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朝霜(艦これ)


ヨミ: アサシモ
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137カキコ!

「よーう。あたいは夕雲型駆逐艦十六番艦の朝霜さ!
覚えといてよ!忘れんなよ! なぁ!」

朝霜あさしも)とは、大日本帝国海軍所属の夕雲型駆逐艦16番艦「朝霜」をモデルとした、ブラウザゲーム艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘(かんむす)である。
CV茅野愛衣 キャラクターデザイン藤川


いよっし! あたいの概要だね! まぁ、こう見えてエースだぜ、任せな。


2014年8月に行われたイベントAL/MI作戦」にて、夕雲型駆逐艦は「早霜」と「清霜」が実装されたが、その後実装された駆逐艦は、陽炎型白露型朝潮型、そして秋月型であり、夕雲型は何故か中々実装されなかった。特に姉妹とも言える陽炎型は次々と実装されて14隻という大所帯となったのに対し、夕雲型は史実では陽炎型と同数の19隻が存在するのに、実装されたのは5隻だけ、という状況が長く続いた。

そして長い沈黙を破り、2015年2月に行われたイベント迎撃!トラック泊地強襲」にて、久しぶりに夕雲型駆逐艦の「朝霜」が実装された。特定面(E-2以降)のボスS勝利とE-5の中S勝利ドロップのみ、つまり手に入れられる人はあっさり手に入るが、入らない人は底的に入らない艦娘の一人である。

2015年6月12日アップデートで追加されたEO域4-5カレーリランカ深海東洋艦隊漸減作戦」でボスドロップ出来るようになった(である「早霜」「清霜」と同時追加)が、難易度イベント時と較すると高く熟練提督でなければ邂逅はおろか域に到達出来ない高嶺のである。また、同年10月5日実装されたEO域6-5 KW環礁域「空母機動部隊迎撃戦」においても、「高波」「沖波」と共にボスドロップするとの情報があるが、この域の開放自体が高嶺の…。

装は、夕雲型駆逐艦共通の臙脂色ジャンパースカート緑色スカーフタイという装である。何故か夕雲型には髪の色ツートンカラーの者が多い(「長波」「早霜」「清霜」)が、彼女もまたツートンカラーで表が?)で裏が薄いである。右を前で隠している辺りは陽炎型の「浜風」を思わせる。ちなみに中破でもは隠れたまま。
また、「大和」「矢矧」「磯風」「初霜改二」「霞改二」らの坊ノ岬参戦艦と同じように、左右長さの違うニーソックスを履いており、改造すると鉢巻姿になる。これは他の夕雲型には見られない特徴である。
ちなみに改造画面でのアップを見ればわかるが、改造前の彼女ギザ歯であるギザ歯である(ここ重要)。

勝ち気そうなその表情からい知れる通りの性格で、自分のことを「あたい」と呼ぶ御肌。割とさばさばしているが、お触りした提督イイ覚悟だほら! に手ぇつきなよ! いくぜ!」と一している。(精神注入棒待ったなし)
見たは「早霜+清霜」、中身は長波といった感じ。MVPセリフでは「まあこう見えてエースだぜ」だと言う自信満々ぶりだが、史実でもそれに裏打ちされる実績を持つ。
彼女実装により、「北号作戦」の参加艦は全て史実艦でえられるようになった。戦争末期南方方面作戦にしばしば顔を出す艦であるため、そういう意味で彼女実装を期待していた提督も少なくないのではないだろうか。
ボイスでは「清霜」のことを気にかけているが、その他にも色々と艦これ実装済みの艦とのエピソードを持っており、今後の二次創作で活かされることに期待したいところ。 

ちなみにややこしいが、坊ノ岬戦で行動を共にした「初霜」は同じく「霜」が付くが、夕雲型ではなく初春型である艦歴の最後に寄せ集めの第二十一駆逐隊で僚艦となり、北号作戦及び坊ノ岬戦で戦っている。。あと、同じ「」が付く「朝風」(2代神風型)「朝潮」「朝雲」(共に朝潮型)とも、同じ駆逐艦というくらいしか関係はない(が、同じレア艦である「朝風」「朝雲」はともかく、コモン艦である「朝潮」と間違えて解体してしまうという人が出るのも、イベントではよくある風景だったりする)。

2015年12月8日追加実装任務「精強な「水上反撃部隊」を再編成せよ!」「「礼号作戦」実施せよ!」で必要となる艦の1人。
本任務ではコモン艦の「」「足柄」に加えレア艦の「大淀」「朝霜」「清霜」が必要。2-5(「戦闘」)を駆逐3、軽巡1、重巡1+任意艦でクリアするだけでも大変な上、通常域では「朝霜」「清霜」は上記のとおり4-5(「深海東洋艦隊残滅作戦」)というレベル域での低確率ドロップ限定。同じく「大淀」も1-6(「鎮守府航路」)での低確率ドロップでしか入手できず、2-5を攻略する前に必須艦をえるのが至難の業という・・・。

2016年イベント「突入!礼号作戦」のモチーフとなる史実「礼号作戦」参加艦のひとつ。史実編成で攻略する上で必要となるが、その第1域でも較的入手は可であった。そのため、第一域で入手後急速レベリングで第二域に実戦投入した提督もちらほら。また、第二域以降では31駆僚艦「沖波」も入手可であった。

なお、「朝霜」は14年イベで実装された坊ノ岬戦僚艦「磯風」に続き第一レベル45であり、後に実装された、同じく坊ノ岬組僚艦の「涼月」のレベル55、神風型姉妹(同50)に次いで駆逐艦レベル同率3位である。装すると上記の「坊ノ岬組」のような外見上の変化に加え、電探(13号電探、22号耐水上電探)が追加されと対火器(25mm三連装機)も増量される。ゲーム内での装後の装備は「12.7cm連装高(後期)」(通称「浦風」)、「三式水中探信儀」「25mm三連装機」。


あー任せておきなよ。 史実でも護衛でも夜襲でもっ!


夕雲型駆逐艦16番艦「朝霜」は、194311月27日に、大阪永田造船所にて工した。
……この日付を見ても判るとおり、ほとんど太平洋戦争末期に誕生した駆逐艦である。
442月には、姉妹艦である「沖波」「岸波」と共に、僚艦を失って「長波」1隻のみになっていた第三一駆逐隊に編入され、「能代」旗艦の華の二水戦所属となる。朝霜が編入された時点では「長波」は爆撃を受け修理中である。
とはいっても、この頃既に戦隊々しく艦隊戦を行う余地など何処にもく、「朝霜」達の任務といえば、輸送艦隊の護衛任務ばかりとなっていた(それも重要な任務であることは論を待たないが、夕雲型駆逐艦の想定していた任務ではなかったことに違いはい)。
この時に艦長に就任した杉原与四郎中佐は、「五月雨」 艦長として第二次ベララベラ戦での功績により恩賞の短一本を贈られた人物である。彼は「朝霜」の艦歴、その最後の時まで彼女と共に戦場を駆け巡ることとなる。

2月26日グアムに向かう輸送艦隊の護衛を命じられた第三一駆逐隊は、沖縄本島と南大東との間に差し掛かったところだった。「朝霜」は、深夜接近してきた潜水艦ロック」を発見し、魚雷を発射するために浮上してきたところを撃して追い払った。しかし損傷を与えたものの逃がしてしまい、「ロック」は輸送艦隊発見を報告する。
その報告を受信したのが、近くで任務を行っていた歴戦の潜水艦トラウト」だったこの「トラウト」は、何気に日本と縁が深い潜水艦で、最初の航では「潮」と「」のミッドウェー撃を撃したり、ミッドウェー海戦では「三隈一の生き残りを救助していたり、第三次ソロモン海戦では「霧島」に魚雷を当てたり(ただし不発)している。。直ちに輸送艦隊に接近した「トラウト」は、密かに接近して魚雷を発射、輸送艦1隻を沈め、1隻を大破させる。
だが、そこから「朝霜」は「俺のターン!」とばかりに爆を射出、見事に「トラウト」を沈めてを討った。沈没した輸送艦の救助、残った輸送艦の護衛、対潜で手が足りなくなり応援に駆けつけたのが付近で千歳の護衛をしていた「雪風」と「初霜」である。→ゆきしも初陣ながら大手柄といったところであり、この武勲はその後夕雲型の戦歴を辿る彼女の門出となる。

その後も船団護衛や対戦警に従事している。マリア戦では第三航空戦隊・第四戦隊に所属して対戦闘を行う。また、ここで修理中だった「長波」が復帰し第三一駆逐隊の四隻が勢いする。

10月レイテ沖海戦においては、第二艦隊(第一遊撃部隊第一部隊:栗田艦隊)に所属していたが、出撃々に「愛宕」「摩耶」が潜水艦に沈められ、「高雄」も大破する。「朝霜」は「愛宕」の乗員を救出した後、「長波」と共に漂流状態だった「高雄」の護衛にあたり、止めを刺そうと狙っていた潜水艦達は朝霜の厳しい対潜により断念したという。その後、「朝霜」は何とか自航行が出来るようになった「高雄」を護衛してブルネイに戻ったため、その後のレイテ沖海戦には参加出来なかった。

その後、「朝霜」「長波」はレイへの輸送作戦である「多号作戦に投入される。
第四次作戦においては「」に乗る木村昌福官の揮のもと、損は出すもののオルモック湾に人員の揚陸には成功する。そして、これは多号作戦最後の成功例だった。
入れ替わりに行われた第三次作戦において、「朝霜」「長波」「若」は「初春」「」と入れ替わりで、早川幹夫少将が乗る第二水雷戦隊旗艦「島風」と共にこの作戦に参加することになる。
そして、この第四次船団と第三次船団は、まさしく明暗と言うべき結末を迎えてしまう。

もとより味方航空機の援護がほぼ望まれない謀な輸送任務であり、早川官も抗議をしたものの強行突入を命される。
そして、オルモック湾に突入せんとした船団を待ち構えていたのは350機にものぼる敵の大編隊だった。
一縷の望みをかけて楼座を試みようとした輸送船四隻はく間に全滅し、「浜波」は航行不能、「若」は撃沈、歴戦の僚艦「長波」も全弾を撃ち尽くした後に沈没、その速度で懸命に爆弾魚雷を回避し続ける「島風」も至近弾と機を多数浴びて遂に動けなくなる。
朝霜」ただ一隻のみが各艦のった煙幕に巧みに隠れ、被害こそ受けるものの致命傷を回避していた。既に二戦の早川官は戦の中で戦死しており、「朝霜」は「島風」救援のためなんとか近づこうとする。しかし、敵の襲はしく、「島風」座乗の二戦・松原先任参謀松原三郎大佐。第7次多号作戦で「」に救助され生還。457月、最期の第17駆逐隊に着任し宮襲を揮した。五月雨艦長の先任でもある。から「帰れ」との命を受けて救助を断念する。
朝霜」は「波」の生存者を救助したのち、「屠殺場」となったオルモック湾からただ一隻生還したのである。

こうして、精強を謳われた第二水雷戦隊はその乗員と共にほぼ壊滅。
朝霜」は、マニラに戻ると、日本への緊急輸送任務のため「隼鷹」「利根」「卯月」「時雨」らと共に臨時艦隊を編成し、ブルネイシンガポールへと向かう。その翌日、マニラは大襲を受け、「木曾」「初春」「」「沖波」などの歴戦の艦が失われることになる。まさに間一の脱出であった。シンガポールに到着した「朝霜」は、めて第二駆逐隊に編入されることになった。そこに待っていたのは、僚艦「早霜」「霜」を失っていた「清霜」だった。残された第三一駆逐隊も「波」の戦没により解体される。

12月、ミンドロへの殴り込み作戦「礼号作戦が行われる。再び木村官の揮のもと作戦には成功するが、「清霜」はこの作戦で失われ、「朝霜」自身も機を浴びるなどで小破する。
作戦終了後、「朝霜」は懸命な捜索ののち「清霜」のカッター生存者を発見し、駆けつけた「」と共に救出に携わった(詳細は「清霜(艦これ)」を参照)。

清霜」を失って第二駆逐隊も解隊。「朝霜」は第二一駆逐隊へ異動する。そこにいたのは、初春型の「初霜」と朝潮型の「この時点での「」は第七駆逐隊の所属で、第二一駆逐隊には「初霜」の他に「時雨」がいたが作戦行動は別にしており、朝霜編入前の1月24日戦没。「」の21駆編入は北号作戦の後。 。もはや「同一駆逐隊同一艦」すら守れないほど、軍は疲弊していた。
再編された第二一駆逐隊の任務は、日本への帰還と共に物資の輸送を行う「北号作戦」だった。航空機の援護も望めない状況で「」部隊と名付けられた艦隊は、「伊勢」「日向」「大淀」「朝霜」「」「初霜」一隻も欠けることなく奇跡的に帰還に成功する。


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最終更新日: 19/09/01 08:28
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