7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します
「姉小路良頼」(あねがこうじ・よしより 1520 ~ 1572)とは、中納言の位が欲しくてたまらず三国司の名家・姉小路家をのっとる等するも果たせず、最後は勝手に中納言を自称してしまった飛騨の豪族。
別名は「三木嗣頼(みつぎ・つぐより)」「三木良頼(みつぎ・よしより)」
飛騨・三木氏が戦国大名へと飛躍する土台をつくった三木直頼の子に生まれ、父の死に伴い三木家の家督を継いで桜洞城の城主となった。
飛騨守に任ぜられた後、従五位下→従三位と着々と夢の中納言の階段を昇っていたが、身分を偽ったとして官職を免ぜられてしまい、申請していた中納言の位も許可されなかった。このことから飛騨の豪族程度では官位を得るのには不都合だと思ったのか、伊勢の北畠氏・阿波の一宮氏と並ぶ三国司の飛騨・姉小路氏の名跡を奪って、嫡男の三木自綱に継がせて姉小路頼綱を名のらせ、その後に自らも姉小路氏に姓を改めた。しかし、やはり中納言の位が手に入らず、果てには中納言を自称するようになってしまったと言われている。
飛騨の領国化を狙った武田信玄が侵攻してくると、同盟を組んでいた越後の軍神・上杉謙信に川中島方面から侵攻してもらうことで武田の軍勢を撤退させることに成功する。また、武田氏に与する飛騨の豪族・江馬時盛と江馬輝盛親子とも飛騨の覇権を狙って争った。
子・姉小路頼綱の妻に美濃の斎藤道三の娘を迎えたり、対立が激化した上杉謙信と椎名康胤の調停の為に朝廷外交に尽力する等、正式な中納言叙任へ向けて飛騨では傑出していた外交・謀略能力にて点数稼ぎをするものの正式な認可はおりず、その間に武田信玄の再侵攻により山県昌景らの攻撃をうけて降伏し、領土の一部を犬猿の仲の江馬氏に割譲するといった侮辱に近い譲歩を迫られて武田氏の傘下に組み込まれてしまう。
そのような状況でも、得意の外交能力で上杉謙信と裏で結んだり、子・姉小路頼綱を織田信長と足利義昭のいる京都に派遣して織田信長と誼を通じる等勢力維持の為に活発に活動した。
しかし、上杉謙信の越中出兵時に援軍を求められたものの、すでに病の床についていた姉小路良頼は出陣が叶わず、結局、生涯を通して夢見た中納言の位は最後まで、そして死後も得ることなく没した。
※その他「姉小路良頼」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。[外部]
コーエーの「信長の野望」シリーズでは、戦国群雄伝以降の全作に登場するも、伊賀の六角氏同様全国最低クラスの領土の石高の低さに泣かされる事に定評がある。
▲▼飛騨の名君として信望を集める「霧雨の野望」
▼双海家の常識人(と言うか普通)な外交官として各所に出張するも成果がいまいちな「燃えよ双星」
■sm4329749[ニコ動]
■mylist/8020096
※父・三木直頼が賭けにまけて双海亜美真美に家督を譲ってしまった事で家督を継げなかった事はあまり気にしていない。
▲「信長の野望」(PC)シリーズにおける姉小路良頼(三木嗣頼・三木良頼)の能力一覧。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 53 | 政治 | 68 | 魅力 | 90 | 野望 | 69 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 48 | 政治 | 54 | 魅力 | 65 | 野望 | 58 | 教養 | 54 | ||||
覇王伝 | 采配 | 66 | 戦闘 | 58 | 智謀 | 54 | 政治 | 55 | 野望 | 51 | ||||
天翔記 | 戦才 | 126(B) | 智才 | 112(B) | 政才 | 120(B) | 魅力 | 71 | 野望 | 63 | ||||
将星録 | 戦闘 | 59 | 智謀 | 68 | 政治 | 69 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 62 | 戦闘 | 60 | 智謀 | 69 | 政治 | 65 | ||||||
嵐世紀 | 采配 | 53 | 智謀 | 50 | 政治 | 56 | 野望 | 83 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 54 | 知略 | 52 | 政治 | 58 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 54 | 知略 | 52 | 政治 | 54 | 教養 | 54 | ||||||
革新 | 統率 | 62 | 武勇 | 58 | 知略 | 58 | 政治 | 61 | ||||||
天道 | 統率 | 62 | 武勇 | 58 | 知略 | 58 | 政治 | 61 | ||||||
創造 | 統率 | 59 | 武勇 | 59 | 知略 | 59 | 政治 | 60 |
■az4404034482
■az4924899208
■azB001GQW064
■azB0000TCMUW