降りたことで、西口には相鉄導のダイヤモンド地下街が建設されていくと、商店はより賃料が安価な地下街に移転し、地下街が発展する基礎を築いていった…というのが横浜駅における地下街のあらましである。全てがそうなったわけではないが、要は地上にあった商店の店舗が、地価の高騰により地下街に遷移したという、他の都市にない経歴を持っている。これは、当時の横浜市の中心伊勢佐木町周辺で、横浜駅周辺はまだ未開拓のエリアだったことが大きい。

なお、これで安泰かと思われた西口の商店だが、東口にそごうが巨艦店舗を出店、また横浜ポルタ1980年に営業したことで、人の流れが変わってしまう。こうして、お互い西口を制する高島屋相鉄営と東口を制するそごうルミネ営が綱引きを繰り返している状態となっている。なお、馬車道口には「マリナード」という、伊勢佐木モール方面への地下街もあるが、これは横浜関内エリアの商圏拡大に伴うものと、大きく影を受けていた伊勢佐木町方面への動線確保的もある。横浜エリアはこの3つの地下街を合わせると、約8万8000メートルに及び、これは三大都市の次に広い。

時々でいいから野毛・桜木町エリアの「ぴおシティ」のことを思い出してあげてください。

川崎


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最終更新日: 19/09/14 01:45
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