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映画史


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映画史とは、映画がどような経緯で誕生し世界中で発展してきたかという歴史である。

ここではアメリカ映画を中心に解説していく。というか、全世界の映画史を網羅しようとすると大変なのである。

※基本的に、紹介している動画著作権の切れたパブリックドメインです。


1890年代


1894年、アメリカの「発明王」トーマスエジソンが自動映像販売機(まあ所謂「映写機」ってやつだ)キネトスコープ」世界初の映画館に設置される。連続したフィルムを観るという形式は映画に通じるものがあるが、現在映画と異なる点はの中を覗き込む」形で鑑賞する、ということ。つまり一度に大勢の人間が見るものではなかったのである。

キネトスコープ開からわずか1年後の1895年、フランスのリュミエール兄弟シネマトグラフ」を開発。こちらはスクリーン映像投影し一度に多くの人が観れる形であり、現在映画の上映形態となんら変わりのいものであった。とりあえず映画の起シネマトグラフが有である。余談だが、1995年は「映画誕生100周年」とかでいろいろあったりなかったりした。

リュミエール兄弟が最初に映画の商業開を行ったのは1895年12月28日。上映されたのは「工場の出口」なと計10本の短編映画(といっても、1本1本の長さは1分そこらである)。

リュミエール兄弟の作品でもとりわけ話題に上るのは「ラ・シオタへの列車の到着」だろう。画面から手前に列車が近づいてくるだけのわずか50フィルムである。初めて「列車の到着」を見た観客は迫りくる列車クソを漏らすほどビビり、あわててスクリーンの反対側に逃げ出してしまったという逸話が残されているが、実際そんなことはなかったという意見もある。いや、上の文章はぶっちゃけしたけど、編者も本当にあったかどうかは唾くらいに考えたほうがいいと思う。

映画は19世紀末ごろには既に日本にも上陸していた。そのころの日本では、映画「活動写真と呼ばれ、映画館「活動小屋」と呼ばれていた。現在でも完成した映画フィルムを「シャシン」、映画館を「コヤ」と呼ぶ人が映画関係者をはじめ多く存在している。


1900年代


1902年、世界で初めて物語構成を持ち、複数のシーンで構成された映画である月世界旅行フランス製作される。監督マジシャンジョルジュ・メリエス。ちなみに「映画監督」を職業としたのは彼が初めてである。

原作は一応ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」だが、後半はH・G・ウェルズの「世界最初の人間」もごっちゃになっている。SFファンとしてはまさに夢のコラボロケット大砲から発射されるというトンデモない代物だが、これは原作どおりであるので何も問題はない)がの表面に着陸するシーンは「ポンキッキーズ」で観た人も多いだろう。ちなみに現在パブリックドメインとなっているのでニコニコ動画でも鑑賞できる

翌年のアメリカではこれまた世界初の西部「大列車強盗」製作開された。ちなみに「大列車強盗より昔にも西部劇があったらしいが行方不明」。 こちらの作品ではクロスカッティング(異なる場面のシーンを交互に撮影、映写する技法。フラッシュバックとも)、ロケーション撮影を行い、行的にも成功を収めた。ラスト、観客に向かって発するシーンは有名・・・?というかメタフィクションネタの最古といっていいんじゃないか。

みんな大好きアニメ映画は1906年の「愉快な面相」世界初らしい。観ておいて損はない。・・・多分。


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1910年代


新しい映画表現をめる若い映画人たちが西海に移住。ハリウッドが形成されはじめる。
が良く、撮影にもってこいという理由もあるにはあるが、実際には別の理由も存在する。

トーマスエジソン再び。映画関連の特許を多数保有していた彼は、活況を呈する映画業界にをつけ、その利益をが物にしようとたくらんでいた。実際はこんなに大でもないと思うが、まあそういうことにしとこう。面いし。

そこで設立されたのが「モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー、通称MPPCである。通称エジソン・トラストとも言われる。このトラストは映画関連の特許映画会社にビシバシ訴訟を繰り広げていたエジソンと彼の映画会社と、そのエジソンが特許使用許可を出した大手映画会社による映画上映のための組合であった。もっと詳しいことはWikipediaに書いてある。

しかし、当時アメリカ映画の3分の1、もしくは4分の1を支えていたのはMPPCに属さない独立系の映画会社であった。彼らはの亡者エジソンの魔の手から逃れるため、アメリカ西海カリフォルニア州にどんどん移動し、現在ハリウッドの原になった、という話なのである。ちなみにMPPCはその後なんやかんやあって10年もしないうちに消滅した。あわれエジソン。

のちに映画という凄いあだ名で呼ばれるD・W・グリフィスが、「民の創生」、「イントレランス」、「散り行く」を製作開。モンタージュ、カットバッククローズアップなどといった現在に通じる映画技術の発明によって映画文法の基礎を築いたとかなんとか。ちなみに「民の創生」では人に対する人種差別が物議を醸したり(なんてったってKKKが「正義の味方」として出てくるのだから!)、「イントレランス」では映画史上最大級のセットまで作ってしまったりなど、映画史的にはいろいろ話題に事欠かない人物である。

ちなみに1910年には「フランケンシュタインの怪物」が初の映画化。 「ふんがー!」


1920年代


ソ連世界初の国立映画学校創設。映画監督のレフ・クレショフが教授として招かれた。クレショフは学内に設けた自身のワークショップ「クレショフ工房」においてモンタージュ理論を打ち立て、その実験を行った。クレショフ効果[外部]を参照。

1925年、クレショフ工房の生徒の一人であるセルゲイエイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」を製作。本作はモンタージュ手法を確立した映画として非常に重要な映画である。「オデッサの階段」の場面は映画好きなら観なくてはいけないはず。というか観て損はない。というか観ろ。こちらも著作権切れのため鑑賞可のはずだが、ニコニコ動画では消されてしまった模様。今頃どこかでひっそり再うpしてるかな?

1927年ついに世界初のトーキージャズシンガー開。

You ain't heard nothin' yet! (お楽しみはこれからだ!

                                         ―――映画史上初めてのセリフ

トーキーとは映像と音同期した映画の事。ここから一気にトーキー世界中で普及していく。しかし日本の活動弁士(サイレント映画の解説役)や、あの「喜劇王」チャールズ・チャップリンなどはサイレント映画に固執した。

同年にあのVIP先生で有名な「メトロポリス」が開。本作は映画史初期のSF映画の傑作であり、メディア問わず多くのSF作品に影を与えた普通に凄い作品である。監督は「M」、「ドクトル・マブゼ」のフリッツラング

1929年、アメリカアカデミー賞が始まる。といっても最初は今みたいに大仰なものでは全然なく、女優のジャネットゲイナー(初年度にて女優賞を受賞した)は「ちょっとした内輪の集まりだったのよ」と述べている。初年度は作品賞が2作品あり、ウィリアム・A・ウェルマンの「つばさ」とF・W・ムルナウの傑作「サンライズ」の2つが受賞した。

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1930年代


1932年、ヴェネツィア国際映画祭が始まる。ベネチアでもヴェネチアでもベネツィアでもない。ヴェネツィアである。

1935年、フランク・キャプラのの出来事」開。初のスクリューボールコメディ常識外れの男女が喧しながら恋に落ちるという、ラブコメの元祖みたいなジャンル)作品で大ヒットした。アカデミー賞でも要5部門を受賞した。

1935年には世界初の開。

30年代末から40年代にかけて、イタリアネオリアリス運動が起きる。な中心的な作家ルキノ・ヴィスコンティロベルト・ロッセリーニ等。「自転車泥棒」も有名な作品。貧困にあえぐイタリア社会リアルに映し出そうとしているんだそうだが、編者はここらへんはど観てないのでなんとも・・・

ちなみに現行収入No.1映画風と共に去りぬ」も30年代の作品。

ちなみにフランケンシュタイン映画が3作品も開されている。「ふんがー!!!」


1940年代


1946年、今度はフランスカンヌ国際映画祭が始まる。

第二次世界大戦の影で多くの映画作家アメリカへ亡命する。

この当時アメリカ映画製作本数が年間400本を越えており、金時代を迎えていた。

スーパーミラクル太った映画監督アルフレッド・ヒッチコックアメリカ映画製作を開始。「レベッカ」が1940年のアカデミー作品賞を受賞。もっと評価されるべき

史上最高の映画といわれているオーソン・ウェルズの「市民ケーン」も40年代に開。

■sm8197547[ニコ動]


1950年代


1951年 今度はドイツベルリン国際映画祭がはじまる。これで世界三大映画祭が出った。

狩りの影アメリカの多くの映画作家が追放されてしまう。その中にはみんな大好きチャップリンの姿も・・・。

またこの年代には最大の敵「テレビが出現。観客動員数が減少の一途を辿り、「テレビにはマネのできない大作を」という方針も功を奏すことはなかった金時代の終焉である。

イタリア映画監督フェデリコフェリーニが「」「カビリア」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞。ヒッチコックはこの時期が最盛期で「裏」 「めまい」 「北北西に進路を取れ」など名作が多数。

この時代は「雨に唄えば」のようなミュージカル映画が流行を見せる。

またまたフランケンシュタイン生作品が2本開。 「ふんがー!!」

日本ではゴジラが誕生し、世界中がその特撮技術の高さを賞賛した。

ジェームズディーンスターにした「エデンの東」が55年に開。

そして、50年代の映画監督で忘れちゃいけないのがこの人。
そう、史上最低映画監督エド・ウッドである。 
グレングレンダ』『プラン9・フロム・アウタースペース』『死霊の盆踊り』・・・
ゴミのような映画はいくらでもあるが、映画のようなゴミを作るのはエド・ウッドだけ!」という言葉もあるほど。 
しかし、たとえどのような「最低」の評価を受けようとも、エド・ウッド映画への情熱を燃やしつづけたのである。
そのひたむきな姿勢は賞賛されてしかるべきではないだろうか。かのティム・バートンリスペクトささげてるわけだし。 

■sm2495663[ニコ動]


1960年代


フランスヌーヴェルヴァーという運動が起きる。(フランス語で新しい波という意味)すっごく簡単にいうと1950年代末から1960年代中盤までの若い作家製作した作品の事。だと思う。トリュフォーの「大人はわかってくれない」が有名。にはさっぱりわからない。


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最終更新日: 18/05/07 22:47
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