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小川直也


ヨミ: オガワナオヤ
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小川直也とは、日本の総合格闘プロレスラータレントである。


柔道家として


高校から始めた柔道で才を開させ、大学社会人と活躍。92年にはバルセロナオリンピックに出場しメダルを獲得。当時は寡黙で口数の少ない男だったため、マスコミから「態度が悪い」とバッシングを受けることもあった。また同世代に古賀後輩吉田スター選手が多かったため常に彼らと較される続けていた。その後アトランタオリンピックに出場するも五位に終わり、97年に引退フリーの格闘となった。


プロレスデビュー


97年にアントニオ猪木佐山聡が創設した総合格闘技団体UFOの一員として新日本プロレスデビュー。当時IWGP王者だった橋本真也を下す大金星プロレスデビューを飾る。しかしその後橋本とのIWGPをかけた試合に敗れたのをきっかけに勝ちからは遠ざかる日が続いていたのだが・・・


1999年1月4日


この日新日本プロレスは毎年恒例の東京ドーム大会を開催。大仁田厚の新日本参戦も相まって注された大会だった。

この日のメインイベント武藤敬司vsスコットノートン

それに先立ったこの三度対決で二人の因縁は白黒はっきりつくはずだった。ところが入場してきた小川直也を見て観客は驚いた。以前のような柔道着にどっしりとした体格はを潜め、タイツにレガース、そして何より以前とは見違えるようにビルドアップされた体を小川は作り上げてきた。さらにプロレスでは異例の「相手が入場してくるときにマイクアピールを行う」といった掟破りの行動まで行うなど以前の小川とは姿も中身も明らかに違っていた。

どこか異様な雰囲気の中試合開始。そして試合開始からすぐ、この試合が異常であることに多くの観客は気づく。キレのあるパンチキックで攻め立てる小川に対してクリンチで逃れるしか出来ない橋本、そして小川マウントポジションを奪うとそのまま橋本ボコボコにしてしまう。にもこれがプロレスの試合ではいことは明らかであった。

そのまま橋本一方的に攻められ続け、流血のまま何もできないまま場外へ。そこでセコンドの乱入もあって試合はノーコンテストで終わる。

しかし、試合終了後も新日本レスラーUFOの小競り合いは続き、長州力が事態の収拾に現れるも、火に油を注ぐ結果になってしまう。(めちゃイケ企画、めちゃ日本女子プロレスパロディされているのはこの場面)

そのまま小川は表情を変えずリングを去り、東京ドームは「一体これはなんだったのか?」という戸惑いと怒号が飛び交う異様な空気となった。

諸説あるものの、この試合の真実は未だ明確にられていない。しかし、この試合をきっかけに新日本プロレスは大きな変革を迫られることになる。


ZERO-ONE、総合格闘技、ハッスル


その後小川総合格闘技団体PRIDEにも参戦して勝ちを上げ、プロレスも並行して続け一度は橋本引退に追い込んだ。しかし後に橋本プロレス団体ZERO-ONEを立ち上げるとそこに参戦。橋本と「OH」を結成し戦友となる。

さらにZERO-ONEが手掛ける新たなプロレス団体ハッスルにも参戦、トップレスラーとして活躍。決めポーズの「3,2,1、ハッスルハッスル」は流行にもなった。しかし同時にそのコミカルショーアップされたスタイル批判も少なからず受けることになる。

2005年には戦友、橋本真也が急逝。この年行われたPRIDE祭りではかつての後輩吉田と対戦。その際入場曲を橋本の「爆勝宣言」にするなどして注を集めた。

2007年にはアントニオ猪木催の格闘技団体IGFに参戦。


トリビア



得意技


STO(スペース・トルネード・オガワ)

小川の代名詞にして最大の必殺技柔道大外刈りを発展させた技で、相手の首に腕をかけそのまま脚を払いつつ前に倒れこみ相手の後頭部をマットに打ち付ける。単純ながらも非常に危険な技であり、何度も橋本真也を苦しめた。

この技を基本とした橋本との合体技に「ごと刈れ」「刈怒」などがある。


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関連項目



最終更新日: 17/03/06 11:51
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