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木髙イサミ


ヨミ: コダカイサミ
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木髙イサミとは、かつてKAIENTAI-DOJOユニオンプロレスに所属しており、現在プロレスリングBASARAを率いるプロレスラードロップキック店長である。

キャッチフレーズは「日本一諦めの悪い男(大日本プロレス)」「ハードコアデスマッチ(ユニオンプロレス)」。

1981年9月27日生まれ。神奈川県横浜市出身。


概要


KAIENTAI-DOJO(K-DOJO)でデビュー後、フリーを経てユニオンプロレスに入団。
大日本プロレスにも参戦してデスマッチファイターに踏み込むも、一度は頸椎椎間板ヘルニア引退間際まで追い込まれる。しかし、手術から復帰後もデスマッチファイターとして奮闘し、2014年現在はBJW認定デスマッチヘビー級、ユニオンMAX、BJW認定タッグ三冠を獲得。ユニオンプロレスエースとして団体を引っるまでに成長した。

ユニオンプロレス解散後は、自身が代表を務めるプロレスリングBASARAを設立。
2015年11月28日、第55KO-D差別級王者になる。

2014年からはDDTプロレスリング直営スポーツBarドロップキック」の三代目店長に就任。


天狗になっていたK-DOJO時代


K-DOJOには3期生として入門プエルトリコでの修行中に首を痛めて途中帰するも、千葉場で練習を続けて2002年7月18日、木髙イサミのリングネーム松本大介を相手にデビューする。
その後は総合格闘技スタイル秒殺による連勝を重ね、当時からエース格として君臨していた霜拳にも勝利する。だが、調子に乗って霜の帯を引き抜き、帯を投げつけるいわゆる「帯事件」を引き起こしてからは調子が悪くなり、やがて霜との再戦で天狗の鼻を折られるように敗するとK-DOJO内で行き詰まりをみせてしまい、最終的に逃げるように退団してしまう。


isamiとして、どインディーを放浪


K-DOJO退団後はisami名し、千葉県銚子市にあったどインディープロレス団体FWFに参戦。当時、高校1年生だったフランケン吉野(マッスル1のメインに出場)と練習をする。その後、鶴見五郎催するプロレスプロモーションや、FMWの残党が集まってできたWMF北海道九州の辺ばかりを回るアジアン・スポーツプロモーションなど、どインディーと呼ばれる小さな団体に参戦しまくる日々を過ごす。後に盟友となる宮本裕向、澤宗紀といった面々とはアジアンでのどさ回りツアーでいっしょになり、クソ安いギャラで1日3試合をこなすなどの苦労をともにしている。


ユニオンプロレスに入団


その後、筋を通そうとTAKAみちのくにあいさつしに言った際「復帰したらウチに上がらないか」と言われて、K-DOJOにもフリー参戦するようになる。さらにDDTプロレスリング入りも論んでいたが、こちらはアッサリとダメになる。だが、マッスル1に参戦した際に高木三四郎からユニオンプロレスの再旗揚げに誘われ、石川修司チェリーポイズン澤田らとともにユニオンに入団する。

2006年5月大日本プロレスに参戦し、“天使”沼澤邪タッグを組んだのをきっかけにデスマッチ参戦を直訴。暗黒プロレス組織666ではアジアンの同志である宮本裕向とタッグチームヤンキー二丁拳銃」を結成。ともに葛西純、沼澤邪宰する「スクールオブ・マッドネス」にも入学して、デスマッチ経験値を積んだ。

だが、2007年5月ユニオンプロレス新木場大会後、かねてからビリビリとしていた腕のれが、まるで電流が走るかのような異常な感じとなり、医師の診断を仰ぐことに。レントゲンでは異常なしに見えたがMRIの結果、もう少しで全身麻痺になる直前なレベルの頸椎椎間板ヘルニアであることが判明。医師からは引退勧告されるが、このままでは終われないとして手術を決意。長期間の欠場を余儀なくされる。


手術から復帰。EXTREAM級獲得へ


を削り、潰れた椎間を形成し直してから植をするという大手術を経て、2008年5月ユニオンプロレス北沢タウンホール大会で現役復帰。対戦相手は長年あこがれていたMIKAMIだった。このとき、リングネームisamiから木髙イサミに戻している。

同年7月には大日本プロレスデスマッチ戦線にも復帰してデスマッチヤングブラッズ(木髙イサミ、竹田志、星野勘九郎、清水基嗣)を結成。竹田志とのタッグで大日本最侠タッグリーグ&BJWタッグ王座決定戦に参加する。伊東竜二&石川修司組の負傷による繰り上げとはいえ決勝戦にコマを進め、宮本裕向&佐々木組に勝利し、第26代BJW認定タッグ王者となった。2009年7月27日関本大介&岡林裕二組に敗れてタッグ王座陥落してからは、石川修司が保持していたKO-D差別級への挑戦するも敗北2010年にはアブドーラ小林、沼澤邪らに勝利してデスマッチヘビー級の挑戦権を獲得するも、宮本裕向とのダブルガラスボート&インディアンストラップマッチ敗北タイトルを前に足踏みする状態が続いていた。

転機となったのは2011年1月3日ユニオンプロレス後楽園大会。この大会で韓国に流出していたDDT EXTREAM級の王座をキム・ナンプンから奪取。これを機に、石川修司の後を拝していた状態からイサミエースへののりが始まった。
2011年5月5日の大日本横浜文化体育館(文体)大会では宮本とのヤンキー二丁拳銃として葛西&沼澤の045気違'sに挑戦。BJW認定タッグ王座を獲得した。


デスマッチ、いやインディーマット界新時代の牽引役に


ヤンキー二丁拳銃としてのBJW認定タッグ王座2014年4月に陥落したが、同年11月の最侠タッグリーグの優勝戦で当時のタッグ王者だった&岡林裕二組に勝利し、再度タッグ王座を獲得。「防衛回数100回」を標に、2014年5月31日後楽園ホール大会で佐藤&石川修司組に敗れるまで17回もの防衛を重ねた。さらに2013年8月18日DDT大会では佐藤光留&坂口征夫組に勝利し、CMLL認定KO-Dタッグ王座も獲得。飯伏幸太&ケニー・オメガゴールデン・ラバーズに敗れるまでインディーを代表するタッグベルトの二冠王にいた。

シングル王座EXTREAM級はケニー・オメガに敗れて手放したが、2013年11月4日の大日本横浜文化体育館で石川修司を破ってBJW認定デスマッチヘビー級王座を獲得。2014年3月23日ユニオン川崎大会ではイワンマルコフを破ってユニオンMAX王座を獲得した。

こうした活躍が認められ、2013年東スポ認定日本プロレス大賞では惜しくも最優秀タッグチーム賞を次点で逃したが、サムライTV(のインディーのお仕事)が認定する日本インディー大賞ではベストユニット賞、ベストバウトMVP三冠を手にした。

2014年上半期にそれまで獲得してきたベルトはみんな失ったが、2014年KING OF DDTトーナメントに優勝し、「両国ピーターパン」でKO-D無差別級王座の挑戦者としてメインイベントサバイバル3wayマッチに挑む。試合相手はチャンピオンHARASHIMA、そしてケニー・オメガケニー脱落後はHARASHIMAを追い込むが、スワンダイブに敗れる。いつもは勝っても負けても「試合を楽しむ」とっていたイサミだったが、この日の敗戦後だけは泣きながら「悔しい」「次はHARASHIMAを潰しに行きます」とる。この年のDDTドラマティック総選挙2位になり、HARASHIMAKO-D無差別級王座を賭けて再戦するが、惜しくも敗れる。また、この年の11月17日には初の自行「木髙イサミのプロレス」を新宿FACEで開催した。

2015年ユニオンプロレスの解散など動が続くが全日本プロレスではヤンキーニ丁拳銃としてアジアタッグを獲得。ドラマティック総選挙では第一位を獲得。その結果を受けた11月28日大阪府立第一大会では、王者・坂口征夫を破って新たに第55KO-D差別級王者となる。


得意技


細身だが、スピードと高さを利用したトリッキーな攻撃を得意とする。K-DOJO時代、フリー時代、ユニオン時代で使う技が異なるが、ここではユニオンや大日でよく使われる技を列記する。


エピソード



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最終更新日: 15/11/29 02:58
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