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小さな政府(Small Government)とは、政治学用語の1つである。反対の概念は、大きな政府である。
小さな政府という言葉に対しては、複数の定義を与えることができる。
政府予算の額と公務員の量が小さくて経済政策・社会政策の規模が小さい政府のことを、小さな政府と呼ぶ。
市場占有率が高い企業の暴走に歯止めをかける権力が小さい政府のことを、小さな政府と呼ぶ。
巨大企業1社が市場を独占する状態や、巨大企業2~3社が市場を寡占する状態となっても、「自由競争の結果として優秀な企業が勝ち残っただけだ」と肯定的に受け止め、独占禁止法や反トラスト法を適用せずに放置する。
個人が生産手段を所有することを禁止し、生産手段をすべて国有化するべきと論ずる思想がある。これを社会主義とか、共産主義という。
共産主義は、国内のすべての企業が国有化され、すべての国民が公務員となる。そのため、定義1の「人員の規模が小さい政府」に該当しない。
ところが共産主義は、国内のすべての企業が国有化され、政府が「国内のすべての産業を独占する超巨大企業」になり、政府が市場を独占し続けるものである。そのため、定義2の「独占企業の出現を阻止する権力が小さい政府」に該当する。
小さな政府とは、政府の経済政策・社会政策の規模を小さくし、市場への介入を最小限にし、市場原理に基づく自由な競争によって経済成長を促進させようとする考え方のことをいう。
小さな政府を目指すときは、政府の予算を極限まで削り、政府の人員を縮小していく。こういう財政政策を緊縮財政という。
小さな政府になると、救貧事業となる公共事業が削減され、社会保障が不十分になっていくので、しだいに格差社会が広がっていく。
「小さな政府」を批判する勢力からは、行政サービスの乏しさや、何らかの危機に対する対応力の低さが、槍玉に挙げられる。
人員の余裕がないので、何らかの危機に対する対応力が、(大きな政府である場合に比べて)比較的に低い。
軍隊というのは政府の一部門である。軍隊の予算や人員を減らすという軍備縮小(軍縮)も、「小さな政府」の考え方の1つといえる。
経済学者のアダム・スミスなどが小さな政府と自由競争を重んじる経済政策を提唱した。これを古典派経済学という。
経済学者のフリードリヒ・ハイエクや、それに影響を受けたミルトン・フリードマンは、小さな政府を重んじる立場だった。彼らのことを新古典派経済学という。また、ミルトン・フリードマンはシカゴ大学で教鞭を執って弟子を育て続けたので、彼を慕う集団をシカゴ学派という。
1980年にアメリカ合衆国大統領へ就任したロナルド・レーガンは、レーガノミクスという小さな政府を目指す経済政策を実行した。レーガンを支持する人々をレーガニスト(Reaganist)という。
グローバリズム、市場原理主義(新自由主義)、こういった思想は、いずれも自由貿易や自由競争を促進するものであるが、それと同時に小さな政府を目指すものである。自由貿易や自由競争を極限まで活性化するには、政府の規制をどんどん撤廃する規制緩和が必要である。規制緩和をするには、国会で法律を改正して制度を変えるという面倒な手段もあるが、それよりもっと簡単なのが小さな政府の実現である。小さな政府を実現して、規制を担当する政府の人員を徹底的に減らせば、規制する業務をしたくてもできなくなり、規制緩和がどんどん進むことになる。
小さな政府が規制緩和を生み、規制緩和が自由貿易や自由競争を生む・・・そのため、自由貿易や自由競争を愛する人たちは、小さな政府を目指す。
商品貨幣論という貨幣論がある。これは「お金というものを作り出しているのは、市場である」という考え方であり、「政府や中央銀行の通貨発行権は、市場の信認を得られる範囲内にとどめられる」という考え方を導くものである。さらにいうと、「政府や中央銀行の通貨発行権は大きく制限されるので、政府の経済活動は大きく制限される」という考えをもたらす。つまり、商品貨幣論は小さな政府と親和性がとても高い。
リバタリアニズムという政治思想を支持する人々をリバタリアンという。彼らは、個人の自由を絶対的に追求することを目標としており、それゆえ、小さな政府を理想視している。
無政府主義(アナーキズム)と、「小さな政府志向」の関連性は、しばしば指摘される。いずれも、政府の役割を低く評価する思想である。2020年現在の日本において、無政府主義は左派の一部によって支持され、小さな政府は右派(保守派)の一部によって支持されていると言えるだろうが、政府の役割を否定しようとする点で実によく似ている。