ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


山城(艦これ)


ヨミ: フコウ
掲示板をミル!
329カキコ!
■im3893476(静画)

あの~扶桑さま、見ませんでした?」

山城(艦これ)とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する、日本海軍戦艦山城」をモチーフとした艦娘である。

扶桑型戦艦姉妹、妹のほう、山城です

 戦艦艦娘であり、巫女服を大幅にアレンジしたような着衣と艶やかな黒髪が特徴で、ストレートロング扶桑に対し、山城ショートカット背中の背負い物()もと同様、ひときわを引く巨大なものになっている。そして、『不幸姉妹』の由来にもなっているパラメータ “ 運:5 ” もまた、と同じ。

 いかにもお淑やかな大和撫子然としたべ、山城は全般的にハキハキとした感があり、戦時をはじめその口調には若干の気の強さも伺える。また、や他の戦艦に負けず劣らないくらいグラマーなスタイルを誇り胸部装甲も立なモノをお持ちで、中破してしまった時の姿がじつに股間に良くない。
との違いとして、が短めというのが対照的。

 その一方、下記史実にあるように欠陥戦艦だ予備役だと不遇続きであったためか、基本的にやさぐれたセリフが多く、小破を食らった時や改造修時、はたまた戦績表示を開いたとき等々、もはや口癖と呼べるレベルでやたら不幸という単を使うあたり、病みキャラ自虐キャラとしての側面はより強いかもしれない。
気よく遠征艦隊を送り出そうとしているまさにその時に、ぼそりと「不幸だわ…」とつぶやくのは縁起が悪いので本当にやめてくださいしんでしまいます(震え声)2014年6月6日アップデートにより、遠征出撃時には秘書艦ではなく遠征に向かう艦隊の旗艦がひとことしゃべるよう仕様変更されたので、山城秘書艦時にこのタイミングでこのセリフを聴けることはなくなった。
しかし、あの性格の彼女のことである。今日も遠征出撃時には、提督に入らないところでぼそりと「不幸だわ…」とつぶやいているに違いない…。

 そんな不幸彼女だが、入手時やMVPを取ったときにっ先にを呼ぶセリフなどにあるように、とにかくいつもひたすらのことを思っている実に良い(強調)である。「さま!?・・・なんだ、提督か」という台詞にはじめ、(提督が信頼されてないわけではないらしいが)提督扶桑への当たり方がまるで違う。他の姉妹艦以上に重度のシスコンで、時にとのキャッキャウフフ妄想に耽っていると思わしき場面も・・・
さらには、以下のような時期限定の台詞などを見てもの事を盲目的と呼べるくらいに慕っている事がわかる。

台詞によっては開口一番にさまを呼んだり提督扶桑以外の艦娘が二の次に扱われたりもするため、そのへの執着心や独占欲は時にシスコンどころかヤンデレと呼ばれる事すらある。特に2周年の時は「山城が笑った!?」「ますます危なくなった(拗らせた)」等と評判を呼んだ程。またバレンタインデーの時には扶桑チョコレートを用意した一方で提督に対しては申し訳程度のチョコレートを渡していると思われる事も「これはこれで山城らしい」と話題になったが、扶桑に渡したのと同じ物を提督にも渡した(けど態度が違うだけ)、とする説もある。
■im5569181(静画)

(想像図)

総括すると以外の話題で、感情の浮き沈みがしいらしい。黙っていれば美人、とも。

改二にしたから……たぶん行けるはず……

スリガオ峡における夜戦で喪失した悲劇の戦艦、そのさらなるif装の実装を今予定しています。
#艦これ

艦これ運営ツイッター公式アカウントより[外部]

来たるべき2014年イベントを前にして、戦艦改二実装が予告された。スリガオ峡に消えた戦艦は2隻、そのいずれであるかが注されたが、「戦艦姉妹の改二実装を現在実装準備中です。ネームシップから順に改装実装予定です。[外部]」とされたことから2隻ともに改二実装されたことが確定し、10月24日にまず扶桑改二実装されたのである。山城については「今秋中の改二実装を予定しています[外部]」とされていたのだが……それは突然やってきた。

100年前の今日【11/20】は、その約30年後の西村艦隊旗艦としてスリガオ峡に突入、「扶桑」「最上」「時雨」そして第四駆逐隊と共にレイテ湾をした、扶桑型戦艦二番艦「山城」が起工された日です。#艦これ

本日【11/20扶桑型戦艦二番艦「山城」のさらなる装(改二装)を、実装予定です。本実装は、サービス継続したまま実施する予定です。全サーバ群に実装了しましたら、再度お知らせ致します。※全サーバ群共に、本日日付中の作業了を予定しています。 #艦これ

艦これ運営公式ツイッターアカウントより①[外部]②[外部]

ほとんどの提督が予期していなかったであろうイベント中のオンメンテによる実装であった。かくて、と同じレベル80にて、装設計図を消費して山城改二にすることが可であったのである。まず装備についてであるが、の試製41cm3連装41cm連装、艦載機の瑞雲12は共通であり、とは異なり探照灯を搭載している。また、ステータス的には扶桑の方が火力・対が1高く、山城の方が運・装甲が1高い。扶桑改二の性についてはページを参照のこと。なお、改二に伴い見事な横乳出しは修正されました。

改二に伴い、各種ボイスも新装されている。山城と言えばケッコンオコトワリ勢の一人として知られているが、改二まで長く付き合っている提督のことも少しは認めてくれているようになり、ケッコンカッコカリを済ませると……しかしながら、基本的には相変わらず様のことで頭がいっぱいのようである。

[画像][外部]

「邪魔だ・・・どけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

2017年イベント捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(前篇)において事実上の主人公であり、西村艦隊の旗艦として奮戦する山城の雄姿が見られた。

上記の科白撃戦時のもので藤田咲氏の凄まじいまでの哮からもそれまでのネガティブな面が立った山城イメージが一変、僚艦である西村艦隊仲間たちにを掛け奮い立たせる旗艦に相応しい立ち回りを披露した。その怒からも「どけさん」なる異名も。同作戦エンディング(作戦了)にて扶桑と共に西村艦隊、成し遂げました」と締めくくった(後日アイテムとして実装)

史実 ……不幸の史実かしら

扶桑(艦これ)も参照

 建造は横須賀軍工大正2年(1913年)11月起工、大正6年(1917年)3月就役。「山城」は京都御所の所在地であり、1000年にわたって皇都の所在地だった山城に由来する。

■im3380133(静画)

扶桑型戦艦は4隻建造される予定だったが、設計変更により「伊勢」と「日向」は別艦戦艦として建造されることになった。
しかし「山城」だけは「扶桑」の同艦として完成した。

 扶桑型戦艦の二番艦として建造された「山城」であるが、実は設計段階で既に「扶桑」の欠点が明るみになっており、製造訓が発されていた二番艦の「山城」・三番艦の「伊勢」および四番艦の「日向」は、設計の変更が検討された。しかし実際に変更されたのは「伊勢」「日向」のみであり、「山城」は「扶桑」で摘されていた欠点を抱えたまま扶桑型戦艦として建造・完成された。
 「山城」が変更されなかった確かな理由は不明だが、当時戦艦の整備で日本は遅れをとっていたため、多少の問題にはをつぶって就役を優先させたという説や艦隊を運用する上で戦隊を組む際、2隻以上の同艦で構成するのが望ましいため、「扶桑」を単体にしてしまうより、あえて同艦を製造したのではないかという説などが存在している。

 このため、「山城」は出来た当初から、“欠陥戦艦”のレッテルを貼られることになってしまった。不幸だわ…

 欠陥を立て直すべく装を重ねられ、時に“違法建築”とも揶揄される巨大な前檣楼が特徴となった「山城」と「扶桑」を見分ける部分のひとつが、まさにその前檣楼で、「扶桑」はを置くスペースのために、艦背面の下側が「くの字」にえぐれているように見えるのに対し、「山城」は補強フレームが入っているため、普通高層ビルのように見える点である。

 もうひとつの明確な相違点は、前檣楼と煙突の間にある第三の向きが、「扶桑」は前向き、「山城」は後向きになっているところであろう。

 「ドックに入っている方が長い」と言われた「山城」の艦歴として、あまり知られていないことだが、昭和3年12月から昭和4年11月の約一年間、連合艦隊の旗艦となっている。
 当時の連合艦隊長官は大将谷口(たにぐち・なおみ)。「日不戦」の考えの持ちで、この後就任した軍軍部長のとき、ロンドン軍縮条約の成立に尽。陸軍が起こした満洲事変に反対し、これに便乗した軍軍拡の動きを押しとどめるなど、軍の「良識」を代表する提督だったが、強硬ボス東郷平八郎元帥に嫌われ、面と向かって罵倒されたこともある。そして昭和8年、強硬導権を握った軍から「予備役入り」という形で事実上追放されてしまう。やっぱり不幸だわ…

公式四コマで「山城」の連合艦隊旗艦ネタが登場したので、常設化以後の連合艦隊旗艦一覧

艦名 旗艦定日
長門 大正11年(1922)12月1日
陸奥 大正13年(1924)12月1日
長門 大正14年(192512月1日
山城 昭和3年(1928)12月10日
伊勢 昭和4年(1929)11月30日
長門 昭和5年(1930)12月1日
金剛 昭和6年(1931)12月1日
陸奥 昭和7年(1932)12月1日
金剛 昭和8年(1933)11月15日
榛名 昭和9年(1934)11月15日
長門 昭和10年(1935)11月15日
陸奥 昭和12年(1937)12月1日
長門 昭和13年(1938)12月15日
大和 昭和17年(1942)4月10日
武蔵 昭和18年(19434月1日
大淀軽巡洋艦 昭和19年(1944)4月1日

 ※四コマでは扶桑姉さま連合艦隊旗艦未経験というので []oT) ゴゴゴ していたが、「扶桑」が第一艦隊の旗艦だった時期(大正4年12月~6年12月大正8年12月~9年12月)は、連合艦隊が常設の組織ではなかったという事情がある。おそらく大正5年・6年・9年の定期演習連合艦隊が編成された際は、第一艦隊旗艦の「扶桑」が、そのまま連合艦隊旗艦になっていたはずである。

 もうひとつの変わったエピソードとして、航空機の発艦実験がある。大正11年(1922年)、「山城」の2番の上に滑走台を取り付けてここから航空機を飛ばす実験が行われ、これは成功した。気を良くしたのか、その後いくつかの軽巡洋艦に滑走台が取り付けられたが、やはり危なっかしいと不評で、その後カタパルトが開発されると滑走台方式は使用されなくなった。

各艦は私に構わず前進して!敵を撃滅してくださぁーい!


次へ»
最終更新日: 18/09/10 18:41
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ