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後楽園球場


ヨミ: コウラクエンキュウジョウ

後楽園球場とは、かつて東京都文京区後楽一丁にあった野球場である。


概要


後楽園球場
Korakuen Stadium
基本情報
所在 東京都文京区
開場 1937年9月11日
閉場 1987年11月9日
所有者 後楽園スタヂアム
使用チーム 読売ジャイアンツ
日本ハムファイターズ
など
収容 42,337
グラウンドデータ
87.8m
中堅 120.8m
左右中間 110.1m
フェンス 2.1~4.7m
野球場テンプレート

正式名称は「後楽園スタヂアム」といい、1937年9月に開場した。
昭和を代表する球場の一つであり、読売巨人軍(と日本ハムファイターズ)の本拠地として、また東京を代表するプロ野球聖地として親しまれた。

当時の東京にはプロ(当時は職業野球と呼ばれた)の試合に使える球場球場や上井球場しかなく(明治神宮野球場は既にあったが、プロの試合は許可されなかった)、両球場とも施設があまりにもお粗末なため、都心プロ行の出来る本格的な球場を造ろうということで1936年12月株式会社後楽園スタヂアムが設立された。

また、球場直属のプロ球団として後楽園イーグルス1943年に消滅。当時の球団名は大和軍)も設立され、1937年のリーグ戦から参戦することとなった。しかし、経営難などで球団と球場は不和となり、同年をもって両者の関係は解消された(球団名はイーグルスに変更)。
後楽園球場の開場は同年9月のため、結局後楽園イーグルスは一試合も後楽園球場で試合をすることはなかった。

1938年のシーズンから後楽園球場は本格的な稼働を始める。イーグルスとの関係が切れたため読売巨人軍をはじめとした多くの球団が使用することとなった。正太郎大口出資者であったことから巨人が優先的に使用したと言われているが、満足球場が他になかった当時の東京では在球団はどこも後楽園球場を使うしかなく、あくまで都市伝説の域を出ないであろう。

プロ野球1950年シーズンからそれまでの8球団から一気に7球団も増加して2リーグ制に移行したが、相変わらず東京には後楽園球場以外に満足球場がなく(明治神宮野球場プロの試合は解禁されていたものの、学生野球最優先であまり試合数が増やせなかった)、在球団はホームゲームの多くをここで行うしかなかった。そのため、1試合と2試合で対戦カードの異なる変則ダブルヘッダーも多く組まれるような有様だった。

1952年に正式にフランチャイズ制度が導入されたが、後楽園球場は読売巨人軍国鉄スワローズ現在東京ヤクルトスワローズ)、東急フライヤーズ現在北海道日本ハムファイターズ)、毎日オリオンズ現在千葉ロッテマリーンズ)、大映スターズの5球団が本拠地とした。
後楽園球場の使用状況は過密だったため、1953年東急フライヤーズは専用球場の駒沢野球場現在の駒沢球場とは異なる)を完成させて移転した。1958年に大映ユニオンズが毎日オリオンズに吸収合併され(大毎オリオンズ誕生)、オリオンズが1962年完成した東京スタジアムに移転したことで後楽園球場の過密状態はようやく緩和された。

残った国鉄スワローズ1964年明治神宮野球場に移転したが、駒沢野球場閉鎖で暫定的に神宮球場を使用していた東映フライヤーズが代わりに後楽園球場に舞い戻ってくることになった。東映フライヤーズは日拓ホームを経た後日本ハムが親会社となり、1974年から日本ハムファイターズとなった。そして、後進の東京ドームも含めて、ファイターズ北海道に移転するまでの2003年まで続く読売巨人軍日本ハムファイターズとの併用が始まるのである。

隣接する後楽園競輪場跡地に日本初のドーム球場である東京ドーム工したことにより役割を終え、1987年シーズン終了後に閉鎖・解体された。現在、跡地には東京ドームホテルなどが立ち並んでいる。


特徴


87.8mと当時としても狭く、ホームランの出やすい球場として知られた。(昭和野球場の両90~92m程度。)それを考慮してか、両ポール際のフェンスは最大4.7mに高められていた。一方で中堅120.8mと当時としては広い部類であった。

現在流となっている人工芝が1976年日本で初めて採用された球場である。


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最終更新日: 16/08/31 15:53
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